メモ:「帰って来た橋本治」展と『子守唄はなぜ哀しいか』

 神奈川近代文学館で今週末まで開催している「帰って来た橋本治」展に行ってきた。橋本は『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』などの著作でマンガ批評・研究においても大きな足跡を残しているが、それは彼の呆れるほどに多岐にわたる仕事のうちのごく一部に過ぎない。
 マンガ関係の文章こそ読んでいるものの、およそ良い読者とは言えない私にとって、豊富な資料をもとにその仕事の全体を紹介するこの企画展はとても勉強になった。とくに、活字以外の、イラストレーターやニット作家としての仕事は直に作品を見てこそインパクトがある。
 近ごろ、貸本の少女マンガを少しずつ読んでいることもあって、石子順造『子守唄はなぜ哀しいか』(2006年、柏書房。オリジナルは1976年刊)をめくっていて、これは本当にたまたまなのだが、そこに橋本治が東大に在学中だった1968年に制作した駒場祭ポスターについての言及があった。「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこにいく」というキャッチコピーで知られる作品だ。

 石子は長谷川伸の股旅ものの戯曲にもとづく中村錦之助主演の映画『瞼の母』(1962)について、観るたびに「毎度のことながら、ホロリとさせられる」としつつも「醒めている頭の半分で見ていると、いくつかの疑問にとらわれる」のだという(p.29)。その疑問というのは「母を探し親孝行することだけが生きがいみたいではないか。やくざってそんなものなのだろうか?というより、やくざ者の中にもそんな親孝行ものがいるとして任侠道とやらと親孝行とはどんな関係になるのかしら?と。あるいは、せっかく江戸で母とめぐりあいながら、最初はお互いどんな誤解があったにせよ、後ではわかりあえたのに、なぜまた別れていってしまうのだろうか、とか。そしてそれにしても、忠太郎や母親は、死んだとはいえ、父親のことをきれいさっぱり忘れているようだが、とか…」といったものだ(p.30)。前者の疑問についてやや乱暴にまとめてしまうと、それって親不孝そのものグレた生き方と矛盾してんじゃない?というツッコミと言えるだろうか。
 こうした疑問について考える中で石子が想起するのが橋本のポスターのことだ。石子はこのポスターについて「日本の”母もの”を象徴しており、しかも発表当時の情況の一断面をも、みごとに象徴していたようにすら感じられた」と評している(p.30)。橋本のポスターをこのように評しつつ、石子が考えているのは、「〈自然〉としての共同体と秩序」(p.33)から阻害されてしまった「はぐれもの」のアイデンティティについてである。
 石子は次のように述べる。

ぼくは、母すなわち〈自然〉との別離が、はぐれものの意識を培い、自分をすてていくということをベースにした独特の倫理や論理を生み出していく、と考えた。それは、やくざではないはずの、多くのひとびとのものであったはずなのだ。〈自然〉を破壊しながら、紙の不在の地平に西欧的近代を打ち立てようとしたのが、社会的にも文化的にも、明治意以来の日本の強行軍であったのだから。いうなれば、日本の民衆は、おしなべてはぐれざるをえなかったのであり、潜在的なやくざみたいなところがあったにちがいない。

石子順造『子守唄はなぜ哀しいか』柏書房、2006年、pp.36-37

 
 つまり、母なる自然から阻害されてしまっているという点において「やくざ者」と同じく近代化以降の日本人もまた「はぐれもの」であると石子は考えているようだ。だからこそ、自分たちとはかけ離れているはずのアウトローに民衆は心を寄せるのであり、母ものが人気を博すというのが、石子の見立てである。『子守唄はなぜ哀しいか』は、一見すると古風で前近代的にも思えるかもしれない「母もの」を近代化の産物であると捉えて解きほぐしていく。けっこう面白い本である。
 マンガ、とりわけ少女マンガについても論じている部分もあるので、またちょっとメモを書いておくかもしれない。

https://www.kanabun.or.jp/exhibition/19579/


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