藤井風 「帰ろう」 感想文

藤井風さんのデビューアルバムHEHNのリリパで出会った「帰ろう」
初めて耳にした時の衝撃たるや。
「今の私」の解釈でしかないのだけど、その時感じたことを大事にしたくて書き出してみました。(‪文才も語彙もなく、思いを並べただけのまとまらない駄文です‬があしからず…🙏)

ライナーズノートを聴いて曲が始まるや否や、人生の歴史に残る瞬間な気がして(大袈裟なようで本当に)思わず聞いてる"空間"を動画に撮るという謎な行動にでました。
この曲、す、すごい…………!!!
乏しい語彙で大騒ぎして、静かに震えて、後半ではもはや教科書に載ったり合唱コンで歌われている未来まで想像できた。

初めて聞いたときは優しくて揺さぶられる様な旋律に感動していたけれど、その後1人で皿洗いしながら聞き返したとき、その歌詞を耳にして涙腺が崩壊。
ホロリではなく嗚咽……
歌を聴いて泣いたの初めてで、動揺。

引くほど泣けたのは、たぶん、歌に自分と故人それぞれを重ねたから。(きっと全人類に重なる…)
そして、なぜ生きるのか、のヒントが見えた気がしたから。

丁度この頃は、大好きだった祖母の喪に服していた時期。昔からいつもgiveの精神を持った優しい人で、晩年は苦しい時期もあって人間らしい部分も垣間見せていたけれど、この歌はそんな祖母をまるっと優しく包んでくれるようで、、きっとこの歌に救われるんじゃないかな。勝手にそう感じて、四十九日の間何度も祖母を想って流した。

そして、今を生きる私にももちろん響いた。祖母とのお別れの時「私も与える人になりたい」という弔辞を読んだものの、結局日常の中でなんだかんだ欲しがってばかりの自分。
度々自己嫌悪になるけれど、それもまた人間だから、何度でも立ち帰れるよ、と励ましのメッセージの様に聞こえた。

(唐突ですが)私は神様の存在を信じていて、死後は魂だけが残る、そして魂は生まれ変わる度にミッションを抱えながら精一杯生きることで成長させていくものなんじゃないか、と、思っています。ふんわりと。
ここ数年、魂はどうしたら成長させていけるのか、自分の使命は?などとぼんやり考えていたけれど、そのヒントもこの歌からもらえた気がする。

生きている限りネガティブな感情を持つのは自然なこと。でもその思いに囚われていたら生涯を終えて身体から離れたとき、とっても苦しいよねきっと…
だから、まさに帰ろうや他の楽曲でうたわれている様に、いらないものは手放して、軽くなって、与えられた環境下で愛と感謝をもってgive give giveで生きていきたい。自分の中にいる神様(何なんwでいうところのハイヤーセルフ)を無視せず良心に従って。

もちろんそれってそう簡単にできることじゃない。人間だもの…!!!
次から次へと邪念は湧き上がるし、ドロドロしてる時は愛と感謝なんて言われても綺麗事に聞こえてしまう…w
でももしかして人は、この歌で歌われてるような境地に近づくために何度も生まれ変わって修行するのかも…?
私は今何周目の人生なのか分からないけど、今回この曲と出会えたからには、自分は生かされて与えられて今ここにいることを忘れずに、魂を磨いていきたい!と思った。道のりは長いけど!

Am I going too far? (風さんふう)
※ちなみに私はスピリチュアルには詳しくなく、特に何かを信仰しているわけでもなく、家には神棚、学校はキリスト教、葬祭は仏教と、宗教ごちゃ混ぜバックグラウンドです

リリパの日から今日まで、もう何百回と聞いているのに、既に何回も肥溜めへダイブしている私。
だけど、最後のフレーズ、

"あぁ今日からどう生きてこう"

が、何度でも心機一転がんばろ!と奮起させてくれる。「帰ろう」は今や、これから何度でも、どう生きるかを立ち止まって再認識させてくれる、いつも手元に置いておきたい人生指針になるテーマソングであり、リマインダーです。


ちなみに…

最後くらい 神様でいさせて
だって これじゃ人間だ

この歌詞は、風さんも人間、いろんな感情と葛藤してもがいているように感じるけど、

わたしのいない世界を上から眺めていても
何一つ 変わらず回るから
少し背中が軽くなった

自分が去った世界を見て、寂しさや後ろ髪ひかれる気持ちを持つのではなく、残された人のことを思って安堵するって、深い優しさを持っている人だと思わずにはいられません。。

生きることのまとめといっても過言ではない素晴らしい楽曲と、この曲をたまたま自分の体を通して出てきたギフトと表現する藤井風さんという唯一無二のアーティストに出会えて、本当によかった。

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