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台風15号を千葉で経験して

現在、台風19号が接近しており、東海・関東ではすでに被害も出ているところです。

私は、現在金沢市に在住ですが、9月の台風15号の時は千葉市の実家に帰っていました。

千葉市では史上最大の瞬間風速57.5メートル/sを観測し、千葉市中央区の実家は、隣家からの倒木によるフェンス破損と5日間の停電に見舞われました。

当日は、30℃を超す暑さの中での停電により、どんどん精神状態が追い込まれていくことも実感しました。

特に60代後半の両親においては、SNS等もしておらず情報が入ってこないことから、時間とともに消耗している姿を目の当たりにしました。

この経験から、直接的な被害がなくても、「災害に遭う」というのは多様な状況があることを教訓として、このブログに時系列で残しておきます。

9/9(月)未明(1時半頃)

風の音や、窓ガラスが揺れる音で起きる。普段の強風とは全く違い、常に轟音が鳴り続けている状況。まさに渦の中にいることを実感しました。

外の音も気になってしまい、その後一睡もできず、常に雨雲レーダーを眺めて、台風の状況を気にしていました。

写真は3:37の雨雲レーダー

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9/9(月)5時頃

千葉市付近に上陸したというニュースが。それと同時に「ドン」という音とともに、停電。この時間帯は、外から消防車の音がひっきりなしに聞こえてきており、ただならぬ状況になっていることが推測できました。

9/9(月)7時頃

両親と息子(4歳)が起床。停電のため雨戸も開かない中で過ごしていましたが、風もおさまってきたため、外を見ると隣家の倒木によりフェンスが破損。。

車はギリギリのところで、倒木にぶつからずに済んでいるという状況でした。

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9/9(月)午前中

テレビもつかず、薄暗い中朝ご飯を食べながら過ごしました。

暗いところが苦手なはずの息子も「台風だからしょうがないね」と前向きな発言。

この時間は、「もうすぐ復旧するだろう」という余裕がありました。


9/9(月)お昼頃

この日の最高気温は、32.5℃。

日が高くなるにつれて、気温も上昇。断熱性能の高い実家なので、しばらくエアコンの涼しさが残っていましたが、昼前までに徐々に耐えられない暑さになってきました。

家の中が暑くなってくると、情報の無さもあいまって次第に家族もイライラ。

私はネットからの情報でどこが停電しているとか、周辺がどんな状況かを調べて、逐一両親にも伝えていましたが、情報がないことと先の見えない停電により、だんだん家の中も険悪な雰囲気になってきました。

また、東電の停電情報を見ても、実家のエリアは停電エリアに入っていないことがわかりました。

周囲を歩いてみると、まわりの家は電気が通っている様子。

ちょうど、向かいの家の人が出てきたので話をしてみると、どうやら停電しているのは実家のまわりの3~4軒程度ということがわかりました。

9/9(月)お昼すぎ~夕方

家の温度も上がってきたので、お昼を食べるために近所のショッピングモールへ。

近くの国道は大渋滞。街路樹も何本も倒れていて、普段とは全く違う光景でした。

ただ、ショッピングモールは通常通り営業。ほっとしたのと同時に、実家がなぜ停電しているのか次第に焦りに近い感情も起きてきました。

気になって、東電のコールセンターにも電話しましたが、なかなかつながらず。

何度もかけ直してようやくつながったものの、わかった情報は実家のエリアは「調査中」ということだけ。

実家に戻ると母親も同じく東電に電話したり、役所に電話したりしていました。

情報がない中で終わりの見えない停電に、焦りや不安が大きくなってきたのもこの時間です。

母親は心臓が悪いこともあり、あまり体に負担をかけられない状態のため、このまま停電が続き暑さの中で過ごすのは危険な状態になると判断。

近くの避難所に移ることも提案しました。

役所に連絡すると「避難所は基本的には土砂災害が危険なエリアに住む人のためだが、事情があれば誰でも入れる」ことも確認できました。

しかし、平常心を失っている母親は、怒り出す始末。。

父のささいな言動にまでつっかかるなど、険悪な状態になりました。

こうなるとなかなか言うことも聞かなくなるので、しばらくそっとしておきましたが、停電が解消される様子は一向になく、途方に暮れていました。

その後数日暑い日が続きそうだったので、とにかく熱中症が心配でした。

その頃、次の日に弟が名古屋から東京に出張に来るため、実家に寄るとの連絡が入りました。

夕方には、千葉を離れて金沢に戻らなくてはならなかったので、「もし、次の日も電気が通らなかったら、両親をホテルに泊めてほしい」という話をしておきました。

9/9(月)夕方

疲弊した両親を残し、唯一動いていた京葉線で東京駅まで向かいました。

金沢に戻って実家に連絡してみると「今晩は家で過ごすが、明日もし電気が通らなかったらホテルに泊まる」とのこと。

少しは安心しましたが、いつ電気が通るのか気になる日々が続きました。

その後・・

結局電気が通ったのは、台風から5日経った金曜日の夕方15時半頃。

その日まで、ホテルで寝泊まりしていた両親はようやく家に帰れることで安堵していました。私としても、まずは一安心といったところでした。

令和元年台風15号を経験して

これまでも、台風が通過することを何度も経験してきましたが、今回の台風15号は南房総地区の被害もかなり出ており、「大きな災害」と言えるものです。

南房総の様子を目の当たりにすると、実家の「5日間の停電」はまだ軽い被害だと思います。

ただ、その現場で起こっていることは決して穏やかではありませんでした。

情報の無さによる焦燥感であったり、日常生活ができない不自由さなど、「仕方ない」とわかってはいても、心は乱れます。

また、近所でも停電していない家の人とは共感できないこともよくわかりました。外で話をしていても「大変ねえ」という反応で、イラっとしましたが、仕方ないことなのかもしれません。

災害の当事者になるかならないかで、こんなに違うものなんだと。。

東日本大震災の時も、現地にボランティアなどに行ったものの本当の当事者にはなっていなかったんだと今更ながら実感しました。

災害というのは当事者になることで、物理的にも精神的にも影響が出ることが本当によくわかりました。

15号で当事者となり、備えの大事さにも気づかされました。

そして、19号に備えて、我が家でも窓ガラスが割れた際の飛散防止の対策などをできる範囲で取っています。

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今回の台風での被害が最小限に済むことを祈るばかりです。


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