クラウス・リーゼンフーバー先生はハイデガーの孫弟子でもある。
ハイデガー・フォーラムでクラウス・リーゼンフーバー先生は指導を受けた三人の先生がハイデガーの教え子だったと語っているが、あまりプライベートなことはお話にならないので、久々に参加した土曜アカデミーのハイデガーの回の終了後、勇気を振り絞ってご質問したところ、マックス・ミュラーとカール・ラーナーだと即答されたが、もう一人の名前はとうとう思い出せなかった。
残念ながらこれが最後の会見になってしまったが、リーゼンフーバー先生は1967年にヴァルター・ブルッガー(Walter Brugger)の『哲学辞典』(Philosophisches Wörterbuch)の分析哲学の項目を執筆しており、もう一人の先生はおそらく、同時期にブルッガーと共著を出したイエズス会士の哲学者でイエズス会が運営するミュンヘン哲学大学(HFPH)の学長であったヨハネス・バプテスト・ロッツ(Johannes Baptist Lotz)ではないかと思われる。
上智大学を退職して間もなく、まだご病気をされる前のリーゼンフーバー先生が土曜アカデミーでハイデガーを取り上げた際、若き日のハイデガーがイエズス会の修練期を辞めたことについて、うつむき加減で少し残念そうに語っておられたのを思い出すが、ラーナーやミュラー、ロッツなど、ハイデガーには大成したイエズス会士の教え子が意外と多かったことに今更ながら気づかされる。
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