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文を超えて学ぶ

『理趣釈経』についての話

空海と最澄はどちらも平安時代に活躍した僧侶です。

最澄の方が年上で、唐から様々な経典を持ち帰り、それらを読み込んで仏教の学びを進めていました。

その中で密教経典の一つ『理趣経』の内容理解のために、その解説書である『理趣釈経』を読み解きたいと思い、それを持っている空海に貸して欲しい旨を伝えました。

しかし、空海はそれを拒み、その際の手紙に以下のように書き記しました。


“文は是れ糟粕なり、文は是れ瓦礫なり。 糟粕瓦礫を愛すれば、粋実至実を失う。”

〜『性霊集』〜


文章に頼ることをやめて、仏教修行に励まないと真実を見失うと、年上の最澄を叱責したのです。


文を超える

現代は大量の書籍に溢れ、インターネットを調べればすぐに情報が手に入ります。

しかし、時に文に頼ることなく、自身の身体を通して肚で理解をしないといけないものがあるはずです。


理論、データ、数値、文章、言葉による知識の学びに依存しすぎると片手落ちになります。

気をつけたいものですね。

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