【ELDENRINGネタバレ】ミケラとセローシュ

ミケラとラダーン、セローシュとホーラ・ルーの関係について。
その位置関係は極めて似ており、赤獅子ラダーンがまるで金獅子になったかのようだった。
その姿はまさに黄金の王に相応しいものであったと言えるが、同時にこれはフロム流の皮肉なのかな、とも感じた。
セローシュはゴッドフレイことホーラ・ルーの滾るような闘志を抑えるために存在した。

その構図が似ているのならば、これはミケラが本人にその自覚なく(ミケラがあまり他者の心に斟酌しない「子供」であることは、各所で示唆されている)、ラダーンの王としての在り方を抑えてしまっているのではないだろうか。

赤獅子フレイヤは言った。「永遠の戦いこそ、ラダーン将軍に相応しい」と。だがミケラが目指す世界は「優しい世界」であり、少なくとも積極的な戦を起こさない世界のはずだ。ラダーン本人の意思は(意外なことに)あまり示されている記述がないため分からないが、戦こそがラダーンの本質だとするなら、ミケラは皮肉にも、憧れたその強さを抑える役割を選んでしまっていたと言える。

そしてその生き様を善しとしない赤獅子騎士たちとの軋轢は、いずれレダたちのような猜疑心の強いものとの確執になっていたのではないだろうか。

仮に最強のデミゴッド、ラダーンが王となり、ミケラが神となる、一見して理想的な支配体制が出来たとしても、それはどこか互いの意思を歪ませたものであり、いつかは破綻する、(皮肉にも)黄金律と同じようなものになっていたのではないか。

旧律と呼び、それから逃れようとしたミケラが、兄ラダーンを黄金の獅子のように飾っていたのも、或いは皮肉の一環なのかもしれない。

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