無題

そもそも論として、現在、フェミニズムやポリティカル・コレクトネスが嫌われるに至った原因は、まあ一部のSNS上で声のでかい人たちが無法をやった結果としか言いようがないのだけど。

それはそれとして、フェミニズムもポリティカル・コレクトネスも「本来は我々を守ってくれる概念」のはずなんだよね。女性の地位向上に積極的に反対する人間はよほどのとんでもない思想の持ち主のはずだし、ポリティカル・コレクトネスの本来持つ意味を考えれば、それに反対する人間も少数派だったはずなのだ。

でもそれを鈍器として使う人間が出てしまったし、さらに悪いことに日本では「それが最初に目立った時期」に「鈍器として使う人間」が出てきてしまった。

日本におけるフェミニズムが決定的に間違ったタイミングはいつかと言われると、個人的には田嶋陽子氏がテレビで取り沙汰されるようになったあのときだと思う。テレビ局が面白がって「これこそが強い女性、新時代の女性だ!」と持て囃したのは「何かにつけてとにかく男を悪し様に言うだけの人物」だったのは、まあフェミニズムにとっては悲劇だっただろう。最近になってようやく田嶋氏は「あなたはもう古い」と言われるくらいの認識の人物になったようだけど。「男性罵倒学」なんて言われるくらいに初期から男性に嫌悪されていたのだ、彼女は。

言ってることの妥当性よりも品性の問題で、そもそも論として女性民権運動ってその黎明期(主に平塚らいてう氏の頃)から「妥当性と利益を根拠に説得し、味方を増やし、権力者や資産家を味方につける」という、血の滲むような努力を重ねてきて、今日までの人権回復というか、人権獲得に寄与してきたわけなのだけど、それが「罵倒し、敵視し、聞く耳持たぬ」というのが「フェミニストのあるべき姿」であるかのように広められてしまい、まあ現在の惨状に至る……というのが正直な印象。

これの何が悲劇かって「全部オトコが悪い」「ジャップオス」その他ここに書くとBANされそうなレベルの見るに堪えない罵倒まで……それを言われたら、「積極的ではないものの、消極的にフェミニズムに賛同していた人たち(サイレントマジョリティとでも言うべきか)」どころか、「過去にフェミニズムに感銘を受け、積極的に賛同・支援していた男性」まで一括りにして罵倒してしまった形になるわけで、それは「じゃあもう支援しないよ」とため息交じりに見放されるのは仕方のないことだ。

百歩譲ってフェミニズム内部で「いやいやあなた、そんな言葉遣いじゃあ敵を増やすだけだ、言葉を選びなさい」と諫め合っていれば、そしてその様子を表に出していれば「まあ、一枚岩じゃあないよな、男社会と同様に」というフォローも効いたかもしれないが、何故かそういう反対の言葉は驚くほど表に出なかった。

もちろんちゃんと反論していたフェミニストや女性の著名人も数多くいた。だが彼らへの「SNS上でやたら声の大きい我こそがフェミニストと名乗る人々」(長いのだけど、あえてこう呼称する)のは反応はどうだろうか。「オトコの味方」「名誉男性」さらに……まあ本当酷い罵倒の嵐で、SNSから撤退せざるを得なかった人や、うんざりして完全に対立枠になってしまった人も数多い。

これが「同調圧力」じゃなくて何だというのか。

何かもうだいたい書きたいこと書いたので、尻切れ蜻蛉だけどここまでで。
ポリティカル・コレクトネスもだいたい同じ経緯だしね。


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