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「消えたい」と思うこと

40代も真ん中、絶賛休職中。
先週の木曜日、数ヶ月ぶりに自宅で独り「消えたい」と思った。もうやめたけど2,3年の間よくもわからず医者に言われるがまま躁鬱の薬を飲んでいた。いまいち効いてるのかどうかわからなかった。合わせて抗不安薬を2種、抗うつ薬(古い型)1種飲んでた。最近色々調べて試して副作用の方が強くて少しずつ減らして抗うつ薬(割と新薬)1種抗不安薬1種(頓服だけど今は毎日飲んでる)におさまって気分もだいぶと落ち着きました。この一年は自分の心と身体と向き合う一年だった気がします。他にも色々あるけどまた機会ががあったら。
そんなこんなで落ち着いてたけど不安、憂鬱になっても「消えたい」までいったのは久しぶり。
世間一般からすると「消えたい」「死にたい」に対する見解は色々ある気がして、「大丈夫なのか?」「甘えてるだけでしょ」「みんな苦しいよ」「そんなこと思ったことがないからわからないけど」
でもやってくる人にはやってくる。毎日楽しいことしてても薬飲んでても。
いろんなこと抱えてる人もいると思うけどなんとなく快適に生きていくには【共に在るには】を考えるんだろうなと。
嫌なことを押し付けられたら逃げててもいいし、嫌いな人間がやたらとまとわりつくのも逃げる権利があったりする。
「消えたい」と思うのって思っちゃうのよね。他にも自分に不都合で「思っちゃう」「信じちゃう」ってことがある。
多分最強の対処方法は「待つ」ことかもしれない。
でも自分の場合はベッドの中で待ってると耐えきれない待ちきれないになるので、なるべく横にならずにいるようにする。座って映画でも見れれば最高。
「消えたい」なんて思う暇ないくらい何かに夢中になる、ってつもりで働いてたこともあったけど何故か目的を見失い「消えたい」けど「止まれない」なんて状況になって気づいたら倒れてたので、行動しろ!っていうのも目的がハッキリしていない場合はお勧めできない。
人が生きている場合においては「どうしようもないこと」「今すぐにはどうにもならないこと」というのは残念ながら存在する。時間をかければ変えられるかもしれない。それは未来をしっかり見据えてコツコツ変えれば良い。
でも一時的にであれ半永久的にであれ【共に在る】ことはどうしても必要になる。そんな時、「ネガティブケイパビリティ」という言葉(著書)に出会った。「どうしようもない辛いことを受け入れる力」とでもいうのであろうか。
「待つ」という力も身につけてみがいていきたいものだ。

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