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私に優しくしてくれた人は、みんなに優しかった。

 作家という人間について多くの人々が勘違いしている。作家というのは無から無限の物語を紡ぐものだと思われがちだが、糸なくしては布が織れないのと同じく、全くの零から物語を生み出すことはできない。その糸は作家によって映画だったり絵本だったり音楽だったりするだろう。つまり、物語とは現実という布をほどいて再び編みなおす、現実の再構成に他ならない。


 私にとっては文字通りの意味で「少年の日の思い出」の中に強い影響を与えたエピソードがある。僕に影響を与えた人々への敬意として、個人名は伏せるがいずれも実際に私の周囲で起こった実際の出来事である。

思い出の始まり


 こにしようこさん(仮名)について

 
 なぜ彼女は僕のことが好きだったのだろう。小学生の頃にも人づてに「あいつはお前のことが好きだって!」と聞かされることがあったが、やはりあまり仲の良くない人だった。なぜ僕のことが好きだったんだろう。僕は僕が好きな女の子に好かれたことがほとんどない。その話を聞かせてくれた友達に聞いても「わからん」と言われてしまった。わかっていてくれよ、お前は俺のよさを。「でもあいつに好かれてもしょうがないよな」と彼は言った。僕もその時はそう思った。

 はっきり言って、彼女の印象は悪かった。中学三年間同じクラスだった。僕が毛嫌いしていた女子と仲良く二人で一緒にいたため、彼女の印象もすこぶる悪かった。彼女自身が僕を不愉快な気分にさせたことはなかったから、彼女は巻き添えを食ったかたちだ。実際、他の女子からないがしろにされているとも聞いていた。爪はじきにされていたのは教室での様子で何となくわかっていた。

 彼女が僕のことを好きだったと聞いたのは卒業式の後だった。

 僕は球技はできなかったし、部活は剣道部、オタクの部類で、一般に女子から好かれるキャラクターではなかった。モテるっていうのは学年で一番勉強ができるとか、バスケ部のキャプテンとか、とにかくかっこよくて面白いやつだとかだ。仮に、彼女のことを僕が好きだったならその女の子に好かれようと頑張った結果だとも言えようが、そうではないのだ。

 なぜ彼女は僕のことを好いていたのだろう。伝言ゲームで話がねじれて、全くの事実無根かもしれない。そう考えたほうが説得力がある。

 一つ思い当たるのは、僕がオタク気質な男子グループの中ではリーダー的な一にいたことだ。十人以上を連れて映画を見に行ったり、強い使命感を持って図書委員会で活動したり、たくさんの人に個人的に本を薦めて貸したり、そんな姿が彼女たちの樹を引いたのなら嬉しいが――そんなことがあるのだろうか? 女は孤独でもモテるが、仲間のいない男はモテないと聞いたことがある。そんな理屈で言えば、僕は友達に恵まれた人生だと強く自覚しているから、そういう意味では一つの「モテるための条件」を満たしていたかも知れない。

 一方で僕は嫌な奴だった自覚もある。今の僕と交際がある友人は驚くだろうが高校生までは生真面目で冗談を言わない、融通の利かない男だったと思う。しかし――

 こにしようこさんと僕の唯一の接点は図書室にあった。教室では会話をすることが全くなかったが、図書室に週に何度か来ていた。彼女の友達が嫌いだったから、彼女のことも嫌いだった。しかし図書室は何人に対しても平等に開かれなくてはならない。僕は図書室では図書委員として利用者に対して誰にも優しく接したつもりだった。笑顔で接したし、返却の度にありがとう、と声をかけた。それがひょっとすると、彼女には珍しいことだったのかも知れない。僕は全員に笑顔で本を貸して図書案内をしていた。図書室では「本を借りたい」という名目で僕にも話しかけやすかっただろう。教室ではそうもいかなかっただろう。

 僕のこの手記を読みたくないという友人もいる。今の僕と印象が大きく異なる。この手記の中で僕はいやなやつだ。この嫌な僕を好きだった女の子がいたというのは驚きだが光栄なことだ。今となっては彼女に連絡をとることはあるまい。同窓会に一度も出たことがないというのも、僕の彼らに対する軽薄な気持ちを象徴している。引っ越し先どころか、引っ越したことさえ誰にも伝えていない。今時同窓会のリストが存在しているかもわからないが、僕のところには同窓会の知らせは届かない。
 
 こにしさんが僕と同じように中学生時代から遠く離れたところで生活していることを願う。彼女に優しい人が僕以外にもたくさんいてくれたらうれしい。できれば、彼女には格別に優しい人に出会えていればうれしい。

 それを確認するつもりはない。

続く。

続き


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