2022年、今年もお疲れ様でした自分語。

毎年何となく、年の瀬にnoteを更新することになっているけれど、今年は23時を過ぎた今、まだ全くの手付かずで、内容も決まっていない。

さっきまで、友達とフォションのアフタヌーンティーに行っていたからである。
アフタヌーンティーでお腹いっぱい甘いものを食べて、たくさんの種類の紅茶を飲ませてもらった後、調子に乗って高島屋に行き、ずっと買うかどうか悩んでいたジバンシィのルースパウダーを買って、ニコニコで帰ってきたからである。

そのことでも書こうかな。もう時間もないし。

私は陰キャのクソオタクである。
服を買うのが恥ずかしかった。おしゃれも気後れして、メイクも気恥ずかしくて、そういうものに熱心な自分が気持ち悪くて、避けていた。

今はそれなりに好き。
人と話すこと、お店に行くこと、欲しいものを欲しいと伝えること、好きを好きと言うことを覚えた。

六年ほど前か、もうちょっと前のことかもしれない。私は一度、心が折れて仕事を辞めて、家に引きこもっている。
鬱ではない。診断は出ていないので。
神経内科に行こうと立ち上がったのは、すっかり良くなった後だった。子供の頃から知っているかかりつけの内科の先生が親身になってくれて(初めは嘔吐と胃痛で病院に行ったので)、なんか良くなるお薬を処方してくれて、その後、そのお薬の睡眠効果から立ち直るために神経内科に通うことにした感じ。

だから、結局あれが「心が折れた」だけだったのか「鬱」と病名がつくものだったのかは、今でもわかっていない。

その時のことは全く記憶に残っていないけれど、実は、正気に戻った瞬間のことはよく覚えている。

バンプのライブDVDを見た。
BFLY。
実は「死んでた」時にライブにも行っているけれど、実はその記憶は奥底に封印されていて、何も覚えていない。悔しいことに。
けれど、家のテレビでライブDVDが流れ出した瞬間に、私は声を上げて泣いた。

今まで死んでいた心が、突然、動きだした。その瞬間だった。

それで、そこから、まともな人間に戻るために、いろいろな決断をした。
その中の一つで、一番初めにしたのが「美容室を変える」だった。

それまでは、人と会うことが怖くて、ほとんど髪を切りに行けていなかった。

あまり他に類を見ない悩み事だと思うのだけれど、私はとにかく、外に出ると知らない人に道を聞かれるという習性がある。
この頃は、人に話しかけられるのが怖くて、不審者のようにボサボサ髪を後ろで括り、耳にはこれ見よがしにヘッドホンをつけて歩いていた。

髪は、事情を知ってくれている美容室に、半年から一年に一度だけ。
人と喋ると不用意に傷つけられるし、外に出たら途中に事故にでも遭って、きっと生きて帰って来られないと、本当に思っていたので。

それで、うんと可愛い美容室の、すごく可愛いお姉さんに切ってもらうことに決めて、ホットペッパーのアプリを入れてみたりなんかして、予約を入れた。
自分に似合わないような、ドアを握るだけで気後れしそうな、おしゃれで可愛い美容室。
カットもカラーも全部お任せで、似合うようにしてくださいと頼んだ。
自分の思う「可愛い」とか「いい感じ」とかは、何も信用できなかったし自信もなかったから、とにかく第三者から見て「いい感じ」にしてもらった。

帰って鏡を見た。
分からなかったけど、これが「いい感じ」なら、きっと大成功だと思った。この「いい感じ」を私が「いい感じなんだ」と、そう覚えればいい。

今から思えば、その日から、私は私の「自信」みたいなものを取り戻していく。

妹や友達にお願いして、一緒に服を買いに行った。やっぱり「いい感じ」はわからない。
派手で特徴的なアイテムばかりに目が行って、併せてみると、ちぐはぐ。それを修正してもらいながら、相談できる店員さんがいるお店を開拓した。

その頃から、アクセサリーが欲しくて、それも、ティファニーのネックレスが欲しくて、お金を貯め出した。お金は貯まるけど、ティファニーに行けない。ハイブランドのジュエリーショップは怖い。
その頃は、ハイブランドとかいうジャンルも知らなかったけれど。

そうしてコロナになって、加速度的に貯金が増えだしたので、妹についてきてもらって、思い切ってティファニーへ足を踏み入れた。

想像よりもお姉さんは優しくて、私のことを否定したりしなかった。
ほしかったネックレスを出してくれて、丁寧にお手入れの方法を教えてくれた。

可愛いコスメが欲しくなってきた。防具の性能は高ければ高い方がいい。
デパコスのカウンターに行ってみた。
ファンデをちょっと高いものに変えた。顔を上げて歩けるようになった。

靴はヒールのあるものの方が視界が高いし、背筋も伸びるから、それを好むようになった。

ダイエットもした。まあ、コロナの暴食で若干丸みに戻ってきたけど。

ウエストが細くなって、服を選ぶのが楽しくなってきた。敬遠していた形の服も、着てみればなんとかなったりするし、自分が気に入ってるなら着たいよなぁって思うようになった。

今まで店員さんに相談して買っていたイヤリング、自分で選んでみた。

デパコスだけでは面白くなくて、ドラッグストアでプチプラを混ぜる楽しみを覚え始めた。

靴、スニーカーも可愛い。

それで、今日は憧れていたジバンシィのパウダーを買った。
憧れてた。ずっと。恥ずかしくて言えない。
格好いいお姉さんが使う外国ブランドで、こんなちんちくりんが、BAさんに向かって「これが気になってるんですけど」なんて、どんな風に思われる?

そう思って、商品を見に立ち止まることすらできなかった。

そこに、2022年12月31日に、立ち止まって「タッチアップお願いしていいですか?」って自分で言いに行ったのだ。なんという快挙。

人間に擬態する、なんてよく言うけれど、もちろん私も言うけれど、結局はこの「普通の人なら当然のように育っている自尊心と肯定感のバランス」をどうやって保つか、という意味なのだろう。
私の場合は、自尊心が山のように高くて、自己肯定感もすごくあるのに、他者からの評価を低く見積もる癖がある。どれもが現実実態の私と全く釣り合っていない。仕事で折れたのも、今から思えばそれが原因。

それを調節する作業に、6年もかかった。
調節?確認?とにかく、自分で自分を見つめ直すのに、すごく長い時間を使ってしまった。
挫折は若いうちにしろって、多分こういうこと。
歳取ってから直面したら、立ち直る頃には、社会から弾かれるのだろう。
それもどうなん?と思うけれど。挫折のタイミングって調整できるもんじゃないのにね。

今年一年は、そういう「自分を見つめ直して、引き算していく」作業の歳だった。人間に擬態するためのガワを完成させていく作業、とも言う。
家ではウジウジしているけど、スイッチ入れて外に出たら大丈夫、って状態まではもってこれたなぁという感慨がある。

まあぶっちゃけ、ジバンシィに憧れていた理由も、ガンダムU.C.のリディが乗ってる機体「バンシィ」に名前が似ていたからなので、人間の本質などそう簡単には変わらない。
そんなもん。割り切っていこう。

さて、来年は何ができるようになるだろう。

やりたいこと、やってみたいこと、やらなくちゃならないこと、今まで以上にたくさん見えてきている。

2023年、まだまだ変わりたい。





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