本が読めなくなって
本が読めなくなって5、6年になるだろうか。
リサーチとして本を読むことはできるようになってきたけれど、小説はもうずっと読めてない。
読み始めても集中できなくて、途中で諦めてしまう。
これまでに何度も読んだ小説なら大丈夫かな、と思ったけれど、読み進めることはできても「楽しむ」ことはできなくて、無理やり読んでいることに気づいた時、悲しくなった。
ものごころついた時から、中学生にかけては趣味が読書しかなかったから、そこそこ読んでいたと思う。高校生の頃も、別の好きなことができても、相変わらず本は読んでいた。
大学生になって、適応障害の診断を受けるちょっと前から読めなくなった。
その時は、自分がそんな診断を後々受けるなんて思いもしなかったけれど、結局読んでいる途中にも色々な不安が駆け巡ってしまうからだった。
映画や舞台は、お金を払って見にいき、席に座ればもうあとは能動的なものだから、大丈夫なのだと思う。でも小説はページをめくる、自分で読み進める必要がある。その時にだめでも、また後で読むこともできる。それだからか、結局最後まで読めない。
読めない自分がショックで、もうここ3年くらいは読もうとチャレンジすることも無くなってしまった。
「自分生きるの下手だな」と気づいた時から5年ほど経った。
最近は、自分が上手く生きれるように、環境を変えれば良いか、とか、考えかた・認知の仕方を変えよう、とか次のステップを考えられるようになってきた。
自分でも思うし、この前他人にも言われたのは、組織で動く(働く)ことに向いてない。思い介せば、修学旅行もクラス行動の時、とある場所で別のクラスと一緒になった時は、そっちに紛れ込んだり、大学生になって班で課題をやらないといけない時も1人で黙々と進められるポジションを選んだりしていた。
自分主導でものを作ったり、お店やる方が向いてそうだね、と言われたこともあったけれど「それで生活できたらいいんですけどね」と返した。
それに私は学んだり、勉強することが好きだから、まだ20代半ばなんだから、甘えられるうちは若手という立場で色々教わりたい。
小説が読めるようになったら「生きるのが下手」から脱することができた合図。
早くあの幸せな読書の時間を過ごせるように、自分をコントロールできるようになりたい。
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