精神的な自立への道

南Q太の漫画が好きだ。

高校生の時、スクナヒコナの単行本を古本屋で買って以来ファンだ。
絵柄や描写が近い作風の作家の単行本も色々買って読んでみたけど、
かなり大雑把に言うと、「最終的に女が折れる」展開が苦手で、そういった展開の少ない彼女の著書をより好むようになっていったと思う。

狭い、まだまだ自由のきかない小さな世界で生きる私にとって、漫画の中はとても開放的できらきら輝いて見えたし、そんな中、男に媚びずに颯爽と生きる主人公たちのように生きたいと、彼氏もいない高校生の私は思っていた。
好きな男に振り回されない、自立した人間になりたいと。

高校を卒業したあと、大学に進み、彼氏もでき、何人かお付き合いしていくうち、だんだんと「結婚」という次のステップが見えてくる。
これについてはまた別の記事に書きたいと思っているんだけど、私は自己肯定感が低く、なんとなく「結婚」をすることによって、自分の欠けまくったピースを補完でき、やっと一人前として世間から扱ってもらえるんじゃないかという認識があった(ことに後から気が付いた)。
そして「結婚」は私の中では「自立」と対極にあるものだった。
経済力も生活力もない自分は人と暮らさないと普通の生活はできないと、いつの間にか人に寄りかかって生きる人生を選択していたのだ。そのことに気付かないまま。

そのあとは一度離婚をし、もともと友人だった今の夫と再婚したがマインドはそのまま。良い書き方をすると共生、嫌な書き方すると寄生。
途中で子どもも生まれて、ますます自立から遠ざかった。
でも世間一般的には両親が揃っていることが良しとされていて、私もそれを信じていたから我慢していた。
また、周りの目も気になった。2度目の離婚、片親、お父さんのいないこどもにさせてしまうという負い目。八方塞がりだった。
4車線の大きい道路を渡るとき、いつもトラックがやけに目について、轟音を立てて目の前を通過していくときに、
「ああ、今轢かれてたら楽になったかな」と良く思っていたし、
毎日別れたい、別れたいと思っていて、されたこと、言われたことをすべてノートに記録していた。

しかし、ある日、ついに離婚に踏み切ろうと思うきっかけになる事件が起きる。
最初は不安だったし、あれよあれよと話が進んでいき、ついこの間まで、この決断は本当に正しいのか?と自問自答する日々だった。もっと自分が我慢すれば、丸く収まるのでは?我慢できない私が悪いのかもしれない…。私は恵まれてる方なのでは?これまでもずっと悩んでやっと出した結論だったのに、いざとなると足がすくむ。
引っ越しに先立ち、子どもの保育園の転園が決まってからはもう後戻りできない状況になったし、
心がついてこないながらも、準備を進めていたのだけど。

その途中、引っ越す予定の実家の自室を掃除していた際、たまたま再び南Q太の漫画を読むことがあり、「自立した大人になりたい」という気持ちを、ふっと思い出したのであった。
埃の被った段ボールに収まっていた、無色透明で柔らかい、高校生の私が大人に憧れて形作った思いは、ちょっと青臭いけど、姿勢がきゅっと良くなるような、風通しがいい気持ちになる。
また、他人からどう見られるかという不安からも何故だか解放された。
無理やり夫婦でいて毎日塞いでるより、1人でも、楽しければそっちの方がいいもんね。当たり前のことを思い出す。
子どもがいるからって身動き取れなくなることなんてなくて、(多少の物理的、金銭的な制限は生まれるのはしょうがないとして…)
この気持ちを抱いて、一緒に、前を向いて生きていきたい。

まあ実家に厄介になるので経済的には全然自立できていないんだけど。
(都営住宅は収入的にNG、普通に賃貸で部屋借りたら相対的貧困に、という微妙な私の収入…)引っ越しが落ち着いたら、転職して給料上げられるようにがんばります。

とりあえず近々に本屋に寄って、久々に南Q太の新作を探そう。
いつだって彼女の漫画は丸まった私の姿勢を正して、背中を押してくれるから。

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