昨年の夏、父が亡くなった。
警察からの連絡で知らされた。
ドラマみたいだと思った。
父の部屋にはわたしの写真や診察券があったそうだ。
どんないきさつで、どんな気持ちで、そんなものがそこにあったのだろう。
 
父は心肺停止の状態で発見され、警察が立ち合い、死亡が確認されたそう。それから警察がおそらく国家権力を行使して調べ、わたしと従兄にたどり着き、ちょっとした差で従兄が先に知ることとなった。関係性から、まずはわたしの承諾なしには何も動けないのだそうで、すぐに決定せねばならないことがいくつかあった。
 
警察から電話があったときはもちろんすごく驚いた。話を聞いた後は「国家権力すげぇ」が率直な気持ちだったが、今回のことでは感謝の気持ちも同じくらいある。
 
警察とのやり取りはしばらくあった。初めのうちは従兄との間に入ってもらった。ただ、彼らもその専門家ではないので直接やり取りするよう優しく促され、もし何かあったら相談してくるのは構わないというので、気はすすまなかったが仕方なくやり取りをすることにした。
 
従兄は、父に何かあったらと伯母から頼まれていたこともあって、やり取りを始めた段階ですでに引き受けるつもりでいてくれた。それも、とても素直にというか、少しの負の感情も無いような印象だった。それでわたしたち姉弟は速やかに一切の相続を放棄し、従兄に引き継いだ。
 
警察もわたしたち姉弟も、母には知らせていない。
余談だが、小泉今日子さんは永瀬正敏さんと離婚後、永瀬さんに万が一のことがあったときは面倒を見るとか骨を拾うことになるんだろうとかいうようなことをサラッと言っていた。
母に知らせていたら、母はどうしただろう。
 
両親が離婚したのはわたしが小学校低学年、弟は幼稚園に入るかどうかくらいだった。それ以来数十年、たったの一度も会わなかったし声も聞かなかったし手紙も無かった。
 
一度だけ、母から、ショッピングモールでばったり会った話を聞いた。そのとき父は○○(弟の愛称)は元気かと聞いてきたそう。
わたしのことは聞かれたというより母のほうから、結婚して今は家を出たことを伝えたそうだ。
 
その、1分ほどで終わるような話に、そのときは少しうれしくなった。
 
もうひとつ。
 
高校生の時の郵便局のアルバイトで偶然、父と同姓同名の名前とその人の住所に遭遇した。ただ、そのときは同一人物かどうか分からなかったし、誰にも言わなかった。
 
この数十年でその2つだけが、知ることができた消息と消息らしきものだ。
 
その消息らしきものが、実際に父であり父の住む場所だったことを、相続放棄の手続きをする中で確信した。
相続放棄の手続きは思いの外スムーズに済んだ。
 
その後、父の家を片づける中でわたしの診察券や写真出てきた旨の連絡があったときは、なんで?が10個くらい頭に浮かんだ。何を思って数十年も父のもとにあったのか。どんな状態でそこにあったのか。後生大事に保管されていたのか。押入れ奥にでもゴミか何かのように落ちていたのか。知りたかった。それだけが心残りだ。
 
ただ、それを知りたいということはさらに従兄とのやり取りが増えるし、もしかしたら直接会わなければいけなくなるかもしれない。弟には父のことで物理的にも精神的にも負担をかけるのは申し訳ない。その思いは外に出さずに墓場まで持っていこうと決めた。
 
一切が済んだはずの時期になっても従兄からは何の連絡もなかった。「もともとなかったものが今ふさら湧いてきたところで、元はなかったんだから」という弟の意見により、わたしたち姉弟の中で父の件は終了となった。弟はドライだ。
 
弟には父の記憶はない。したがって、父への感情も無いようだ。無理もない。このことに限らず基本的に弟は幼少期の記憶がないという。父がわたしたちのところから去ったとき弟は幼稚園に入るか入らないかの頃だ。マイナスの感情はあってもプラスの感情、父であるという認識や息子としての責任のようなものはないだろう。
 
一方、わたしは当時お父さん子で、後にも先にも父に対して嫌な感情を持ったことはない。この数十年の間にもたまには思い出したこともあった。父がいなくなったことはわたしにとって長い間深い心の傷となっていた。
 
今度のことで、聞けるものなら聞いておきたかったと思うことがある。
父は離婚後こちら側のことはどう思っていたのか。
映画やドラマなどでよく見聞きする、親の離婚後も月に一度程度はいなくなったほうの親と子供が会う選択肢はなかったのか。それとも、選択肢があったとしても、母にはわたしたち姉弟を父に会わせたくない理由が何かあったのだろうか。
慰謝料や養育費、母が背負うことになった当時始まったばかりの住宅ローン支払いなど、わたしの知る限り、父からの送金はなかったようだが、お金問題はどうしたのか。
 
母はこの数十年間、ショッピングモールで一度だけ会った話以外、父のことは全く話さなかった。母は健在だから聞けばいいのだろうが、どうせはぐらかされるから聞かない。
 
本心としては、父の子として、情報として、それを聞いておきたかった。
相続放棄の意思は我々、殊に弟の意思としては至極もっともな判断だから無視するわけにいかなかったにしても、何よりも、父の最後の一切をわたしがしてあげられればよかった。たぶんそのことはこの先一生、人生最大の心残りになるだろうな。

映画でもドラマでもない、フィクションでない、自分に起こった現実として何かの形で残しておきたいと昨夏以降考えていましたので、この企画はわたしには大変フィットしました。早速noteにアカウントを作り、乱文ながら備忘録のつもりで書き記してみました。読みにくかったのではないかと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

#家族の心のこり

投稿するための詳細が分からず、手間取って締め切りを過ぎてしまったのが残念です。

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