2040年問題について取り留めもなく思う架空ベテラン作家のエッセイ

 先日、私が連載をしている雑誌スプリングキャノンの担当からとある連載の話が来た。彼からの話だからどうせまたキナ臭い物を書かされるだろうと、心配しながら千代田区にある改造社の本社ロビーへ行ってみると、やはりそうだった。

「伊東さん。今度うちで政府批判の特集を組むんですけど、人口問題についてエッセイを執筆して頂けないでしょうか。」

 口を開けば支持率低下と独立国家の話しかしない左寄りばかりの改造社の誘いなので、初めは断ろうと思った。

 どうせ私が何を書いたところで火の玉集団の燃料の一部にしかならないのだろう、と。
 恋愛小説を志して上京した私を騙くらかして千代田区に閉じ込めてまだ私にレフトウィンガーの人柱にさせるのか、と。
 お前らに付き合っていたら左に寄りすぎてスクロールに飲み込まれ圧死する、と。


 しかし、話を聞いてみると割と真面目な相談だった。

 どうやら政府関係者からのコネで各出版社にSDGs関連の記事を組んでくれないかと話があり、改造社は2040年問題を取り上げるそうだ。

 書くのは構わないが私は一点が気になり、「政府関係者からの話なのに政府批判の特集なんですか?」と聞くと、

「もちろん表向きは良い事を書きますよ。でも、うちはバイアスが掛かってますから、何を書いても政府批判だと言われるでしょう?まぁ、実際に批判と取れる、というか取らせる書き方をしてるんですけどね。どっちとも取れる様な書き方で。だから今回も裁判や圧力に脅かされない様に気を付けて言い訳が出来る範囲で批判をしていきますよ。」

 いつも通りである。大手機関から仕事を貰い、その仕事を使って世論を焚きつける。しかし、注目はされるから改造社 の名は売れて、広告のイロハとかよく分かってない有象無象さん達が目立つ媒体だと盲目的に仕事を依頼する。
 旨い話だけ上手い事食べて、でも見た目と名前はちょっと格好良く見せる。現代社会の泥土を生きる雑食外来種雷魚みたいな集団である。

 結局、単価が良いので受ける事にした。



 さて、では何から書いていこうか。2040年問題は超高齢社会の末路と騒がれているから、今回は問題が発生した事の発端と、現在の大衆意見の話を書いてみよう。

 研究者の話では2040年は「肩車型社会」らしい。昔は1人の高齢者を11人の若者が支える「胴上げ型社会」であったが、2040年は1人の高齢者を1人で支える計算になるらしい。

 この支えるというのは年金だけじゃなくて、介護とか色々と含めた勘定である。それを人口統計とか使って諸々簡単に概算して「肩車型社会」と早くも名付けてるらしい。
 余談だが、11人で支えていた当時は「胴上げ型社会」なんて名前はもちろん付けられていなかった。付けられたのは最近で後付けの名前である。第一次世界大戦中に「第一次世界大戦」と呼んでいなかったのと同じ理屈ですね。

 こうやって胴上げ型とかサステナブルとか緑黄色とか社会全体を一括りにして、「これは社会全体の危機です。この報道を見てる貴方も漏れなく巻き込まれるので逃げられませんよ」と煽るのがマスコミのやり方である。
 裏付けや名付けはどこぞの学者教授なのだろうが、その学者もマスコミの傀儡だから仕方ない。本を売りたい学者をギャラや知名度で弄んで利用するマスコミ様には勝てないのである。
 話が横道にソレテナブルしてしまった。気が緩むとすぐ違うハナシしてしまうんだってやっと気づいたの。


 この「胴上げ型社会」だった頃に年金というシステムも作られた。当時は一家庭に子供が沢山居て、それに対してジジ様ババ様は一人二人だったので、そりゃこの構図がいつまでも続くなら胴上げしてれば成り立つと思うはずである。

 この沢山の子供がいつか沢山のジジ様ババ様になるとは誰も思ってなかったのだろうか。

 いや、実際は誰かしら思っただろう。年金を推し進めようとする時の有力者団体に対して「ちょっと待って下さいよ!こんな計算50年もしたら破綻しませんか!?」と時の有識者が言った筈だ。

 しかし、年金を推し進めた方が、時の有力者からしてみれば絶対に得だっただろう。ジジババ様の金面倒を国民に体よく押し付けられるからね。
 自身もなんかやったった感が出るし歴史の教科書に載るかもしれない、ゴタゴタと問題事になった時には自分は死んでいるし関係ない、さもあれ。てな具合で。

 そして、進言をした有識者は自家用車を運転中に謎の爆破、もしくは海に飛び込むという謎の口封じをされた筈である。

 ここまでが憶測。ここからが本題。

 
 今現在、高齢者を支える机上の空論が崩壊していると若者を中心に不満が溜まっている。「年金を作った当時の人はなんでその時の人口分布が今後も続くと思っていたんだ。」といった具合で。

 当時の人がそう思ったのは、人口分布のグラフを見て思い込みが掛かっていたからである。

 人間はグラフを見ると勝手に思い込みが起きてしまうそうだ。
 例えば、企業の業績を棒グラフで簡単に表すとする。右上がりで順調に伸びている業績棒グラフを見た人は「将来も業績が伸び続けそうな順調な企業だな」と「将来の事は分からないのでこのグラフは何の安心材料にもならないな」の2通りの感想の内、前者を浮かべる人が圧倒的に多いのだとか。

 恐らく昭和の人達は教科書とかテレビとかでしょっちゅう人口グラフと人口ピラミッドを見せられ続けてたのでしょう。その結果、日本はこの先もこの人口バランスが続くから安心。と、考えてしまったのでしょう。

 だから、2040年は「肩車型社会」になってしまうんだぁ!と絶望しているのである。昭和の人達のせいだぁっ!と若者達はほうぼうで。


 しかしながら、絶望している若者達に私は言いたいのである。
 貴方達も思い込みに陥ってませんか、と。
 私の嫌いなカタカナ用語で言うなら、バイアスに囚われてませんか、と。

 何と若者達も同じく、今の絶望的な人口バランスがこのまま変わらず続くと思い込んでいるのである。2040年はまだ17年後である。
 今の内に何か出来る事をやっときませんか、と言いたい。言いたいっていうか、もう書いてるけど。

 私は柳沢元厚労相ではないのでマシンの様に産んで増やせと言ってるのではない。そうは言ってないし、柳沢元厚労相は産まない自由について言及したかったのにミスっただけである。

 何もせず楽な方に流された結果、歪な超高齢社会が出来たのである。子供産んでも金が掛かるだけ、とか言って行動を何もせず文句だけを言ってるのではないだろうか。
 有力者や権力者のせいにして、愚痴だけマシンになっているのではないか。

 20年近く先の社会に「肩車型社会」なんて名前を付けた奴は今すぐ引っぱたいて、若者は行動を起こして未来を変えるべきなのである。政府に文句ばかり言って諦めていないで、皆で力を合わせて出来る事を考えて欲しい。
 ここが今日の逆張りポイントです。逆に批判してる方を批判するっていうね。


 続けて色々書きたいが、このエッセイは文字数制限が3,000文字なので、そろそろ締めなくてはならない。
 気が付けば改造社の目論見通り、左っぽい内容とも取れる文章を書いてしまった。嗚呼、そんなつもりじゃなかったのに。まぁ第一回という事で全く練らない脳直駄文でも許されるだろう。

 次回は異次元の少子化対策殺法について書く。

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