カラー・アウト・オブ・スペース―遭遇―

カラー・アウト・オブ・スペース -遭遇-(2019年:アメリカ・ポルトガル・マレーシア)
監督:リチャード・スタンリー
出演:ニコラス・ケイジ
  :ジョエル・リチャードソン
  :マデリン・アーサー
  :ブレンダン・マイヤー
  :ジュリアン・ヒリアード
  :エリオット・ナイト

熱心な親日家で、懐事情からの仕事量の多さと、確かな演技力かつ個性的な額の広さで、自分はニコラス・ケイジを心の中で「ニコラス先輩」と呼ばせてもらっている。そんな先輩が十数年ぶりにメガホンをとったリチャード・スタンリーと組んだ意欲作。原作はクトゥルフ神話の源流を創始したハワード・フィリップ・ラブクラフトの名作の一つ、「宇宙からの色(異次元の色彩とも)」。
ラブクラフト作品は映像化が難しいと有名であるが、スタンリー監督が満を持して映像化するにはかなりの試行錯誤があったと思われる。あのジェームス・キャメロンとギレルモ・デル・トロも「狂気の山脈にて」を作品化しようとしたが頓挫した経緯を持つ。さあ、どんなふうに料理してくれるのかと楽しみでもあった。
念願の田舎暮らしを満喫する父とがん治療の療養をしつつ在宅ワークを続ける母。葉っぱをキメても素直なナード気味の長男。絶賛反抗期でオカルト嗜好、でも家族が心配な長女。そして感受性の強い眼鏡の弟。それぞれ思いはあるが、田舎暮らしを続けている。ある夜、そんな家族の庭に異様な光を放つ謎の隕石が落下。恐ろしい異変が始まる。
先輩が終始イライラしており、もったいない。演技力が確かなだけに観ていて不安になってくる。ホラーなのでそれでええやん、て話にはなるが、危機に立ち向かう堂々した姿を観たかった。先輩は追い詰められたときに輝く(頭でなくて)。序盤は割と家長的な父親像でちょっとしゃくに障ったが、後半は狂っていき迫力がある。先輩は眼の演技がいい。
マデリン・アーサーが多感なティーンエイジャーの長女役を好演している。がんの母を心配しても素直になれず、年上の水文学者への憧れや着ている服を指摘されると不貞腐れてしまう。彼女の望み空しく一家は悲惨な目にあってしまうのが悲しい。こういう女優さんは将来大化けしてほしい。
なかなか映像化が難しい作品をよく選んだと思う。具体的なクリーチャーは現れない。動物の成れの果てや不幸な家族の姿等は現れるが、脅威になることは少ないのでヤマにかける。原作は未知の怪異が人の生活を侵食していく過程を淡々と描いているところが恐ろしかった。映画というコンテンツ上ヤマとサゲを作るのは大変だったろうと思われる。映画を視聴した後に原作も読んでもらえれば言いしれようのない恐怖を感じてもらえるだろう。
「見たこともない色」も大事で、映画の表現上何かしらの色をつけなければならないというのも非常に難しかっただろう。小説なら想像で自分の恐怖の色を思い描くことができるが、視覚に訴えなければならないことを考えると「?」と考えてしまう。読み手に妄想の余地を与えるのがラブクラフト作品なので、こういう点が映像化に向かないと言われる点だ。
クトゥルフ神話マニアが喜びそうなくすぐりが入っているのは好感が持てる。郡市の名前、建設計画中のダムの名称、水文学者の名前と出身地等々。思わずニヤッとしてしまうが、長女の持っていたペーパーバックのタイトルがいただけない。「ネクロノミコン」はボスアイテムだ。あと水文学者が着ていたTシャツが欲しい。
ラブクラフト作品好き、クトゥルフ神話好きの自分の感想としては、不可気味の可もなく不可もなくといったところ。あえて映像化が難しい作品を選び、ニコラス先輩が確かな演技力で一家ごと狂っていく姿を観せてくれたのはよかった。しかし、ストーリーにヤマが乏しく、サゲも弱いのが残念。監督の復帰作としては上々だろうと思うが。
最期に余談を。その昔、妹と母が京都でニコラス先輩に遭遇したことがあった。先輩はびっくりしている二人を見つけると、手を挙げて駆け寄ろうとしてくれたが、自分のセキュリティに止められて車に乗せられたという。車に乗るまで手を振り続けてくれたと二人とも喜んでいた。やはりニコラス先輩は自分の心の先輩である。

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