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胸焼けしちゃうね

(noteらしく主に自分語りです。3月に書いて放っといていたものです)

最近はお笑いの世界を覗くことにハマっている。楽で居心地が良いからだ。

前は演劇方面のオタクだったがコロナの影響で足が遠のき、最近は推し俳優の情報を薄目で眺めているだけだ。一生懸命稽古したものが公演中止になるとか、感染予防対策とか客含めてピリピリした雰囲気がなんだか辛くなってしまい今は距離を置いている。

演劇界隈から距離を置き、アイドルの動画やクイズの動画、主にYou TubeやNetflixで動画を見て過ごしていた。最終的にたどり着いたのがM-1グランプリで、2020からリアルタイムで見るようになった。私はお笑いに対して一つも思入れがないので、中止になっても負の感情が浮かぶことは無い。心揺さぶられることなく安心して見られる。最初はそのような理由だったのだが、徐々にお笑い界隈の居心地の良さに引き込まれていった。

お笑い界隈の良いところは考察班が少ないところと、楽しむための知識が俗っぽいところだ。

演劇に限らずドラマでもアニメでもそうなのだが、作品のメッセージを5000000%感じ取れないと負けみたいな雰囲気が苦しくなってしまった。そしてメッセージを感じとるためには多くの知識・教養が必須だった。長らく無教養・無知識で人生をやってきたうえ、学生生活が終了すると同時に「もう勉強しなくていいんだ〜ヤッタ~!」となった人間なので何も得ようとする気がなかった。もう何も学びたくねぇ。演劇界隈にハマっていながら私は周辺知識(歴史・芸術・音楽)に何一つ興味がなかった。そっち方面のオタクになる才能がない。こんな奴は界隈にふさわしくない。こういう奴が文化を破壊する。他オタクとほとんど交流してなくてマジで良かった。

お笑い界隈は基本面白いか面白くないかの価値が主なので、とても居心地が良い。楽しむための教養が俗っぽくて良い。面白い面白くないのジャッジの基となるのは己の価値観が主で、教養や生まれ育ちがそんなに試されない感じがする。

今私が一番アツいと思っている漫才師ランジャタイを楽しむ基礎知識はおそらくT.M.Revolutionくらいである。ふたりともほぼ同世代なので90年代後半〜00年代前半カルチャーが何とな〜く分かればより楽しめるけど分からなくてもよい。(むしろ分かってる方がより混乱するときもある。大学生とか高校生でランジャタイ好き〜って方も結構いるっぽいので、楽しむためには知識すら必要ないのかもしれない)

M-1グランプリ2020で言うと、ニューヨークの「おでんツンツン男」に対する「古ワルい!」というくだりが俗っぽくてとても良かった。おいでやすこがの「lemon」っぽくない歌。錦鯉の「CRまさのり」

俗っぽさ最高。

あと芸人さんは「性」と「金」など低俗な話をスッとしてくれるのでとても良い。俳優さんやアイドルは「性」と「金」が御法度のようなところがある。それはそれで崇める喜びを感じられて良いのだが、己自身が欲望にまみれているので「こんな汚い俺が推しを推すなんて……!」と辛くなる時がある。演劇界隈にいるオタクは常に身奇麗にしているし、世の中を良くすることを考えているし、下世話なことは多少言うけど下品なことは言わない。いつでも自分自身を良くしていきたいと考えている。素晴らしいことだ。それが私にはとても息苦しかった。

演劇で求められる教養と比べると、お笑いで求められる教養は明らかにコストが低い。知識が追いつかなくてヒギィとなっていた演劇界隈に居た頃に比べると格段に居心地が良い。意識が低い人間が向いてない界隈に居続けてしまったな……。

とはいっても精鋭のお笑いオタクのようにアグレッシブに行動出来るわけではないので、「たまに見てるだけで別にオタクじゃないですよ」スタイルでいようと思っている。のめり込みすぎるとなんでも辛いし、ファンになってしまうと「ファンとしての正しいふるまい」を求められるようで、それがちょっと嫌というかしんどいので。(お笑いオタク界にもオタク同士の悪口を言いあう匿名掲示板とかあったりするんだろうか……。どこもあるか……この世は地獄だし)

数週間前から始まったマヂカルラブリーANN0で「聴きながら寝ても良い」という事を二人が言ってくれてとても気が楽になった。寝てもいい、気軽に楽しんでいい、なんなら楽しまなくてもいいものを自分は求めていたのかもしれない。何これ?って思いたいし笑い話にしたい。


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