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山の掌の上で食む

山に登るのが好きです。もっぱら低山ではあるのですが、下山した後の気持ち良さは何にも変え難く、すぐに次の計画をしては楽しんでいます。

何が好きか、と聞かれたら、まず思い浮かぶのがご飯です。

荷物の奥でひしゃげてしまったおにぎりの美味しさたるや。先日、山に登ったときに、仲間とこんな話題になりました。お湯で溶かせば出来上がるフリーズドライのスープが、なぜこんなにも美味しく感じられるのか。

たしかに最近のフリーズドライは、モノ自体が本当に美味しいのです。ただ、山の上で感じるのはそれだけではないでしょう。適度な疲労感や登頂の達成感などは、間違いなく味覚に影響しています。

舌で感じた味、鼻で感じる匂い、噛むときのテクスチャなど、私たちは何かを食べたとき複合的な刺激を受け取っています。でも美味しいを因数分解してみれば、食べた人を取り巻く環境という変数は無視できません。環境には様々なケースを当てはめることができますが、山はその数値が(私にとっては)異常に大きいために、答えとしての美味しいが最大化してしまうということなのでしょう。

環境おそるべしです。しかもこの環境、ほかの要素と比べて、結果への影響の仕方が大きいようにも思えます。

たとえばレストランの味は、素材やシェフの腕といった外部からの「刺激」要素と、店内の雰囲気やホールスタッフの態度などの「環境」要素に分けられそうです。ただ、レストランがひどく汚かったために、美味しいはずの料理が残念に感じられる場面は容易に想像できますが、いくら料理が美味しすぎたからって散乱するゴミまで美しく思えたりはしないでしょう。

繰り返します。環境おそるべしです。人間の感情など、副産物に過ぎない気がしてきてしまいます。もしかしてこれ、美味しい、に限った話ではないのかもしれません。環境をデザインするような方々は、人間のそんな身体特性を知り尽くしていて、私はまんまとその手のひらの上で踊らされているようにも思えます。

お客様に美味しいと感じていただくためにできること。それは決して、調理の範囲だけにとどまりません。

よし、手始めに掃除しよう、と心を新たにしています。

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