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承認欲求とパンケーキ


ほんの一瞬でも時間と空間の中で「自分」と目を合わせてしまうと、孤独なんだと知る。
同時に、無力さ と ただの人間であることを痛感する。平凡よりも下の、保険適用外の人間なんだと知ってしまえば、あとはもう落ちるだけ。「早く誰か助けてよ」って責任転嫁して楽な道を選ぶだけの時間を過ごすしかない。だから、ほんの一瞬足りとも隙を見せたくはないから、作品を作ってる。脳味噌に殺されちゃうからね。




この活動を始める前、始めた瞬間くらいまで、僕は流行の波を上手に乗りこなす明るい曲に嫌悪感を覚えていて、でもそれがきっとただの僻みであると知るのはまだ先で、自分はこんなもんじゃない って、実力も 努力をする才能すらない自分が答え合わせをしてしまう前にどうか寿命が尽きて、天国で過去の栄光とか野望とかを語る化物に落ちぶれるまでの時間稼ぎをしているような日々を過ごしてた。成功者が語る「あんな日々にも意味があった」っていうのは多分嘘だと思う。成功者では無いからわからないけど、意味の無い日々も存在する。逆に意味のある一日を感じることの方が少ない。
何かを成し遂げた時、その理由として無理やり記憶から過去を呼び起こしてなんでもない日々を意味のある日々としてすり替えているだけのようで、後出しジャンケンみたいで、都合がいいなぁ と思う。



誰にも求められないなら、生きている意味が無い。出来れば僕の大切な人たちにはそう思わないで生きていて欲しいんだけど、僕はそう思って生きてる。だからきっと作品を作ってるわけで、売ってるわけで。ただただ面倒なSNSをやっているわけで。
自分の機嫌は自分で取らないといけない、でも「これをすればウケる」とかは分からない。そんなに頭良くないし、たぶん凄い疲れる。
もし僕の承認欲求がもう少し大きかったら、もっと分かりやすい詩を書いてる。誰にでもわかるように、誰にでも響くように。でもそんな書き方は僕には出来ない。しょぼい承認欲求のくせに結局本当の自分を知って(理解して)ほしいから、自分の感覚だけで詩を書いてる。そんな身勝手な承認欲求に蝕まれてるくせに、「響いてほしい」とか都合のいいこと本心から思えるはずないでしょう。
普通に生きていたって、分かり合える人間なんてほんの0.1%くらい。一年間関係が続くのは0.001%くらい。例えばこの先何百年生きたって、変わらず友達は少ないままだ。毎日宝くじの当落発表を目にしてるみたいな人生だから、自分も他人も信用しない方が気が楽だ。それでも信用してしまうのは、救われたい からっていう自分勝手な欲みたいなもんなんだと思う。
知らんけど。




自分を認めてもらうために、絵を描く人、歌を歌う人、写真を撮る人、恋人を作る人、結婚する人、子供を作る人、承認欲求味の肉の塊でしかない僕ら(全員じゃないよ って言わないといけないご時世ほんと面倒臭い)が誰かを愛することに一々理由を探さないのは、結局は孤独な自分に気付きたくないからなんだと思う。





知らんけど。








🐈←ねこ。