30年前の野球のノスタルジー:日本未公開野球映画を観る(57)
Trading Hearts(1988)
※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。
野球好きの少女との出会い
戦力外になったレッドソックスの投手がキャンプ地フロリダで野球好きの少女と出会い、その母親と3人で生きていく選択をするドラマ。
1957年春、レッドソックスのベテラン投手ビニーはキャンプ中に解雇されて所在なくしていたとき、近くのトレーラーハウスに住む11歳のイボンヌと知り合う。心優しいビニーに野球狂のイボンヌはすぐ懐き、売れない歌手でシングルマザーのドナとも知り合う。ドナはビニーのアプローチに反発しながらも惹かれていくが、ニューヨークに住む裕福な元夫ロバートに娘の親権をとられてしまう。追われる身となった3人だが、現役続行をかけて参加していたキューバの球団ハバナ・シュガーキングスのキャンプ地に警察が現われてイボンヌは連れ去られ、ビニーは古巣レッドソックスとのオープン戦で打ち込まれる。3人で生きるために歌手の道を諦めたドナは、ビニーの野球のせいで娘まで奪われたことに絶望し、彼と別れる決断をする。
数か月後、父ロバートと暮らすイボンヌからの手紙を受け取ったビニーはニューヨークの家を訪ね、彼女を取り戻そうとするが、逆にロバートに殴られて気絶してしまう。しかしイボンヌは母とビニーと3人で暮らしたいと訴え、ロバートはそれを受け入れる。
3人はフロリダに戻り、ロバートが別れ際にイボンヌにくれた1万ドルを元手に観光客向けの「ワニの殿堂」をオープンして繁盛し始めるが、親権放棄の書類を持って来たロバートにビニーが1万ドルの礼を言うと、そんな金は知らないと言う。金はイボンヌがニューヨークの学校で子どもたちに野球カードを売って稼いだものだった。ビニーはレッドソックス時代にテッド・ウィリアムズのサインを代わりに書いており、イボンヌにも書いてやっていたのだ。
古臭くないノスタルジー
本作は1988年に製作された、1957年が舞台の映画である。原作もないのに30年前を舞台にした意図は不明だが、メジャー球団が16しかなかった「古き良き」時代のアメリカの野球や生活を、20世紀末という比較的今に近い時代の表現や技術で描いているため「古臭さ」をあまり感じず、非常にのんびりと楽しめる作品になっている。
例えば、40近い独身男と11歳の少女が仲良くなり、二人で行動するようなことは現代ではほとんど考えられないが、ビニーとイボンヌは実に屈託なくそうしており、まるでおとぎ話のように見える。また野球のシーンの質は高くないものの、シンプルでのどかな春季キャンプの様子はうかがえ、しかも当時まだAAA級インターナショナル・リーグに所属していたキューバの球団シュガーキングスもそこにいる。そして野球好きの女の子は野球映画を無条件に明るくする存在で、イボンヌ役のジェニー・ルイスの活発さはとりわけ相応しい。
ちなみに本作はルイスの子役としてのキャリアの出発点だが、彼女はその後音楽に転じ、「オルタナ・カントリー」と呼ばれるジャンルのバンド「ライロ・カイリー」のボーカルを経て今はソロシンガーとして地位を確立している。母親のドナ(歌手でもあるビバリー・ダンジェロ)は劇中で「煙が目にしみる」などのスタンダードも歌うが、カントリー・ポップ的な歌が得意なようで、ルイスが後に歌うことになる音楽と似ているのは偶然にせよ面白い。コテコテのカントリーよりも聞きやすいライトなカントリー風のサウンドは、本作ののんびりした雰囲気に合っている。
3人で「夢の後」を生きる
本作も数多い「野球後」映画の一作で、家庭を持って第二の人生を生きるという選択もよくあるものだが、パートナーとなる女性も歌という夢を諦めており、二人とも「夢の後」を生きることにするのがユニークなところだ。
ここでビニーはわりとすんなりその決断をしているのに対して、ドナにはもっと葛藤がある。それは彼女の「私はまだ何者かになったことがない」というセリフに端的に表れており、一度は夢を叶えたビニーとは決定的に違う。にもかかわらず、ビニーがまだ野球にこだわって身を隠さずシュガーキングスのキャンプに参加したため、捕まってイボンヌを連れ去られたわけで、ドナの怒りはもっともだ。娘を失ったドナはビニーとも別れ、下着姿で歌う「歌手」を未練がましく続ける。
そんな二人も最愛のイボンヌを取り戻して夢をきっぱりと諦めることができた。3人で「夢の後」を生き始める結末は爽やかである。
原題のTrading Heartsは、夢を追う「心」と愛する者との生活を大事にする「心」を取り替えるといった意味だろうか。作品の冒頭と結末に出てくるトレーディングカードとかけているようだ。
30年前の野球はどう見えるか
前述のように、本作が1950年代を舞台にした理由は定かでないが、脚本を書いたフランク・デフォードと監督のニール・ライファーはともに60年代から『スポーツ・イラストレイテッド』誌で活躍した「大御所」的なライター及び写真家で、彼らが青春時代に親しんだのが50年代の野球だったことが背景にあるのではないだろうか。
本作が50年代らしさを感じさせるひとつとして「フォークボール」という言葉が何度か出てくることがある。現在アメリカでこの言葉はほとんど使われず、「スプリッター」「スプリットフィンガーファストボール」と言われることは周知だが、もともとは1950年代にパイレーツのロイ・フェースがフォークボールを武器にして知られるようになった。その後70年代にブルース・スーターがより浅い握りで高速のスプリッターを広め、投球としても言葉としても取って代わったのであり、「フォークボール」という言葉はノスタルジックに響くのだろう(日本における「ドロップ」=縦に大きく落ちるカーブとやや似ている)。また、フロリダでキャンプを張る球団は当時も多かった中であえてハバナ・シュガーキングスを持ってきたのも、時代性を感じさせる意図があったかもしれない。
2、30年前の野球を描いた映画にシンプルさとノスタルジーを感じることは今の日本でもありそうだ。先日大森一樹監督の『ドリームスタジアム』(1997)を再見してそうだったのだが、この時代の「トレンディドラマ」の香りがした『ヒーローインタビュー』(1994)、長嶋一茂が意外に好演した『ミスター・ルーキー』(2002)などもまた観てみたいところだ。プロ野球が舞台のこれらの映画はそれぞれ評価はあまり高くなく、ほぼ「忘れられた」作品群だが、20世紀末のプロ野球の雰囲気や見られ方を後世に伝えるという意義は十分にあるだろう。
補足
本作は劇場公開されず、かといってテレビ映画でもなく、ビデオ(VHS)とおそらくLDが発売されただけで、配信でも観られない。従って紹介やレビューも少なく、アメリカでも「知られざる作品」だが、日本のallcinemaには『ハートをトレード/ ビニー、私のパパになって!』という邦題でビデオが発売されたという記載がある。だとすると「日本未公開」ではなくなるが、このビデオについての具体的な情報が全く見つからないので、とりあえず「日本未公開」のカテゴリーに入れておく。