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セプテンバー・コールアップの残酷:日本未公開野球映画を観る(4)

Brampton's Own(2018)

セプテンバー・コールアップのドラマ

 昔からメジャー・リーグでは9月に入るとロースター(登録選手)の枠が25人から40人に拡大されるという規定があった(2020年から28人に変更)。このため9月に入ると傘下のマイナー球団から何人もの選手がメジャーに上げられるが、これを「セプテンバー・コールアップ」と呼ぶ。Brampton's Own(2018)は「野球後の人生」のジャンルに入るが、セプテンバー・コールアップがドラマを大きく動かしている点で、マイナー・リーグらしさに充ちた作品だ。

「ブランプトンの宝」の12年後

 主人公ダスティンはマリナーズのAAAタコマ・レニエーズのベテラン捕手だが、今年の9月1日もメジャーに呼ばれなかった。そこへ東海岸の小さな町ブランプトンに住む母から連絡があり、30歳になってメジャーに上がれなかったら野球を諦めて帰る、という昔の約束を持ち出される。高卒でドラフトされて12年経ったダスティンはちょうど30歳になろうとしており、久しぶりにブランプトンに帰るが、居場所が見つからない。同性の恋人と会計事務所を営む姉には「高卒で野球しかしてこなかった男にできる仕事はない」と雇ってもらえず、母は家を売って再婚しようとしている。町の歴史上最高の野球選手で「ブランプトンの宝」と呼ばれた頃もあったが、メジャーに上がれなかったダスティンに町の人たちも素っ気ない。そしていちばん会いたかった高校時代の恋人レイチェルは歯医者と婚約したという。
 それでも未練が残っていたレイチェルはダスティンのもとへ戻る決心をするが、2人で一夜を過ごした翌朝、マリナーズの正捕手がケガをしたので急遽合流してくれという連絡が入る。再びレイチェルより野球を取ったダスティンは遠征先のアナハイムに飛び、豪華なホテルでついに夢が叶ったことを噛みしめるが、朝になるとAAの若い捕手を上げることになったというGMからの電話でどん底にたたき落とされる。「ワン・カップ・オブ・コーヒー」(コーヒー1杯を飲むぐらい短い間のメジャー登録)」ですらなかったのだ。
 またもブランプトンに帰ったダスティンは、母に「おまえは未来の夢(=メジャー昇格)ばかり見て、プロセスや現在を大事にしなかった(だから居場所がない)」と諭される。レイチェルも去っていくが、ダスティンは野球に今度こそ踏ん切りをつけて歩き始めるという結末。

キャリアの境目に考えること

 レイチェルとの恋愛の描き方が…といった批判が多いようで、確かにそうかもしれないが、マイナーとメジャーの境目、現役と引退後の境目にいるという主人公の状況設定は野球選手のキャリアという点で面白く、また味わい深かった。
 AAAに長くいたり、そことメジャーを行ったり来たりしていれば、多くの選手(やエージェント)は日本行きを考えるはずで、これまでアメリカから来た選手の多くはこういう状況からだった。しかし捕手で打撃が弱い(と監督に言われるシーンがある)となれば日本はまず無理で、その話が出てこないのもうなずける。
 あと、タコマで子どもに打撃の個人レッスンをするシーンがあるが、アメリカではこういう個人レッスンが盛んで、少年野球のコーチもチームの指導とは別に有償でよくやっているという(小国綾子『アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた』径書房、2013。この本は出色である)。プロアマ規定などないので現役のプロ選手でも何の問題もない。ダスティンは子どもの母親から80ドルを受け取るが、1時間だろうか。そのとき「来年も春からお願いね」的なことを言われ、来年はシアトルにいるつもりなので憮然とするのも面白い。

 9月半ばでの予期せぬメジャー昇格といえば、2009年に印象的な出来事があった。そのときに書いた原稿を載せておく。

セプテンバー・コールアップ
(「アメリカ野球雑学概論」第353回、『週刊ベースボール』2009年10月12日号)

 日本人メジャー・リーガーの多くにとって、今季は故障が多く厳しいシーズンになった印象が強いが、レギュラー・シーズン終盤になって嬉しい驚きがあった。9月16日に田口壮がカブスに昇格したことだ。渡米8年目のシーズンをずっとAAA級のアイオワで過ごした田口は7日にシーズンを終えていたが、外野手に故障が相次いだカブスに突然呼ばれ、今季初めてメジャーに合流した。彼は見覚えのないシカゴの番号から何度もかかってくる電話を、間違いと思って2時間も放置していたという。
 田口がそれまでメジャーに上がれなかった理由は、「40人ロースター」に入っていなかったことだ。メジャーの各チームは25人の「アクティブ・ロースター」と、それに15人を加えた40人のロースターを持っており、通常の選手の入れ替えは40人枠に入っている選手の中で行う。今季いわゆるマイナー契約を結んだ田口は40人の枠外で、他に外せる選手もいなかったため、メジャーに上がれる可能性はシーズン当初からきわめて小さかった。それは9月になって2つの枠の区別がなくなり、メジャーに40人登録できるようになっても同じだったが、予期せぬ故障者の続出で突然の昇格となったわけだ。
 このように、メジャーのロースターが広がる9月に昇格することを「セプテンバー・コールアップ」と言う。マイナー・リーグのシーズンは9月初めに終わるため、40人には入っているが25人に入っていないマイナー・リーガーをメジャーに上げられる制度だ。このときメジャー・デビューを果たす選手も多く、例えばカージナルスの「英雄」スタン・ミュージアルは1941年9月17日に20歳で初昇格して残りの12試合で.426の高打率を残し、22年間にわたる歴史的なキャリアのスタートを切った。また80年9月15日にドジャースが昇格させたメキシコ出身の19歳の左腕フェルナンド・バレンズエラは、10試合で2勝を挙げた後、翌年開幕から8連勝という旋風を巻き起こして新人王を獲った。2002年9月18日にエンゼルスが20歳で昇格させたベネズエラ出身のフランシスコ・ロドリゲスは、その後のポストシーズンで5勝というめざましい活躍を見せ、球団史上初のワールド・シリーズ制覇に貢献した。
 とはいえ、セプテンバー・コールアップでメジャー・デビューした選手の中で、その後このように華々しいキャリアを積む選手はごく一部だ。9月の数試合の出場だけでメジャーを去り、「ワン・カップ・オブ・コーヒー」(コーヒー1杯を飲むぐらいの短い時間だけメジャーに在籍する)で終わることも多い。セプテンバー・コールアップという言葉には、未来への可能性とつかの間の夢という両方のニュアンスがあるのだ。
 8月31日の時点でロースターに入っていなかったため、田口にポストシーズンの出場資格はない。本稿が活字になるときには彼の今季は終わりに近づいているが、セントルイスでのビジターゲームで今季初安打を打って「古巣」のファンから喝采を浴びるなど、2週間余のメジャー生活は来季に向けての大きな原動力になったはずだ。マイナーでも腐らずにベストを尽くし続けたベテラン田口を、月並みな表現だが「野球の神様は見ている」と思えてならない9月の昇格劇だった。

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