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3-1ー0  🍉スイカボランティアの動機および目的と届け先の決定。(2011年4月5日)

2011年3月11日(金曜日)東日本大震災が発生し、地震と津波そして東京電力の福島第一原子力発電所の爆発事故。天災と人災事故により、落ち着いた普段通りの生活を奪われた方々に、何か少しでも役に立ちたいと・日に日に気持ちが強くなって来ました。
 心を落ち着かせるために、3月22日に震災義援金を、日本赤十字社と朝日新聞厚生文化事業団へ夫婦別々に振り込みました。しかしテレビのニュースを見るたびに何か行動しなければいけないと思い、つくば市の災害ボランティアに電話をかけましたが一杯になりましたとアナウンスされました。
 この日偶然にも土浦市のママさんバレーボールからボランティアの参加要請がありました。内容は、水郷体育館に福島県いわき市から約460名が避難して来ているので色々と手伝ってほしいとの事、早速次の日から4月4日までの6日間ボランティアに行きました。(2日間は夫婦で)
内容は、支援物資・物品等の運搬、選別をすること、そして避難の皆さんを誘導して、必要な物品等を取って頂くことです。
 ある日、食堂に行って片付けをしました。その時に気付いたことは、送られて来る食品は缶詰類や菓子類等が多く、生のも、野菜・果物・魚等が、ほとんどありませんでした。また、多くのボランティア団体の方々が来て作って下さるのは、焼きそば・ピザ・そば・うどん・温かい丼物等です。
 そこで閃いたのが、「旬の野菜か果物を育てて被災地に届けることでした。」・・・これならば、他人の手を借りずに、自分の体力・能力の範囲内でできます。 そしてこれを実践できる・・・*小さなラブ&リー農園*が
私にはあります。
 
 実際に何を育てるか、どの程度か、何処の被災地に届けたらよいのか、相談は行政か・NPOか・ボランティア団体か、運搬はどうするのか、等々いろんな問題や相談ことがあります。
が! 先ずは・子供からお年寄りまでの幅広い皆さんに何が喜ばれるか?考えました。 トマト、きゅうり、だいこん、じゃがいも、さつまいも、ピーナツ等⁉ そこで考え付いたのが*
  1,季節を感じる(旬)物。
  2,子供からお年寄りまで知っている物。
  3,一つで家族皆で楽しめる物。
  4,甘くて美味しい物。
  5,「小さなラブ&リー農園」で育つもの。
以上の条件をクリアー出来るのは、甘くて美味しい「スイカ🍉」でした。これで何を育てるかが決まりました。
 実際に、スイカを育てなければ意味がなく、事が始まりません、早速つぎの日(4月6日)にビニールハウスに、スイカ・メロン・黄金マクワウリの種を蒔きました。 そして「スイカボランティア🍉計画・実行書」の作成に取りかかりました。
 目的は、被災地に上記の五つの条件をクリアーした甘くて美味しい・スイカ🍉100個・メロン?個・黄金マクワウリ?個を、小さなラブ&リー農園🌱で育て収穫して、この足で被災地へ必ず届けることです。
 次に、どこの被災地に届けるかについて、行政と市議員に伺いしましたが、なかなか返事が返って来ません。
テレビニュースの中で被災地の子供たちの給食材料が不足していると報道されました。これをヒントに小・中学校にスイカを届けることにしました。
 では、何処の市町村にするか?・・皆さん忙しいと思い自分で調べて決めることにしました。最終的に7月10日・日曜日の朝日新聞「特集・東日本大震災 福島のいま」を読んで、福島第一原発爆発人災事故によりとんでもない放射線量が計測された、南相馬市・浪江町・双葉町・大熊町・富岡町・楢葉町・広野町のどこかに届けたいと思いました。
 浪江町は約600戸の家屋が津波で崩壊し、行方不明者の捜索も出来ずに、山岳部の津島地区に避難・その後すぐ高い放射線量が計測されたため、二本松市内に再度避難しました。(町人口の約4割が福島県外に避難した。)新聞より。
*以上の理由で「浪江町へ届ける」ことにしました。                      

〇 写真は、2011年7月10日の朝日新聞です。

 目的と届け先が決まると・次に、上手くスイカを育てることが出来るか心配になりました。 スイカ作りの実績もなく、一般的にスイカ栽培は難しいと言われてます、しかも大きく天候に左右されるとのこと! 不安を抱きながら、誰にも相談出来ずに、こつこつマイペースで・・でも!頭の中は「被災地の方々に届けて、皆さんが美味しく食べている様子を想像しなら・!」作業に没頭しました。
 被災地の夏は、想像以上に暑いと思われます、住み慣れない仮設住宅でしかも、狭くて冷暖房対応の構造に設計されてない、仮設の建物ですから!
ギラギラした太陽と蝉のなき声が響き渡る暑い夏に! 「小さなラブ&リー農園」で収穫した甘くて美味しいスイカ🍉を早く届けたいと!
 このスイカ・ボランティアは、短期ではなく中期5ヵ年、長期10ヵ年のスパンで計画しなければと考えました。 何故ならば、原発事故から放質された有害物質の放射能が安全に安定するまでには、数百年?数千年以上かかると言われてます。
 私の想像では、福島第一原発爆発人災事故・付近一帯では、ほぼ永久に人類が、今まで通りに生活することが出来ないのではないかと思われます。

この写真は、二本松市内に急きょ仮設置された、浪江町役場です。
2011年7月27日撮影


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