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3-1-14 特集・原発爆発人災事故から6年目、浪江町の現状を視察しました。

2016年10月11日、原発爆発人災事故から、5年と7か月経った、今の浪江町がどのようになっているか、自分の目で確かめたかった。

その理由は、来年2017年4がつ1日に、浪江町の一部が解除されることを聞きました! 本当に町民が帰って生活が出来るのかを確かめたかった。

 常磐自動車道の、ならはPAを通り過ぎたあたりから、周りの様子が寂しくなって来ました。富岡ICあたりでは、放射線量計が目立ち、数値がリアルタイムで読み取れます。 

大熊IC・双葉IC・浪江ICと、車窓の景色は、日本の田舎では・ありません!? 稲刈りの後の風景や、畑のビニールシート等・全て無! 全て草木で覆われてます。しかも家々があっても、洗濯物や生活感のあるもの、もちろん車も人も一切なく・まさに死の風景でした。浪江ICを降りると、右側が解除される、町役場方面です。  左側は、バリケードあり、防護服を着た警備員が数人警備してました。(初めて見る光景だったので胸がドキーとしました!)本当にここは、日本なのかと?

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案内をお願いしたのは、桑折駅前応急仮設住宅の前自治会長の河合陽一様です。この日12時に、浪江町役場の駐車場で待ち合わせしました。
役場の中では職員が忙しく働いているようでした。 この光景は、意外でした。

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 この写真は、浪江町の中心部の交差点です。人影無く・鳥の声すら聞こえません、もちろん・🐕・猫等も見かけません。風邪の音も!・・・ただ信号機だけが規則正しく時を刻んでいます。何とも不気味な風景です。

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浪江駅です。ただ廃墟となった構造物と言った感じです。

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ここも、街中です、壊れた家を解体した後には、このように草木が生い茂ってます。 静かです蝶々・鳥・虫見かけません!ここに立つとゾッとします。まさに死んだ町をかんじました。

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ここは、海に近い地区です、ほとんど家屋が津波で、壊れ流されたところです。大きな重機で、解体かたずけが行われています。この右手に、福島第一原子力発電所が、見えます。

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小さな町の周りは、どこもこのような「のぼり」が立ち並んで、汚染物質が黒い大きな袋に詰められてました。

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この黒い大きな・汚染物質は町のいたるところに、山積みになってました。 聞くところによれば、この汚染物質はこのままの状態で、未だどこに処分するか決まってないとのことです。


 5か月後に、町民が戻ってきて、本当に生活が出来るのか、不思議でなりません!? 聞くところによれば、この汚染物質はこのままの状態で、未だどこに処分するか決まってないとのことです。 私がここに来て、見たものは、「除染作業」を実際のやっているところや、やり終わったところです。

 世間一般・除染作業が終わりました・と・言えば「安心だ!」きれいになったのだ。と 思いますが?どっこい!目の前を見ると、ズサンの一言です。マ~全てを完全にとはいかないことは、分かりますが?相手は有害な放射能物質ですよ。・・・汚染の中にいるようなものだと思います。

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皆さま、私たちのすぐ近くに、放射能物質で汚染され、人が住めない(4~5万人)・市町村(6~7か所)が存在するのですよ?

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 *ここは、日本ですよ!すぐ近くですよ!                  貴方の言葉を、お聞きしたいです。


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