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釣り暮らし

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自分で釣ったり採ったりした魚介たちを、あの手この手で食べます。たまに釣りと関係のない料理も登場します。釣りと暮らしの話です。
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#男の料理

いろんな魚のひれ酒を飲み比べて喜ぶ

旅行に出かけてちょっとした旅館なんかに泊まると、夕食のオプションで「ひれ酒800円」とかがあったりして、旅の開放感から、いいね、ひれ酒、旅行ぐらいでしか飲まないもんね、ちょと高いけどせっかくだし、と調子づいて人数分頼むと、たいてい運ばれてくるのはちっちゃい器で、「え、少なっ」と悲しくなるものです。 それでも、まあこんなのは雰囲気雰囲気、となんとなくうやむやにしてきた結果、結局ひれ酒って美味いんか?値段と合ってるんか?実は雰囲気だけの奴じゃないんか?と、よく分からないまま、こ

貧困相殺飯〜ありもので貧困を相殺する

貧困。「貧しくて困る」。嫌な言葉です。 ある人は給料日前に、ある人は慢性的にと、その差はあれど多くの人が貧困にあえぎ、また今はそれほどでなくても将来貧困になるかもと、ビクつきながら生きているのが今の末法の世です。 そのような末法の世を、どのようにしてサバイブしていけばいいのか。簡単です。貧困を相殺すればいいのです。 すなわち、ランチに1200円のパスタを食べたいけれど銭がなくて食べられない。その悔しさ、惨めさ、ストレスこそが貧困の正体であり、であれば1200円のパスタを

マゴチのフォー|魚のあら出汁を堪能する

昨今、サステナブル、エシカル、アップサイクル、などのカタカナが花盛りですが、イマイチピンと来ない、という人は、身近な例に置き換えて考えてみましょう、と賢そうな人がぐいぐいとナビゲートをしてくれまくる世の中です。 ということで、自分の場合は釣った魚の「あら」(=頭や骨などの捨てられがちな部位)を起点に、資源活用、環境配慮、そしてなにより私利私欲を満たすための持続可能な方法を考えていこうと思います。では始めます。 魚の「あら」を正確に評価する方法 自分は釣り人です、というと

夏のイサキで塩焼きを見直す

塩焼きを忘れた私たち 魚の塩焼き。なんと素朴で原始的な食し方なのでしょう。あまりに原始的で私たちは塩焼きを軽んじてきたのではないでしょうか。 やれカルパッチョだ、やれアクアパッツァだなどと浮き足だったことを言って、基本の基本、塩を振って焼くというシンプルな魚の食べ方をいつのまにか忘れて、私たちはどこを目指し、何を得たのでしょう。 ムニエル、ポワレ、それもいいかもしれない。しかし時に自分には、そんなキラキラしたレシピの全てが、味玉・海苔・メンマ・焼き豚その他全部のせ12

海のツチノコを食べつくす

ツチノコってこれのことでは? ツチノコ。日本に生息すると言い伝えられている未確認動物(UMA)のひとつ。胴体部分が膨れたずんぐりむっくりの蛇のようなアレ。 その神秘さと間抜けさが混在した存在感に、強く魅了された少年時代、山や池を真剣に探した時期もありました。 しかしそんな少年ももはや中年。ゴミ出しや風呂掃除など暮らしの苦行に追われるうち、いつしかその存在も頭から消えていたのですが、数十年の時を経てまさか海からあがってくるとは。  ツチノコって、多分これ、マゴチのこと