飢餓の村で考えた  31.32

アウトカーストとは

アウトカーストの人たちとはどんな人たちなのか。長い歴史から知る必要がある。以前はインドと東西パキスタンは今のように分かれておらず一緒にイギリスの植民地となっていた。

マハトマガンジーが現れてイギリスからの独立の気運が高まったが、同時にイスラムの国をつくろうという気運が盛り上がり、インドを挟んで1000キロ以上も離れているのに東西パキスタンが一つの国として、まずイギリスから独立した。

その直後インドもイギリスから独立した。私が学校で習ったころの地図帳には西パキスタンと東パキスタンと書いてあった。独立戦争(第3次印パ戦争)で西パキスタン(現パキスタン)から独立したのがバングラデシュ(旧東パキスタン)だ。バングラデシュは1971年に独立宣言をし、実質的には1972年に独立した新しい国だ。

歴史についてはここではアウトカーストに関係がある部分だけ触れておきたい。インドは数千年前からヒンドゥー教が根付いている。ヒンドゥー教の大きな特徴はカースト制度だ。日本の士農工商のような身分(階層)制度に近い。

私の理解しているカーストとは人は生まれて死ぬまでこの世では同じカーストで生きていく。輪廻の思想が信じられておりこの世で努力するのは、この世を終えて次の生まれ変わった人生でより高いカーストにつけるようになるためだ。つまり人の現世の一生の中ではカーストを移動することはまったく想定されていない。

大雑把にはカーストは4つに分けられるが実際は百以上の細かいカーストに分けられるという。たとえば散髪屋のカーストでも「店」と「木の下」で行う散髪屋ではカーストが違うという。アウトカーストとはどんなカーストか。カーストにも入らない最底辺の人たちという意味を持っているようだ。

ポイラ村のアウトカーストの人たち

実際のポイラ村では漁師さんたちがそのアウトカーストの人たちだった。私の印象ではほかの村人より肌が黒かった。アウトカーストの問題は丁度日本の部落差別と酷似しており、ほかの貧しい人たちからも差別される存在なのだ。

この人たちのおかげ(?)で、普通の貧しい村人も自分よりもっと下の人がいると思うことができた。アウトカーストの人とはどんな人たちなのだろうか。

この当時から十数年経った時のこと。シャプラダッカ事務所のベンガル人職員による興味深い話がある。その職員によると水害の被害内容を村人に聞いても援助を少しでも貰えるように実際の被害よりも過大に話をする人が多いという。

職員が真実の被害を知りたい場合はアウトカーストの人たちの所に行くのだそうだ。なぜか。アウトカーストの人たちはうそをつかないから真実が分かるのだという。何のために聞いているのかと詮索しないためではないかと私は思う。つまり下心というものがないのだ。

長い間人々から差別を受け続けた人たちがアウトカースト。私は最も純粋な気持ちを持った人たちのように感じている。貧しいので学校にも行ってない人が多い。学校に行ってないので生活を改善するという意識が薄く向上心も弱い。

貧しいのでNGOの支援対象者にはリストアップされやすいが本気になってアウトカーストの人たちを支援するにはNGOは大きな決心をする必要があるという。そこでは継続的で大きな支援活動が必要であり、なおかつ向上心が弱いのでほんの少しの成果に満足しなければならないという現実があるという。これを聞いて私は切ない気持ちになってしまった。


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