飢餓の村で考えたこと 24.25.26

私の役目

ポイラ村での私たちの主な活動は女性たちの手工芸品ショミティ作りだった。バングラの特産物でポイラ村でも採れていた黄麻 (ジュート)を使った手工芸品づくりをするショミティだ。

会員の女性たちはこの黄麻で鍋や湯呑の下に敷くマット類と籠や鉢植えなどを吊り下げるためのものを手編みするのだ。このショミティ作りは日本人がポイラ村に入って初めて手掛けた活動だった。私の役目はこのショミティ作りをきちんと発展させていくことだと考えていた。

はじめた理由

手工芸品のショミティ作りをはじめた理由は、貧しい人たちが収入を得られるような活動の導入を1日でも早く図りたかったからだ。当時女性たちは自分の家の周辺数軒が集まった小さな集落以外に出歩くことはタブーとされており、女性自身が直接収入を得る方法は殆どなかった。

女性たちはただ貧しさに耐えるしかなかったがその貧しさは耐え難いものだった。その当時のバングラはどこも貧しく困窮した状況にあった。独立前からバングラ国内で活動していた欧米NGOはバングラのNGO活動でできた手工芸品を欧米に輸出販売をするルートを作っていた。

欧米NGO自身には欧米国内で独自の販売網があった。NGOが手工芸品製作の活動を始めた場合は技術指導者の育成などの支援体制も整備されつつあった。

このような状況を踏まえポイラ村に女性の手工芸品製作のショミティを始めたのだ。私たちのNGOは発足当初の「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」から名称を「シャプラニール=市民による海外協力の会」 と変更していた。

会議の内容

月に2回程度はショミティ会員による会議を行っていた。会議では納品先であるジュートワークス(欧米NGOに販路を持つバングラのNGO)から出された注文数を会員にどのように配分するか、ダッカまで納品に行く人2~3人の決定、商品代金の小切手を現金に替えるため歩いて30分の所にある隣町ギオールの銀行に行く数名の決定などを話し合った。


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