飢餓の村で考えたこと 20.21

伝える難しさ

お腹を空かせている人たちのことを理解することは村で生活していても大変難しい。しかしNGOの駐在員としては、活動を支えて下さる日本の方たちに村の真実の姿を伝えなければならないという思いは強かった。ポイラ村には究極の貧しさと同時に村人の生き生きとした生活も存在したことが真実の現実だった。

しかしこの両面はあまりにも極端に対照的過ぎるので、同時に日本の人たちに伝えることは不可能のようにも思えた。人々の貧しさや空腹の真実をそのまま書けば、それがあまりにも度を越した空腹の真実なので、それに伴う連想から逃れることができないだろうと思えたのだ。

その連想がもう一つの真実である村人の生き生きとした様子の理解を妨げるのではないかと思い悩んだ。

生き生きの理由

私はポイラ村からの帰国後30年位経って自然食品の勉強のために読んだ本「空腹が人を健康にする」(南雲吉則著)の中に大変なことを発見した。ポイラ村の経験以降ずーと疑問に思っていたことがこの本によって解消されたのだ。

飢餓の状況にいる人たちがなぜ生き生きとしているのかの不思議の理由が自分なりに分かったのだ。この本によれば人類は17万年の間の殆どの期間は飢えとの戦いだった。その長い年月に人間の身体は環境に適応しようと進化してきた。

その進化の一つが空腹になった時に限って生命力遺伝子が発現して活動するというのだ。著者は医師の南雲吉則氏だが彼自身1日1食を実践することによって20歳近く若返ったという。人間は空腹になると初めて生命力遺伝子のサーチュイン遺伝子などが発現する。その生命力遺伝子が人を健康にするのだ。

しかしたとえこの遺伝子が発現したとしても栄養不足の問題をクリアーしたことにはならない。つまりサーチュイン遺伝子によって生命力が増しても栄養不足によって健康の危機はもたらされる可能性はあると思う。

私はポイラ村の人たちは飢餓の状態でありながらも、この遺伝子のおかげでいきいきとした生活をしていたのだと考えている。食糧不足の難民キャンプでは多くの妊婦が見られる。私はこの生命力遺伝子が働いて妊娠率が上がったのではないかと推測している。私自身も1日1食を目指して現在は1日2食である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?