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本 飢餓の村で考えたこと

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1976年から77年に私はNGO駐在員としてバングラデシュの飢餓の村で活動しました。その時の経験を書いた本です。人類史の大部分は飢餓に近い状況の中で生きてきた人間、歴史を考える時…
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#次の食事できないで耐えること

飢餓の村で考えたこと 39.40

全ての栄養をご飯から 村人はどんな食生活をしていたのか。村で一番金がかからない食事とはど…

飢餓の村で考えたこと 37.38

貧困の悪循環 私がポイラ村にいた頃(1976~77)はどの家庭も子供が大勢いた。どこに行っても湧…

飢餓の村で考えたこと 35.36

「人のためになりたい」 私は人間を動かす力の源の一つは「人のためになりたい」という衝動で…

飢餓の村で考えたこと 33.34

アミナさん アミナさんの年齢は推定20代だ。ショミティの創設時、手工芸品の技術習得のために…

飢餓の村で考えた  31.32

アウトカーストとは アウトカーストの人たちとはどんな人たちなのか。長い歴史から知る必要が…

飢餓の村で考えたこと  29.30

全員が魅力的 ショミティの32名の会員は若い娘さんとお母さんたちからなっている。容姿だけを…

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飢餓の村で考えたこと 27.28

バシャトンさん 年齢は30歳位に見えた。彼女は非識字者で手工芸品の仕事を始めたころは日本人駐在員やショミティ役員になって全体の世話をしていた女性たちを全然信用していなかった。的外れな不信感むき出しの言動でいつもショミティ会議の雰囲気を乱していた。 私は彼女が作ったジュートマットを納品前に見てあげて返品数を少しでも減らせないかと原寸大のマットの図を紙に書いて彼女の家を訪問した。彼女が作った品物をその図に合わせると大きさが合わないものが半数位あり、それが返品になる可能性があっ

飢餓の村で考えたこと 22.23

理念では解決できない 当時私を派遣したNGOの理念とは私の理解では「まず我々は貧しい人たち…

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飢餓の村で考えたこと 20.21

伝える難しさ お腹を空かせている人たちのことを理解することは村で生活していても大変難しい…

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飢餓の村で考えたこと 18・19

子供の一言 村人の多くは自分の土地がない日雇いの農民だった。その人たちは地主に雇われた日…

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