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本 飢餓の村で考えたこと

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1976年から77年に私はNGO駐在員としてバングラデシュの飢餓の村で活動しました。その時の経験を書いた本です。人類史の大部分は飢餓に近い状況の中で生きてきた人間、歴史を考える時…
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2021年11月の記事一覧

飢餓の村で考えたこと 41.42

植民地とは? 私たちの住まいから200m位の近くにイギリス植民地時代の徴税請負人(ベンガル語…

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飢餓の村で考えたこと 39.40

全ての栄養をご飯から 村人はどんな食生活をしていたのか。村で一番金がかからない食事とはど…

飢餓の村で考えたこと 37.38

貧困の悪循環 私がポイラ村にいた頃(1976~77)はどの家庭も子供が大勢いた。どこに行っても湧…

飢餓の村で考えたこと 35.36

「人のためになりたい」 私は人間を動かす力の源の一つは「人のためになりたい」という衝動で…

飢餓の村で考えたこと 33.34

アミナさん アミナさんの年齢は推定20代だ。ショミティの創設時、手工芸品の技術習得のために…

飢餓の村で考えた  31.32

アウトカーストとは アウトカーストの人たちとはどんな人たちなのか。長い歴史から知る必要が…

飢餓の村で考えたこと  29.30

全員が魅力的 ショミティの32名の会員は若い娘さんとお母さんたちからなっている。容姿だけをとると失礼な言い方だが皆が美形とは言い難い。しかしなぜか私には全員が魅力的だなと映っていた。日本だったら美形と思える女性だけに魅力を感じていたのに。何が違うのだろう。 日本人との一番の違いは一人一人が癖のある強烈な自己主張をする点だ。私たちも子供時代は自己中心主義者だがその自己中心主義がそのまま大人になったような人たちだ。私たちが他の会員にボールペンをあげようものなら「なんで私にはく