東大法学部卒が日本を滅ぼす学閥政治の罪(No.39)
私が高校を卒業した年は1987年。
好景気の最終局面であった。
当時、大学進学した者達を横目に高卒の者達は、高収入の仕事に直ぐ就くことが出来た。
それはそのはず、宅配便が新サービスとして開始され、運輸業界は高賃金支給で人を集めていた。
某○○急便は、月給100万円が稼げる職種として脚光を浴びた。
20歳そこそこで、貯金1,000万円は困難ではない時代であった。
しかも金利は高い時代だったので複利で元金が増えていったから、進学組の大学生より裕福な高卒者が多かった…。
しかし今現在はどうだろうか。
合法的な仕事で、高卒者がどれだけ稼げるのであろうか。
30年前ならまだしも、プログラマー界も飽和状態でソフトウェア開発業界は今後益々AI導入で、昔のような人海戦術的な開発競争は縮小し、高卒が稼げる職ではなくなるであろう…。
そうした中、今の時代に合致する高卒者の稼げる仕事は、ドローン開発や操縦系と言えよう。
ドラマや映画やドキュメンタリー等の撮影分野や、災害時の調査探索分野、更には輸送配送分野で活躍するであろう。
場合によっては、防犯や監視の業務で、効果的な利用範囲拡大をする傾向は高まる…。
結局は、人生の早い段階で社会人となる高卒者は、人生の経験値が自然発生的に増えるので、有益な人材となる事を日本社会は前提にする必要がある。
何故なら、
経験が無ければ融通が利かなくなり、社会的意義や本来の目的を見失わせる事が可能性としてあるからである。
例えば、プロスポーツで、高卒の選手が活躍するのは、その経験値の積み重ねが基調となるからであろう。
将棋の棋士もそうである。
舞台俳優も映画俳優もそうである。
料理界も文化界も宗教界もそうである。
社会人としての経験を早い時期からするのは、有利な人生と言える場面は多い事であろう。
これは社会的意義を業界で直視できているかいないかである。
東京大学で法学部を卒業する者は年間に何人いるのであろうか。
量産化された卒業生の数を存在価値として反比例させる事で、その希少性を卒業生に宿すのが、こんにちの国立大学の社会的意義となっている。
だから、東京大学法学部の卒業生が国会議員となって旧統一教会とつるんでみたり、キャリア官僚になって増税政策を進めたりするのである。
こうした事は、頭脳明晰な者がすることであろうか。
東京大学法学部の卒業生が司法や行政や立法に散らばり三権の上層部に多数派として占めていたら、それはもう学閥支配と言えるであろう。
そうした学閥が、今現在の日本社会を担っているなら、今ある目の前の苦難や問題は、その東京大学法学部の卒業生たちの責任と言えよう。
ちなみに、希少性の価値を東京大学法学部の卒業生に当てはめると、絶対的多数派は非東京大学法学部の卒業生となるので、率直に言えば「多数決を主とする民主主義国家の日本国」では、東京大学法学部の卒業生たちは少数派となり、肩身が狭い扱いを受けるはずであろう。
言わば多くの国民は、東京大学法学部の卒業生ではないのだからである。
学歴社会は、多様性の社会に馴染まないばかりか、経済国家の伸張を阻むことに通じる。
何故なら、立ち位置や思考回路が同じ者同士では、新発想や新発見や新発明が乏しくなり、新陳代謝の悪い風潮が主流となるからである。
軍事戦略で言えば、戦法や武器使用に意外性がなく、敵の隙を攻撃するチャンスを逃すと言えよう。
つまりそれは敗戦だ。
この世は、生まれも育ちも人それぞれに違うから、楽しくもあり、嬉しくもあり、感動や興奮が生まれるというものではないか。
全人類が同じ境遇で育ち、同じ趣味を持ち、同じ行動原理に則って生きていたら、つまらない世界という以上に、無機質なロボット人間と見間違えるのではないか。
もちろん有り得ない話であるが、技術的進展により実現したクローン人間なら可能であろう。
東京大学法学部の卒業生たちは、国家の庇護の下で、コストパフォーマンスの優れた教育を受けたのだから、その費用対効果の自覚を持ち、受けた恩を国家に返さないとならないであろう。
それなくして東京大学法学部の存在価値は未来にないとさえ言える。
理由は、スマホを作るのは東京大学法学部の卒業生たちではない。
パソコンや医薬品や原子炉を作るのも東京大学法学部の卒業生たちではない。
世の中の建物からエレベーターやエスカレーターが無くなった社会を想像できますか。
それらを製造し保守点検し修理するのは東京大学法学部の卒業生たちではない。
現実世界の重要な仕事を担うのは、実は東京大学法学部の卒業生たちではない人々が社会を支えているのでありましょう。
政治を変えたいのなら、東京大学法学部の卒業生たちを配置転換することからではないでしょうか。
歴代のアメリカ合衆国大統領は東京大学法学部の卒業生たちではないです。
イギリスもフランスもそうです。
国際的には「政治やビジネスでの通行手形」として活用する意識は禁物なのです。
しかも、江戸時代や平安時代等の歴史の偉人達は東京大学法学部の卒業生ではないです。
そこでのそんな教育は無用なのです。
自民党の国会議員の中で、東京大学法学部の卒業生たちは何人いて、どんな不祥事を引き起こしたでしょうか。
それでも東京大学法学部の卒業生たちは、優秀で品行方正な人物だと評価しますか。
美味しいパンを作るマスター、人当たりの良い接客をする販売員、丁寧は作業する研究員、どれもこれも各界各層に居る事でしょう。
そうした人々は、東京大学法学部の卒業生たちではないなら、どう解釈しますか。
日本人は親切で丁寧で騙さない国民性でしょうから、学閥政治があるなら、そろそろ終わりにして、東京大学法学部の卒業生たちを特別視することなく、凡庸として対応することが、政治改革となり、国力増強となるのではないでしょうか。
まとめます。
東京大学法学部卒業を自慢するのが学閥の正体でしょうから、国民は彼らに「バージョンアップしたのか」、「バグを修正したのか」、「フルモデルチェンジはいつするのだ」と尋問するといいでしょうね。
時代は進歩しております。
理系が主体となり科学技術で、便利で快適で安全な社会を推し進めております。
電動自転車、ネット通販、家庭用携帯ガスコンロ、即席ドライ味噌汁、カップラーメン、人工衛星、天気予報、(イージス艦)など。
その上で、東京大学法学部の卒業生たちに質疑すればいいのです。
宇宙に飛び出る人類は、月面居住を可能とするかが焦点となります。
我が国日本は、他国より早く月面基地および月面住居を進捗させ、そして人類の地球上での紛争を小事に感じさせることが求められます。
我が国日本は、脱東京大学法学部で卒業生たちによる支配から、新たな価値基準としての人生観を提供することが必要でしょう。
宇宙は広い、宇宙は人生観を問い直せる。。。完