今だから前へ進みましょう(No.70)

皆さん、こんにちは。
日本女子バレーボールが出場条件を満たし「2024パリ・オリンピック」出場権を6月14日(金)、手に入れました。
この第33回夏季オリンピック競技大会は、フランスで開催される予定で「期間は2024年7月26日から8月11日まで」となっております。
楽しみな「日本の夏」が、また一つ出来ましたね。

だってそうでしょう、皆さん。
日本人が世界で活躍する事は、すなわち日本人の「努力と能力の高さ」が国際社会で証明されるような事と同義なのですよ。
それに、「夢や希望」が膨らみますよね。
いままさに、スポーツに取り組む方々の目標や、これからスポーツを始めようとする子供達の動機付けに、今回のような出来事は、やる気に繋がるでしょうね。
是非、世界1位を目指して欲しいと思うのは、日本人の素直な想いでありましょう。

人は何かに向かって努力し、己の才能を開花させ、周囲の者達と喜びを分かち合う事が、今の世の中、より強く求められてきているのではないでしょうか。

「2位じゃダメなんでしょうか?」と最初から、このセリフに放つ愚者に、努力と才能の開花の素晴らしさは、とうてい理解できない事でしょう。

競争がなければ「人は怠けてしまう」。
それは「後退」を招くことに。
…変人蓮舫。

日本には高度な義務教育学校が全国に配置されております。
日本人が、その努力と才能を伸ばすチャンスを国がちゃんと用意しているのであります。
その事で、他国に類を見ない知性と道徳と愛情が集団の中で育まれ、国家としての科学技術の進歩に結び付き、その恩恵は、利便性の高まる社会へと発展している事でありましょう。

しかし海外では、そうした事は奇跡として存在します。
何故なら、我が国日本と付き合いの深いアメリカでさえ、それは未完のままの開拓地アメリカのままであるからです。

例えば、経済発展を遂げた美しい街のニューヨーク市は、実はスラム化した街としての横顔を持つ、二極化した陰陽の世界が広がった、アメリカの貧富の象徴であると言えましょう。
犯罪は多発し、薬物依存が広がり、高額の不動産のそばでは住所を持たないホームレス生活者が老若男女問わず数多く居るのです。

そうした街の表面だけを参考に、我が国日本の首都東京を大改革すれば、全ての日本人は富を大なり小なり失い、代わりに海外からの流民が日本の蓄財を横取りし、その富で我が国日本に住み続けるという理不尽さと不快さと嘆きの街になるのは、そう難しい予想ではない事でありましょう。

その上で考えなければならない事は、「日本人とは何か」という思想哲学となりましょう。

さぁさぁ、これ以降は長文となります。
ついてこれないと思う方は、ご退場をお願いします。
平気よという人は、ご一緒にどうぞ…。

日本人は謙虚である。
日本人は素直である。
日本人は努力をする。
日本人は才能を持つ。
日本人は意地悪をしない。
日本人は心を宿している。
こうした事が日本人に内在する様相ではないでしょうか。

そのような点を把握すると、大概は何かが見えてきます事でしょう。
はい、そうです、皆さん。
賢いですね、お分かりですね。

日本人は習慣や風習や慣例で共通した基礎心理学を得ているのです。
それは大乗仏教の仏教思想が哲学的思想として広く民衆へ浸透した社会で生きている言えるのです。
そしてその者達を日本人と称しているのであります。

現に混血児が日本人として日本国籍を有し国内居住をしている事からも、日本人に内在する様相が証明できます事でしょう。

ですが今後、政治的問題となるのは、こうした日本人(混血種)ではなく、海外からの流民となる「移民や難民」の者達の存在であります。
その数、令和5年6月末、在留外国人数は322万3858人。

この者達の多くは、紀元前から続く大乗仏教の思想をもとに生きる価値を見出さずに訪日し、畳の上を土足で歩くような振る舞いと気質を滲ませます事でしょう。

ゆえに「生きるとは、苦から逃れ続けること」とする「生苦」を知らないばかりか、ただただ刹那に過ごす異民(移民)でありますことから、先住民となる日本人の築き上げた、この日本社会で不穏で不当な摩擦を引き起こし、それが原因で事件化すると言われます事でしょう。
在留外国人による不正請求や重犯罪は減少せず増加しております。
被害者は日本人となります。

ところで皆さんは、学生時代や独身時代に、必ず神社仏閣を見学してます事でしょう。
修学旅行や卒業記念旅行など、大いに楽しんだことでありましょう。

代表的な場所では、
清水寺(京都府京都市:778年創建・大乗仏教の南都六宗法相宗から独立)
金閣寺(京都府京都市:1397年建立・大乗仏教の禅宗臨済宗相国寺派)
天龍寺(京都府京都市:1343年創建・大乗仏教の禅宗臨済宗天龍寺派)
東大寺(奈良県奈良市:752年大仏開眼絵・大乗仏教の華厳宗大本山)
法隆寺(奈良県生駒郡:607年創建・大乗仏教の聖徳宗総本山)

これらは、この国「我が国日本は倭国」としながら、伝来した中国大乗仏教を重んじた事による都づくりとなります事でしょう。
人々が訪れる理由がそこにあります。

当時、時の権力者の庇護で「民衆の心」を育てたのが大乗仏教と言えましょう。
人としての根本となる「生・老・病・死」を四苦とし、この生苦・老苦・病苦・死苦に加え、更なる四苦である「愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊取蘊」が人生には隠されており、その八苦を阿弥陀と共に意識すれば、苦を克服する手立てが目の前に現れ、その称名念仏の「南無阿弥陀仏」を唱える事により、誰もが一緒に極楽浄土(永久の幸の世界である天国)へ行けるとした、いかにも民衆の「心の教育」を施す、大乗仏教の宿した、優しさと慰労が、民衆文化へ普及した事でありましょう。

【生苦】衆生の生まれることに起因する苦しみ
【老苦】老いていくことに起因する苦しみ
【病苦】病気があり、痛みや苦しみ
【死苦】死ぬことへの恐怖、その先の不安などの苦しみ
【愛別離苦】親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ
【怨憎会苦】怨み憎んでいる者に会う苦しみ
【求不得苦】求める物が思うように得られない苦しみ
【五蘊取蘊】人間の肉体と精神が思うがままにならない苦しみ
以上をまとめて四苦八苦という。

そうした趣旨の参考となるアニメ作品に親鸞聖人(大乗仏教の教えを大衆化した「南無阿弥陀仏」の浄土真宗教祖)の生き方を基にした「歎異抄をひらく 完全版」2019年・日本製作があります。
古代ギリシャ哲学のプラトンを始祖と仰ぐ現代の人々でも、高い確度で楽しめる内容となっておりますので、お時間あれば見て下さいね。
皆さんの感想は、もちろん受け付けます。

ちなみに東京都北区岩渕町に崇高な「南無阿弥陀仏」を教える優れた名門の私立「明照幼稚園」が在ります。
この名門の明照幼稚園を卒園した子供達は、我が国日本の大乗仏教の真髄を心に芽生えさせ、お釈迦様の輪廻の御縁で、立派に羽ばたくことでありましょう。
まさしく大乗仏教が説いた正しい行いで、生き抜くための力を養う事が見事に出来た我が国日本の宝の人材と言えましょう。

阿弥陀仏にある「南無阿弥陀仏」の世界観は、大乗仏教の根本を示しますので、それこそ「南無阿弥陀仏」を知る事で人間は、「自分だけではなく世の為、人の為」に生きる事が潜在能力としてできるようになりますでしょう。

皆さんは、顕在意識の中で、既にお分かりになれますよね。
それは一言でいうなら、「ほとけ心」と言うものなのです。

そのような我が国日本に残る、古来からの叡智は、色褪せることなく今に受け継がれてきております事でしょう。

我が国日本には、先住民の日本社会があります。
人々は意思伝達に日本語を使用してコミュニケーションを図っております。
ですが海外からやって来る外国人は、この日本社会を汚す存在として広域拡大中であります。

外国人と言えば、中世期に渡来した南蛮人(スペイン人、ポルトガル人など)は、総て客人であり大乗仏教を汚す意図はなかった事でありましょう。
しかし今現在の移民難民と言われる在留目的の外国人は小乗仏教(仙人など)でもなく、それは単なる異教徒(世界宗教)又は無宗教者(原始宗教)として、我が国日本の倫理的配慮を逆手に取り、国体護持を攻撃し、自分達の欲望を満たすために、故意に日本人を傷つけていると言えましょう。

そうした犠牲者の出ている現状を元通りに回復させるのには、政治の役目が欠かせないと言えましょう。
それでは、どうすれば原状回復が出来るかです。
先立つものは、鎮護国家を再考する周期に入ったと言えましょう。
これは保守を名乗る者や保守政治を好む者の大原則であり、建国日本の誕生秘話に遡るものと言えましょう。

皇祖とは誰なのか。
鷲鼻の形をした者なのか。
禿げ上がったような丸いおでこをした者なのか。
背の低い者なのか。
肌の色は日焼けしない者なのか。
汗をかかない者なのか。
運動神経が鈍い者なのか。
などなど、その謎と歴史の照合はいろいろとありましょう。

さて、我が国日本の成り立ちを回復させるには、
まずは、
①難民を受け入れない外交方針を打ち出す事です。
いかなる国の者でさえ、大乗仏教を求めない者による上陸を拒否する事であります。
②移民は認めない。
例外としては、仏門に携わる者で且つ役立つ仕事に従事しつつ多額の納税を毎年する者は在留を認める事とします。
③外国人観光客の入国制限を人数割りでする事です。
人口が5千人の村落共同体を観光名所として売り出せば、押し寄せる観光客が2万人だったら、住民生活は破壊され市町村役場は機能をパンクさせます事でしょう。

①②➂は、インバウンド稼業という大乗仏教の教えに沿わない行為となるので、如いては「国土が汚され(廃棄物や風紀)」、尚且つ、「日本人の精神に病が伝染させられる(犯罪増加)」等の懸念や危惧から、今を生きる現代人は、「大乗仏教を昔話」として片付けてしまう流れをこれを機に断ち切り外国人の排除に向けた取り組みが必要となりましょう。

以上の事を政治課題として取り組めば、我が国日本は、永続的に栄える事であろう。

それが出来ていない今現在だから、社会保険料および各種の増税や、振り込み詐欺や投資詐欺(犯罪)が起こり、高齢世帯の年金受給者は生活に怯え、現役世代の育児世帯は暮らしに困り、未来を担う若者世代は負担増を負わされる「嘆きの社会」になっていると言えましょう。

これら元凶は、全て政治の責任であります。

その根拠は、以下に述べます。
19世紀からの中国人(清国人)は、清国(清王朝)の衰退により国内全土で貧しさが極まり、その貧者の抱く不平不満の矛先は、清王朝の影響下にあった儒教を排し、仏教を弾圧して、且つ総ての思想を禁教とした事により、社会の底辺から湧き出た革命家毛沢東が旧ソ連(レーニン主義)を真似て踏襲して、貧者統一に向けた革命軍を率いて、武力制圧の末に建国宣言をしたのが現在の中国共産党(中国)であり、それは「ある種の宗教」と化し思想集団(唯物論主義)となっております。

この暴力革命の中国内では「共産主義を教義(国教)」とした中国共産党が、大乗仏教よりも優る叡智の結晶として、思想崇拝される社会システムを国内構築し続けてきました。
今もそうです。

これ以降の中国人は、「生苦・老苦・病苦・死苦」、「愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊取蘊」の八苦から逃れられず、国家は軍備拡張をしながら、外国のエネルギー資源を貪る政治を継続しているのであります。
まさに大乗仏教を知らない「欲望の国家(略奪国家)」でありましょう。

例えば、天安門広場(1989年6月4日民間人大量虐殺)やウィグル自治区(2010年以後強制収容所で大虐殺)や香港民主化(2014年以後民主化運動の弾圧大量殺人)などの計画的殺戮政策が、それに当たります。

皆さん、もうお分かりですね。
中国共産党が「共産主義(全体主義)という宗教団体(思想集団)」として疑似的な「宗教戦争(殺害駆除)」をしているに等しいのであります。
共産主義を「信じる者は救われる」、それ以外は皆殺し。
多くの者達が中国政府の判断によって中国内で大量に殺されました。

もしも天安門事件でもウィグルでも香港でも、ユダヤ教やキリスト教徒が大量虐殺に遭ったのなら、それは国際的な問題に発展して、中国共産党は邪教国としてキリスト教会から判決が下り、すぐにローマ法王から討伐命令が各国バチカン組織へ「新約聖書のエペソ章」が発された事でありましょう。
これが発令したら世界で戦争が始まるのです。

しかし単なる、無神論者の集まりや、懐疑的宗教者や、仏教徒や、イスラム教徒などを目障りだから排他する幼稚な政策であったのならば、「中国共産党(共産主義教団)がいくら異教徒を大量殺害しても、バチカンは関心を持たず、キリスト教同胞至上の観点から救済判断は行なわずに人権侵害や殺戮を認識しない」のは、キリスト教が内在する宗教上の性質として、当然の事となりましょう。

ですから本来は、このような宗教戦争の場合、国連が仲裁や介入する事となりますが、今現在の国連の常任理事国には、当事者(加害者)の中国が参加していますので、既に「人類史の終焉」を物語るものとなっております事でしょう。

中国とは何かを簡単に言えば、宗教と同質性の有する「共産主義」教の者達が巣食う、多人種国家なのです。

そうした危険な国と国交を正常化した日本の首相が、故田中角栄なのでした。
もちろん、これに即座に反応したアメリカは知性で政治をする国家ですから、この知性の劣る田中角栄の動きにアメリカは憤慨し、早々と田中角栄を政界から退陣させるシナリオを描いたとされます。
そのシナリオがロッキード事件と言われ、アメリカの準備した対日工作の中では効果が高かったものとして、今では周知の事であり、それは我が国日本の大乗仏教を国体維持とする国事に連動しているものでありましょう。

そうした中での「南無阿弥陀仏」です。
なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。
今日もどこかで、どなた様が、唱えております事でありましょう。
誠に善き響きでございます。

今、我が国日本は、そして世界は、再び訪れた「末法思想の世」でございますでしょうねと多くの日本国民は考えるものでありましょう。

飢饉の後に来ると言われる大恐慌では、富める者が横柄になり、貧しき者が理不尽な目に遭う、といった人間道が現出する事でしょう。

本当なら人は、「三悪趣」を思い描き、善行を重ねる人生を選択するところ、それを全員で止めて「己の欲望充足の為に、殺しや、騙しや、嘘を付いて、そして生き続ける」。
そうした病める性根を持つ者が、平気で政治をしている事に、大きな矛盾と不条理さが出てきている、と言えましょう。

生産者は立場が強いのです。
その生産者の野菜農家は、平気で不作を理由として、物価上昇に加担しております。
熱波や猛暑や日照りで野菜の生育に障害が出るなら、それは毎年の事として、「商店街にある可動式型ビーチパラソルのようなもので、人工的日陰を作ればいいだけです」。
その設置を畑にするだけで、改善なのです。

そしてこれは、その可動式型日陰装置を製造販売すれば、ニュービジネスとして周辺産業界は盛況となります事でしょうし、冬季用や寒冷地用にある暖房系ビニールハウスとは別に、冷房系ビニールハウスを全国的に作ればいいだけとなります。
如何に農家は、そうした仕事を怠慢しているかです。
そして歴代の農水大臣は、農業の生産見直しの取り組みを長年に亘り怠けてきたと言えます。

それにこの世の中、簡易ミストシャワー、ドライ型ミスト、散水機、など科学技術の発展で、熱中症対策、加湿、防塵、ウイルス対策、ビタミン補給など、色々な効果を、より安価な設備投資で出来る時代、となっておりますでしょう。

デジタル庁はそうした改善の取り組みの為に存在しております。
頑張ってますかね、デジタル庁のお役人。

ねぇ、皆さん。
いまの物価高騰は、以上の話で、人災なのが分かりますでしょう。
それもこれも、大乗仏教の教えを知らないし、また知ったところで守らない者達がいるからだと言えましょう。

最後に、1970年・週刊少年マガジンで連載発表のジョージ秋山(朝鮮系)の名作漫画「アシュラ」をお伝えてしておきます。
このアシュラは、おそらく当て字であり、真意は「阿修羅」であり、阿修羅は古代インドで生命生気の善神として民衆伝承されております。
それが、場所と時を経て、大乗仏教に組み込まれ、守護者として釈迦を助ける「力の神の帝釈天」に対し、怒りをもって戦いを挑む「正義を司る神」として我が国日本では伝わります。

日本全国で「藤」を名乗る貴族の藤原氏族の御墓となる興福寺(奈良県)に阿修羅像があるのは有名ですね。
私は伊藤ですから、伊は伊勢地方の鎮守府の領主となる藤原氏族から出自した子孫達が名乗る「家の名」ですので、伊藤なのです。

まぁ貴族の血脈がない人も、大丈夫です。
日本人の8割ぐらいは名字のない子孫(農民、工商人、えた非人)ですので、それに悲嘆した下級士族が明治維新という軍人クーデターを我が国で起こし、名も無き人々に苗字(なえ)を授ける戸籍制度を制定したのです。
例えば、高い木の下に住んでいた者は「高木」という苗字を使い、川岸に住んでいた水吞百姓は「岸」です。

けれど太閤豊臣秀吉など百姓の生まれもいるので、各時代で立身出世して苗字を武士から拝借する場合が見られる事から、下々の出の血筋であると悩む必要はないのは言うまでもありません。

それとは別に、地名を名乗る人がいれば、それは地場豪族と言えますね。
どういう事かと言うと、東京都23区内なら豊島区がありますでしょう。
あの豊島は、豪族豊島氏族の領地だったことから名付けられました。
愛知県方面から東京へ侵攻してきた徳川家康公が、江戸幕府を開く為の江戸城築城を果たす時に、地場の豪族と合戦をして、豪族を多くを滅ぼし制圧したが、中には生き延びる豪族がいて、それが領地氏族の名と共に後世にあるのです。
また私と関係のある東京都北区豊島町(1丁目から8丁目)も、この豊島氏族と親族関係にある地場豪族鈴木氏族が支配していました。
このように領地領民を支配していた豪族の歴史は関東源氏の鎌倉時代からとなります。

そんなこんなの日本の武家と公家の時代における栄枯衰退を語る上で登場する「阿修羅」ですが、漫画「アシュラ」では大乗仏教の素晴らしさを描こうとしており、人格形成の過程や、人徳とは何かを知るきっかけになる、素晴らしいストーリーが、大乗仏教の教えをもとに構成させている感じが漂う名作でありますでしょう。

そして、その素晴らしい原作漫画と若干異なる内容で、名声優の野沢雅子さんや、名俳優の北大路欣也氏を起用した、2021年・東映アニメーション製作「アシュラ」は、これまた素晴らしい出来となっておりますでしょう。

人間は人として死ぬことが適うのかは、ひとえにその人格を司る心と言えましょうと諭します。
今まさに、その心を持つものが、政治を司らないことによる弊害や問題が多数起きているのではないでしょうか。

私達はそのような世の中で、堪えながら、そして、もがいていることでありましょう。

ある富裕層者と国会議員が、薄笑いをしながら言っていた。
「貧乏人の家庭には、こども食堂(子どもが一人でも行ける無料または低額の食堂)をわざわざ税金を使って開いたのだから、これから貧乏人どもは、少しは、文句を言わず、おとなしくなるだろう」。
「だから今後も、どんなに踏みつけても、蹴飛ばしても、世間には、こども食堂があるのだから、国民なんかは、生かさず殺さずで、増税のし放題が出来るのだ、ワハハ…」。

大乗仏教、その御心をお釈迦様のように会得し、悟りの境地に入れば、政治など容易い「まつりごと」となりましょう。
けれどもそうならないで、個人間の経済格差が拡大させられます。

独り占めするな、分け与えよ、そして移民を増やすな外国人を国内に入れるな、ここは鎮護国家である、との嘆きと怒りと希望が、救いの大乗仏教の風を今にも吹かせるようであります。

共産主義を離さない中国は日本に対して、自国の中国人を送りつけております。
彼らはみな、大乗仏教の教えを知らない移民や観光客であります。
その目的は、経済的負担増を日本国に発生させる事であります。
日本国を財政面から破綻させ、日本円を消滅させる狙いが、中国人にはあります事でしょう。
そして、軍事面では強硬手段に出て、尖閣諸島奪取をしてきます。
その手伝いを日本国民なのに、今後もするのですか、と言えます。
見直しましょう、移民や難民の受け入れ政策をです。

国会議員の中には帰化人と言われる、元外国人が多数います。
その者達は、私達のように「護国(五穀)豊穣を祝い、天に感謝し、大乗仏教の教えを有難く拝聴する人々」と言えますでしょうか。

金儲け、金儲け、人を踏みつけても金儲け。
それが拝金主義と言われるものであり、政治に利用すれば金権政治と言われるものになります。

それらを丸っと飲み込み、日本国民が幸福になる政治を目指し、今こそ「倭国の心」を取り戻す考えが、必要ではないでしょうか。
あしたの日本をつくるのは、今日生きている私達なのです。
一歩前へ、一緒に前へ進みましょう。。。完






























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