三愛ビルの看板/伊藤ビル株式会社

東京・銀座の中心にある円柱型のビル「三愛ビル(正式名:三愛ドリームセンター)」は1963年(昭和38年)1月に銀座5丁目に建てられた。完成以来、このビルの屋上の看板には「三菱」のロゴマークのネオンが輝いていた。

昭和時代の三愛ビル(東京・銀座)

銀座のシンボル

この看板は、昭和時代を通じて、「銀座のシンボル」「銀座の顔」として映画やテレビに何度も登場した。デートの待ち合わせ場所として、銀座の夜を鮮やかに彩ってきた。

1990年に「三菱(スリーダイヤ)」から「三愛」へ

しかし、1990年、三菱のスリーダイヤのロゴのネオンが撤去され、「San-Aai」のネオンに切り替わった。完成から28年目にして初めてのサイン交代だった。


n-Aaiとは、三愛ビル(三愛ドリームセンター)の所有者である三愛グループのことだ。三愛グループとは、三愛オブリ(当時:三愛石油)やリコーなどが所属する戦後のコングロマリットだ。九州出身の起業家・市村清氏が一代で築き上げた。(参考:プレナス投資顧問

一方、元の広告主の「三菱」とは、三菱電機のことだ。

9階建て屋上に高さ18メートルのネオン

三愛ビルは、三愛グループの大手婦人服専門店「三愛」が建てた。9階建て。高さ31メートル。屋上に高さ18メートル、3000ルクスのネオンがついていた。

ビルを建てたころ、三愛は資金が足りず、メーンバンクだった三菱銀行からの依頼で、三菱電機が、ネオンと4-9階を資金援助のつもりで借りたという。

ビル改装

三愛が1990年、ビルを改装するのを契機に、ネオンを自社のネームの入ったものにすることにした。三菱電機に「社のイメージアップのために返して欲しい」と三愛が頼み込み実現したという。

360度ネオンから半分に

第二次オイルショックの1979年、「エネルギーの浪費だ」として、1年間ほど消えたこともあった。

その後、周囲のビルが高くなり、見えないため360度から半分にネオンを減らした。

伊藤ビル株式会社
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