苺が咲いた
才能っていうのはあるところにはあるものなんだなぁ、とか、そんなことをしみじみ思う。
歳かな。
はっきり云って、僕は打ちのめされたのだ。
いちごちゃんの推理を隣でボーッと聞くフリをしながらも、身体は正直なもので今すぐこの場から逃げ出したくてソワソワしていた。
いちごちゃんの推理はこうだ。
つまり、
はじめから僕たちの認識は違っていて、
終わりは実は始まりで、
始まりは実は終わりで、
被害者かと思われていたゴトウさんは本当は加害者で、
実は僕たちのいるこの屋敷は細長い直線ではなく、
ぐるっと端と端が結びつくような円になっていて、
始まりと終わりの場所が隣あうようになっていて、
ゴトウさんは左端(だと僕たちが思っていた)部屋から、
右端(だと僕たちが思っていた)部屋へ矢を放ったのだ、
ゴトウさんの世界認識はすべてが円を描いた形になっているので、
終わりの場所から放たれた矢もまた円を描いて、
始まりの場所のゴトウさんの胸を奥深く貫いた。
実は本当に密室だったのはゴトウさんが殺された部屋ではなく、
僕たちの閉じたこの世界認識であったのだ、
ということらしい。
えーっと……ああ、そうですか……。←これ僕の正直な感想^^
途中から僕は完全についていけなくなる。ついていけなくなった僕を置いて事件は勝手に解決していく。最終的にすべては人々と異なる世界認識を持ったゴトウさんが周囲の人間の世界認識を自分と同じようにねじ曲げるために仕組んだ計画的な自殺であり、本当に悪いのは多様性を受け入れることができない現代社会であるというそれらしいオチをつけて、いちごちゃんへの賛辞とゴトウさんへの懺悔となんともやり切れないせつない感じを残して事件は幕を閉じたのだった。
ああ、そうっすか……。
事件を解決へ導いたいちごちゃんは満足そうに笑っていて、
苺が咲いた、と僕はぼんやり思った。
謎や密室や想いや祈りやそういった色々なものが全て、名探偵としての才能を開花させたいちごちゃんによって本来あるべき場所に配置され直した世界で僕は友人Bくらいの立ち位置で、そこでは僕はいちごちゃんの推理に逐一まさか、とか、ばかな、とか、とにかくそういう大袈裟なリアクションをとることでしか自分の価値を輝かせることができない。驚きすぎてもはや何が凄いのかもよくわからなくなっていたけど、それでも事件の度にひたむきにどういうことだ、とか、そんなことあるわけ……とか呟いて、なんだろう、自分の魂がすり減っていくのを感じる……。ただ、才能がないというのはそういうことなのだ。才能がなく、それでも中途半端に名探偵に対する憧れや好きという気持ちを持ってしまったどうしようもないウンコ製造人間にできることなんて本当にそれくらいしかないのだ。僕の魂の価値はウンコのようにすごーい、とか、なんで!?、とか、そんな言葉ですらない言葉を捻り出す程度のものでしかないのだ。
歳かな。
二十にもなって、ようやく獲得した価値がこれとは。
結構応える。
情けなくて涙が溢れるよ。
恥ずかしくて自殺しちゃいそうだ。
はぁ……。
で、しばらく僕はいちごちゃんから離れて暮らすことにする。世界が苦しいのであれば、世界と距離を取って逃げちゃうのが一番早いし簡単だ。
もちろん、いちごちゃんだってわざわざ僕を追いかけてきたりなんかしない。世界には僕なんかよりよっぽど価値のある謎が幾らでも転がっていて、だから僕なんかに構っているような暇は全く、ぜーんぜん、これっぽっちもないのだ。
喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、僕は僕の魂の価値の低さ故に幾らでも逃げ切ることができる。
そして僕は僕が本当に輝ける世界を求めて旅に出たってわけだ。
だがしかし、そんな都合の良い世界が簡単に見つかるわけもなくて、逃げた先の世界で僕はなぜか動物園のパンダの毛を刈る羽目になる。
「いてぇ」
「ごめん」
触らないようにしていたのに、文句を云われて仕方なく、左手でパンダの毛をそっと掴みハサミで切り落とす。
はらん。
地面に落ちたパンダの毛は黄ばんでいて絶えず悪臭をばら撒く自然兵器に等しい。こいつらは自分が出した糞尿の上を平気で寝転がったりするから、いつも薄汚れていて臭いのだ。それを少しでも見栄え良くすること。それが僕に与えられた役目であり、今の僕の魂の価値の全てだった。
「終わったよ」
「おう。いつもサンキュな」
「仕事だからね」
「お疲れ。残りは……あいつか?」
綺麗になったパンダが指差すのはオリの隅に寝転がって気持ちよさそうに寝息を立てている、群れのなかでも一段と汚らしいパンダだ。
「いい加減、あいつはいいだろ。いつも寝てばっかで、身なりを整えてやる価値なんかねぇよ。これで給料一緒だぜ?まじやってらんね」
パンダはぐちぐち云いながら、オリの向こうで手を振る子供のほうへ向かっていった。
あのパンダの云うことは非常に正論ではあるが、しかし、今の僕の価値はこれしかないわけで、だから、与えられた仕事は意味がなくともやり切るしかない。
重い足取りで、オリの隅で眠るパンダのもとへ向かう。
「パンダ、起きろ!」
「……んぁっ?」
パンダは今日も自分のウンコの上で寝ている。
「……。水洗いするから、ほら、立って」
「ああ……?あー、うん。ほいほい」
ノロノロと立ち上がるパンダへ向かって、おもむろにホースで思いっきり水を浴びせかける。パンダがつめてぇとかいてぇとか喚くが水の音にかき消されて聞こえないフリ。たまにはこれくらいの無茶苦茶が許されてっていいだろ?と僕は誰にともなく思う。
「てめぇ。まじで、虹吐くぞコラ」
水浸しになってげっそりしたパンダが吠える。
「まあまあ。落ち着きなよ。腕毛、ボサボサじゃないか。切ってやるよ」
まだ虹がなんだと騒ぐパンダを尻目に、僕は自分の役割を果たす。パンダを少しでも綺麗にする。やっていることはいちごちゃんの時と大差ない。結局、僕はどうしようもなく脇役で、主人公を際立たせるための道具にすぎない。
「だから、お前は少しは真面目にやれよ。一応、主人公なんだから。ここに立ってるってことは本当にすごいことなんだから。お前は選ばれてここにいるんだから」
「うるせぇ。黙れ。知ったくち聞くな」
「知ってるよ。いつも横で見てたから」
「虹を吐いたんだ。毎日戦って……。俺はそこらのパンダよりよっぽど価値があるんだ」
パンダは昔、きっともっと凄かったのだろう。偉かったのだろう。価値があったのだろう。青春汁に溢れ、世界の全てが敵で、魂を輝かせながらくる日もくる日も格闘したのだろう。
世界vs自分。
こんなに光栄なことはない。
こんなに楽しいことはない。
こんなに素敵なことはない。
しかし、今やパンダには昔の青春汁にすがるだけの、しぼりかす程度の価値しか残っていないのだ。
虹を吐いたんだ、というパンダの呟きを聞きながら、僕は彼の腕毛を綺麗に整える。
もちろん、僕だって、今すぐ逃げ出したい気持ちはある。
だけど、なんだか、もう、すっかり疲れてしまったのだ。
歳かな。
二十五にもなって、もう昔ほど僕は自由に動けない。
その日は珍しく、いつも寝てばかりのパンダが起きていた。
「珍しいな。どうしたの。やる気になった?」
「違うわ」
「あっそ」
「……」
なんだか、いつもよりパンダの言葉数が少ない気がする。が、まあ、僕には関係のないことだ。僕には僕の役目を果たすことしかできない。
僕はパンダの耳毛を毟り、腹毛を綺麗に整え、足毛を梳かすだけでなく、髪の毛にちょっと刈り込みを入れるなど、普段は絶対にしない遊び心を加えたりもする。仕事中、パンダはずっと大人しく、だからか仕上げ終わったパンダは過去一の出来栄えになった。
見違えるほど美しくなったパンダを眺め、自分でやっておいてなんだけど、僕は少し見惚れてしまう。
「なぁ、」
パンダが口を開く。
「うん?」
「俺をここから逃してくれないか?」
少し前に僕は夢を見た。
夢のなかにはいちごちゃんがいて、いちごちゃんは僕の顔を見て嬉しそうに笑うのだ。
「先輩、どこ行ってたんですか。探しましたよ」
「……うん」
「さ、帰りましょう。もといた世界に。自分探しごっこはもう十分でしょう?」
「……ごめん。それは、できない」
「なんで?」
「僕は……僕には、価値がないから。いちごちゃんの隣にいる僕には価値がないから。いちごちゃんの隣にいるかぎり、僕の魂は輝くことがないんだ。僕は、僕の価値を稼ぎたい。僕一人で、僕一人の、名探偵としての価値を」
それを聞いたいちごちゃんは、心底不思議そうな顔をしていて、
「先輩って、価値が〜とか、魂が〜とか、そんなこと考えながら推理してるんですか?」
「え?」
「ていうか、みんなそんな感じなんですかね。いや、ね、ぼく、そんなの、考えたこともなかったので。
ぼくはですね、ただ楽しいからやってるんですよ。
推理が好き。
ただ、謎を解きたい。
だからやる。
それだけなんですよ」
いちごちゃんは純粋に、真っ直ぐに、ただ、笑っていて、それは僕には到底似合わない笑顔。
だけど、
僕だって、
僕だって、何よりも推理が好きだ。
才能がない僕には、もう、好きしかないから。
だから、この気持ちはいちごちゃんにだって絶対負けない……。
なのに何で、
何で、こんな、負けた気分……恥ずかしい気分になるんだろう?
逃げたいんだ、と語るパンダの姿があの夢のいちごちゃんとかぶる。
「逃げるったって、どこに?」
僕は問う。
「お前のうちでいいじゃん」
「ダメだよ。うちはペット禁止だ」
「俺はペットじゃねぇよ」
「ペットだろ」
「虹を吐くペットがいるか?」
いない。
しかし、パンダが虹を吐いたのは過去のことなのだ。今のパンダは虹も吐けない、ただのウンコ製造人間なのだ。可能性を奪われた獣。僕と同じなのだ。
「大体、なんで、僕なんだ?」
「だって俺、お前しか頼れるやつ、いねぇもん」
僕は考える。
価値を稼ぐとはどういうことだろう?何を持ってして魂は価値を獲得するのだろう?例えば、ここで僕たちが逃げたとして、その先に僕たちの魂の価値を稼ぐだけの何かが待っている保証など何処にもないのに。
僕はオリを開け、そこからパンダを脱出させる。すぐにそれに気がついた警備員が詰め寄ってくるが、パンダに本気で殴られ、血を吐いて死んだ。悲鳴。先ほどまでオリの前で写真を撮っていた女子高生たちが叫ぶ。女子高生たちはパンダに本気で殴られて、内蔵を吐いて死んだ。
「おい、やりすぎだろ」
想像以上の事態に、僕は慌てて声をあげる。
「うるせぇ。やりすぎじゃないんだ。俺はもっとやるぞ。なぜなら、俺はすごいから。俺はえらいから。俺は俺の価値を知っているから」
そう云って、パンダは自分に向かってくる真面目な従業員やとある事件を捜査中の私服警官や祖国を追われた外国人や長年の夢を叶えた園長や傷心旅行中のOLや孫ができたばかりのシマウマや将来はサッカー選手になりたかった幼稚園児を全員撲殺する。
大量虐殺だった。
僕はこの惨状を諦める代わりに何かを獲得するのだ。
諦めた僕は人が人としての価値を奪われ、蹂躙される様をただボーッと眺めているフリをする。いちごちゃんはいつかこの謎も解決しにここへやってくるのだろうか?真昼間の動物園で起こった悲惨な大虐殺。血で真っ赤に染まった肉のカタマリが堆く積み上がっている様はなんだかまるで熟れた苺のようだ、と僕は思う。
それからパンダは本当に僕の部屋で暮らすようになる。パンダがやってきてからの僕の行動は素早かった。何せ、僕の部屋の清潔さが脅かされようとしているのだ。そこらじゅうに糞尿を撒き散らされちゃ困るのだ。だから、僕はパンダがやってきたその日のうちに百均に走った。
今、うちの便器にはこんな消臭マットが貼ってある。おかげか、とりあえず今のところ部屋は臭くない。絵は口ほどに物を云うのだ。
いとうくんのお洋服代になります。