雑記#3 青山学院でのアルバイトの追憶

今ではうだつの上がらないサラリーマンの私もさらにうだつの上がらなかった時期がある。学生時代だ。当時の私は大学卒業間近で、なんとかゴミのような卒論も提出し、掃き溜めのようなレポートも出しなんとか卒業が決定した。そして、4月から始まる社会人生活というものに少し心躍らせていたのだ。心躍らせつつも、あと少しの学生生活を楽しみたい。しかし、私には金というものがなかった。何をするにしてもお金が必要らしい。

私は当時3年続けていた塾講師のアルバイトをクb…自主的に退職したので収入源はまったくなかった。そうなると、派遣のアルバイトという選択肢が首をもたげる。

様々なアルバイトを経験された読者諸兄ならばご存知のことだと思うが、派遣でよく男性が紹介される「ライブ会場設営」や「展示会のパーテーション準備」などは非常に辛い。現場のおっちゃんみたいな人が怖い。なんなの。

しかし、お金がほしい…となっていると、「イベントでスーツを着て突っ立てるだけ」というバイトがあるということがわかった。場所は青山。当時私は埼玉の実家に暮らしていたが、定期を使えばそんなに交通費はかからない。やってみよう、アルバイトもこれが最後だろう。

少しずつ暖かくなり始めたがまだ冷える3月、私は表参道駅に降り立った。いや地下鉄だから降りたんじゃなくて登ったんだけど。私は身を包むリクルートスーツの中で武者震いしながら、戦いの時を待った。このリクルートスーツは、長い就活を共に戦った、いわば戦友である。思えば、このスーツを買ったのも(洋服の)青山だ。何かの縁だろう。

独特の雰囲気の中での「出席確認(バイトのリーダー的な人が点呼をとること)」を終え、私たちは青山学院に向かった。

うわぁ、青学めっちゃきれい…

「なんかいけすかないから」という理由で青学を受験しなかったが、受験してみてもよかったかもな…と思ってももう遅い。仕事は始まっているのだ。

「あ、これ設置しておいてもらってもいい?」

と、最初に支持されたのはパイロン(カラーコーン)とチェーンを運ぶ仕事だった。これが大量で、結構重い。

おい、突っ立てるだけじゃねぇのかよ!

青山学院で青山のスーツを着て脂汗をかきながら、まさかの力仕事を終えた。ようやくスタッフらしい仕事を任されたのは勤務開始から3時間後のことだった。

このイベントは、「集英社女性誌祭り」というもので、それはそれはキレイに敏感でナウでヤングな女性たちが訪れるものだった。室内で案内をしていると、記念の写真を撮るように依頼される。少しずつカメラマン役になっていった。実は、はあちゅうこと伊藤春香さんからも(お連れの女性だったかも?)から写真を依頼された。当時は、TwitterやAmebaブログが少しづつ勢力を拡大しているところで、私もご多分に漏れずTwitterで様々なアカウントを拝見していたので、はあちゅう氏も著書『わたしは、なぜタダで70日間世界一周できたのか?』もよく存じ上げていた。

やっぱ青学すげぇわ…

都内の大学に通っていたのに、有名人に会うことはついぞなかった。それがまさかよそ様の大学で叶うとは!田舎者冥利に尽きる。

そのあとは、パイロンの片付けを一人でやらされたり、腕時計(4,980円)を紛失したりしたが、なんとか戦いを終えることができた。私は安堵した。意気揚々と電車に乗り込む。

電車の中で、お尻が破けた。

電車の中で、お尻が破けた。

私の戦友は、激しい戦争の中で悲劇の死を遂げた。私の下着が見えてしまうことなど、瑣末な問題だ。就活のときはかがむような姿勢をとることがなかったが、今回のパイロン運びで相当な負荷がかかっていたのだろう。

私は鞄でお尻を隠しながらバスに乗り込み、帰宅した。

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