天堂天彦とフロイト心理学
天堂天彦とフロイト心理学
性のカリスマ・天堂天彦。
熱海秘宝館とコラボし、ananの「愛とSEX」特集に掲載されるなど、「世界セクシー大使」としての活躍の場を広げ続けている彼。
カリスマたちの中でもひときわ目立つ「性」の一文字。なんで天彦さんだけ一文字なんだろう、みたいな素朴な疑問の末に、「【フロイト心理学】からの引用なのでは?」ということに気づいた。
ので、書きたい。書かせて〜〜〜。
フロイト心理学
心理学とは、ざっくり言えば、人間の心と行動の関係性などを分析し、メカニズムとして解明しようとする学問のこと。その中でも特に「フロイト心理学」のお話をします。
ジグムント・フロイト。彼は夢判断などの精神分析学を創始し、「無意識」「リビドー」という概念を発見した心理学者。(この時点で今回なにが言いたいかもうお分かりだと思います。)
さて、フロイト心理学における「生の欲動/死の欲動」は「エロス/タナトス」と言い、そして、「エロス」から出ずるエネルギーを「リビドー」と言います。
フロイトは、そもそも神経症の治療法として心理学(特に臨床心理学)を提唱していました。彼は「無意識レベルに『己の中にある欲動』を閉じ込めているから、その抑圧されたエネルギーがヒステリーになる」と考え、ではその欲動の正体とは? と考え至ったのが、「性欲」です。
つまり、「エロス(生の欲動)」から出ずる「リビドー」とは、内に秘めたる「性欲」のこと。(この文だけでかなり天堂天彦!)
余談①
「エロース」という歌詞もありますが、
これは「エロス」ではなく、歌詞の表記通り、「エロース(Ἔρως)」というギリシアの神様です。
あ! いまWikipedia見たら「エロースの象徴は弓矢及び松明である」って書いてある。Aメロの「矢を放て 灯を掲げ」ってそういうことか!
余談②
フロイトの欲動論に倣ったクライン学派は、エロスと相対する「タナトス(死の欲動)」から生じるエネルギーを「アグレッション(攻撃性)」と考えたのですが、これを聞くと『気合い入れろ』回を思い出しますね。
己が内罰の感情を擬似的に外に向けた大瀬くんが、パンチ一発でハウスをめちゃくちゃにしてましたが……(あの攻撃を受けて、一時的とはいえ猿川くんはどうやって生き残ったんだ。)
天堂天彦と湊大瀬(個人的解釈)
さて、なぜエロスとタナトスの話の余談で内罰のカリスマ・湊大瀬のエピソードを出したかと言うと、私がいっっっっっちばん書きたかったところ、それが「天堂天彦と湊大瀬の対比」だからです。
⚠️私個人の解釈を多大に含むので、苦手な方はスルーしてください。
突然ですが、『めちゃめちゃカリスマ』のソロパート歌唱順をご覧下さい。
依央利・テラ→ 理解・猿川 → 大瀬・天彦 → ふみや
この順番。これが何なのかと言うと、二人組で対比になっているんです。
依央利は服従、自分を殺して他人に尽くす。
テラは自愛、自分を愛して自分に尽くす。
理解は秩序、ルールとマナーの遵守を。
猿川は反発、ルールとマナーの破壊を。
ふみやは正邪、一人で善と悪を持ち合わせている。
そして、大瀬は内罰、天彦は性。
一見すると関連の無いように思いますが、フロイト心理学のメガネを通すと、彼の性とはつまり生。彼の内罰とはつまり自死。
エロス(生=性)と、タナトス(死=内罰)。
自分の精神を表現する技法(踊る・ポールダンスするなど、欲動に従い自分を表現する)と、
自分でないものを表現する技法(金属加工や彫刻・狼の絵・6人の大きな絵など、自分以外を表現する)。
他人に理解されない思想(「芸術に身を捧げし、孤高の探求者。故に、理解者には恵まれない」(#6「性」))と、
他人に評価される思想(みんなが喜ぶクリスマスツリーが作れる、中神博士のもとにつく研究員たちも感嘆する絵が描けるなど)。
そしてコミカライズ、「海へ」回。
最後のページ、崖から落ちるみんなに隠れて、後ろで二人が何かポーズをとっています。
これは、ミケランジェロ作『アダムの創造』。
天彦さんがアダム(受け取る側)で大瀬くんが神(与える側)……。
アダムは何を隠そう、創世神話における「神によって作られた原初の男性」。
そんなアダムに、神は何を与えた?
そう、ポールです。
大瀬くんは天彦さんにポールを与えました。天彦さんにとって、ポールを使って踊ることは、いわば己の内に秘めたるリビドーの解放。彼にとっての性、そして生。
生命の誕生に関するさまざまな考察がなされているこの絵画のパロディの配役が、「フロイト心理学において特に生命に関する重要な要素である生(性)と死がモチーフになった二人」という、この、筆舌に尽くせない魅力。
そういう素敵な二人す。ご清聴、あざした。
局所論モデル・無意識
閑話休題。
フロイトが提唱したもののひとつに、「局所論モデル」というものがあります。これは、「人間の心は三つの層に分けられる」というもの。
その三つの層とは、「意識」「前意識」「無意識」。フロイトは、はじめこれを提唱し、現在も「無意識」という言葉が広く使われています。
無意識とは「抑圧されていて、原則として自分では認識できない部分」を指します。
構造論モデル・エス
そして、無意識の領域に潜む「エス」。この「エス」も心理学用語です。
局所論モデルを提唱したフロイトが、のちにモデルチェンジを行い新たに提唱したのが、「構造論モデル」。これは「人間の心は三つの要素で構成されている」というもの。
その三つとは、「エス」「自我」「超自我」。
特に「エス」とは「性欲や攻撃性などの動物的な本能」のことを指し、「自我」「超自我」と相互に抑制し、そして葛藤し合う存在。(「イド」とも呼ばれます。)
つまり、
という歌詞。
これは本人の言葉を借りると、
こういう意味になるわけですね。
(字幕の表記が「人」ではなく「ヒト」なのも、動物的な本能であることの表現ではないかなと思います。)
父彦と「超自我」
そして「超自我」とは、特に「親から植え付けられた道徳観・価値観」のこと。要は「社会や周囲の人間から着せられた偏見」。
フロイト心理学は、「原因」を究明することを得意としていました。無意識下にある本能を、心の奥に秘めた欲動を、「過去にこんなことがあったから、あなたは今こうなっているんです」と指摘することに長けていたのです。
しかし、これは現代ではあまり使われなくなってしまった考えです。原因だけ究明しても、過去をどうすることは誰にもできない。現代の心療においては、「なぜそうなったのか」という「原因」よりも、「なぜそうしたいのか」という「目的」を軸にして治療することが主流です。
けれど、性のカリスマ・天堂天彦。リビドーの根源を探る彼にとっては、そのフロイト心理学こそが必要だった。
あとがき
これが書きたかった。満足しました。
カリスマという作品に、そして天堂天彦という人間に出会って、心理学の面白さを再確認できて良かったです。
私には心理学についての深い知識もありませんし、間違っている箇所など多々あると思います。あまり真に受けず、そういう視点もあるんだな~程度で、何卒。
参考:比べてわかる!フロイトとアドラーの心理学 (青春新書インテリジェンス)/和田秀樹
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