言動不一致マンとどう生きるか

どうやら僕たちは一貫性のある行動を取るように設計されているようで、そういった行動をとったり、また周りからそう見られることは、生きていく上で有利に働くことが多いらしいです。

言っていることとやっていることが一致しなかったり、日によって立場が変わっていたりすると、裏表がある、記憶力がない、合理的でない…といった好ましくない特性と判断される場合が多いからですね。政治家は公約を語りますが、そのために尽力していないと判断されると人気がなくなってしまいます。
逆に、一貫性がある人は知的で、合理的で、信用に値する人だとみなされるのだろうと思います。有言実行する人はかっこいいですよね。言っていることとやっていることが同じで、宣言した通りに生きています。非常に魅力的です。

周りからどう見られるかに限らず、一貫性を持って振る舞うことで判断の回数を減らすことができるのもメリットですね。「仕事の前の日はお酒を飲まない」と心に誓っていたとすれば、「明日も朝はやいけどどうしようかな…」と迷う必要がなくなり、より楽に生きることができます。
自分の信じているものを信じ続けることは精神衛生にもいい…というのもありますね。自分はこの車がよいと思って買ったのだ!と思ってドライブに行けた方が幸せですからね。

そんなわけで遺伝子レベルで一貫性の重要性について理解している僕たちは、一貫性のない行動に対して違和感、あるいは嫌悪感を持つようになっているような気がしています。今日からダイエットすると言いながらお菓子を食べている人をみて、なんだこの人と思ってしまうのも仕方ありません。

とはいえ、一貫性を持つことにこだわりすぎないこともまた大切だろうと思うのです。言動の不一致は誰しもに起こりうることだと思いますが(もちろんぼくも)、それら全ての原因が責任のない発言や狂った頭ではないということは覚えておきたいポイントです。
じゃあどんな時に一貫性が失われるのか?という部分について考えてみます。

まず、考え方が時期によって変わってくるパターンがありますよね。「大きくなったらパパと結婚する!」と言ってくれていた娘が別の人と結婚したとき「裏切ったな!」とはならないわけですからね。短いスパンでころころ変わると考えものですが、人の意見は変わるものです。

次に、記憶が正確でないパターンがあります。「子どもの頃からご飯を残したことはなかった」みたいなことを言っていても、おうちで食べた茶碗のみを想像して、頼んだのに食べきれなかった食べ放題メニューのことは抜け落ちていたりします。序盤に述べた内容からすると悪に分類されそうな感じがしますが、悪気はありません。

前提や論理が違うパターンもありますね。「浮気なんてサイテー!」と言ってる人が、恋人以外の人とホテルに入っていったとします。でも当人にとっては誰かとホテルに行くことは浮気でないかもしれません。その場合の指摘は「あんなこと言ってたくせに、アンタが浮気してるじゃん!」ではなく「あなたにとって浮気とは?」が正しいような気がいたします。最初の例をあげると、ダイエットのためにお菓子を食べているのかもしれません(そんなことはないか)

ふと思い出したのでONEPIECEの話をしますが、海上レストラン「バラティエ」のパティさんは「お客様は神様!」をモットーにしていながらも「金を払わないやつは客じゃない」といって無銭飲食マンをボコボコにしてます。側から見れば一貫性のない行動に見えますが、論理の筋道は通っているんですよね。

こんな感じで、側から見ただけで「あの人は矛盾だらけだ!」と判断するのは早計である場合があるのだろうなと思って生きていくと、誰かを見てマイナス感情が生まれる回数は減らせるんじゃないかと思います。かくいう自分も「あのひと、言ってることとやってることが違うよな…」と感じることが幾度もあるわけですが、そこは広い視野で見れるよう矯正していけたらいいなと思っています。

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