投資リターンの話

自分は社会人1年目の頃からちょこちょこ株式投資をやっておりました。あまり物を買わず、浮いたお金はそちらに回すようにしていて、4年弱続けております。全額をスタート時に入れたわけではないので年利計算とかはめんどくさいですが、いまは合計投入額の1.2倍くらいの価値になっているので年5%以上は取れている感じです。

しかし、この頃のインフレを考えるとめちゃプラスになっているとも言い難いですね。貯金してるよりは幾分かマシだろうとは思いますが、この社会に対するぼくの資産の相対的な価値はそう変わらない気がします。これを続けて中年になったとき、社会に対する自分の資産の相対的価値が変わらないままだと仮定すると、いま楽しいことを我慢して未来に持ち越している「だけ」のような感じがしますよね。実際には複利の話とかがあるんですけども。

先ほどの内容は資産の話に限定したものなんですが、同じような「将来のための我慢」って他にもあると思うのです。学生時代に勉強したおかげで良い職につけるとか、健康的なものを食べたおかげで元気とか、言いたいことを言ってケンカした後にもっと仲良くなるとか、筋トレしたおかげでマッチョとか、そういうリターンはいまこの瞬間を犠牲にしてまで獲得する価値のあるものなのだろうか、というのはよく考えてしまうポイントなんですね。

ぼくは1年ほど前から英語の勉強を続けていますが、これがまた嫌です。いつもいつも苦しみながらテキストを読んで、ビデオ通話をして、TOEICを受けにいってます。今日くらい遊んでもいいよねとSwitchの電源をつけてモンハンをプレイしたいところですが、今日休むと来週から絶対やらなくなるので今日やるしかありません。そんなのをずっと続けておりますが、ここまでして頑張る価値があるのかはずっと考えてしまいます。

先日のTOEICで自己ベストが出まして、どうやら受験者の上位20%くらいになったっぽいです。今後の人生、ことあるごとにそれを思い出しては自己肯定感を高めることはできそうですが、それよりも自分の中ではソロでアルバトリオンを倒したことも同じくらい達成感があったりするのですね。楽しく遊んでただけなのにね。自己肯定感という面では、後者の方が圧倒的にコスパがいいです。

食べ物にしてもそうです。いつもいつも野菜を馬鹿みたいに(文字通り)食べておるんですが、本当はパンとかアイスクリームも食べたいわけですよ。だけどそうすると太っちょになってしまったり、病気になりやすくなってしまったり、まあいろんな問題が出てきてしまいます。ぼくは食べ物へのこだわりが薄いうえ、野菜も好きなのであんまり苦ではないんですが、そうでない人からすると地獄のような生活なんだろうなと思います。病気にならない確率を上げることは、果たして我慢に見合ったリターンなんでしょうか。

今日みたいな予定のない休みの日には電車に乗ってどこかに行きたいところですが、そのリソースはいつか開催されるもっと楽しい遊びに使った方が有意義です。でも、そのいつかは来るんでしょうか。ぼくはどこかのタイミングで死にますが、死ぬ直前までそんなことを言って、リターンを受けつつも我慢し続けるのは幸せなんでしょうか。飲み会でビールを流し込みながらタバコを吸っているおじさんたちの方が幸せに見えてしまうのは、その瞬間しか見れていないからでしょうか。そうしないことによって幸福度アベレージが高まるだろうというのは、自分の思い込みなのでしょうか。

「もっと遊んでおけばよかった」と「もっと勉強しておけばよかった」は、どちらもよく聞く言葉です。もうちょっと大人になったら、ぼくもどちらかを言うようになるんですかね。

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