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ハイヤーセルフ奇譚『海賊の女統領』


すこしガラの悪い場所にある個人経営の喫茶店に、足繁く通っていた時期がある。

商店街の寂れたところにあるので利用客は高齢者が多い。

大きな水槽には熱帯魚がいる。
水槽は綺麗とはいえず苔がはりついてるが、なんとか魚は目視できる。

店の中もぴかぴかとは言い難いので、それくらいの水槽がちょうどよく馴染む。

毎朝8時ごろになると、一癖ありそうな吊り目のお婆さんがチリンチリンと入ってくる。70代後半か、80代かもしれない、ちぢれ毛をヘアバンドでまとめてオールバックにしている。
チーズトーストかジャムトーストかどちらかを頼み、タバコに火をつけて吸いはじめるところまでがルーティーンだ。

そうして30分くらいたつと、またチリンチリンとドアの鈴が鳴り「おう、オバハンおるか」と、昭和の漫画からでてきそうな60代の男たちがやってくる。

なかなか個性豊かな3人組の男だ。

ひとりは小太りでだんご鼻、瞳はレトリバーの子犬のようで愛嬌のある雰囲気。
「ねずみ」と言いたいのにずっと「こうもり」と言ったり、「ケチャップ」を「タバスコ」と言ったりして、言葉が噛み合っていないことがよくある。
本人もそれも承知で笑っている。

もうひとりは無口で、鉛筆のように細っこく、白髪混じりの、首を前につきだした円背である。「おまえくさいねん!」「風呂はいっとんのかい!」「頼りないねん、おまえは」と仲間からいじられつつも、ニコニコ笑っている。もちろん、それがいつもの冗談なのだとわかる和やかさがある。

もうひとりはやけに姿勢が正しい。印象に残るくらいの長身で、オールバックに大きなサングラス。着ているものがオーバーサイズで擦り切れているせいで、だらしない雰囲気が漂う。仲間の騒がしさになんの影響もうけず「ホットコーヒーで」と淡々と話す。いつもあまり喋らない。

「オバハン」と呼ばれている、吊り目の小さなお婆さんのもとに、大小高低、様々な特徴のある男衆3人がぞろぞろと座る。

この店ではいつもの光景だ。

彼女と男衆3人組が話す内容はだいたい「自分や仲間の間抜けだったところ」で、なんだか憎めない内容なのだが、爆笑するし、声は大きいからちょっと迷惑感は否めない。

それでも、各々みんな好きなように、いつも通り過ごしている。

ちなみに雨の日は男衆3人組が来ない。

その日の「オバハン」は、調理雑誌の『オレンジページ』を見る。

私が隣の席でコーヒーを飲んでいると、「オバハン」から声をかけられた。

「ちょっとおねえちゃん」

私は声をかけられて驚いた。

そんなことを気に留めずに、オバハンは私に話しかける。

「わたしこれみたことあるわ。新しい号のんはどれ」

目の前の『オレンジページ』をぱたりと閉じ、本棚のほうへ目をやる。

最新号のオレンジページをそこの本棚から取ってきて欲しい、ということだろう。

この「オバハン」は、すぐに人を使う。
私以外にも、「おしぼりとってきて」とか「水いれてきて」など頼んでいたのをみたことがある。

他の客が使い走りになっているのをみたママが「セルフサービスなので」と注意をすると、「世の中助け合いやないの、あんた、いけずやな」とむくれてぷりぷりと怒りだす。
終いには「あんなあ!いけずいうのはな!ほんま、生きていくのにこまんで」と聞こえるように大声で言い始めて、むしろそっちのほうがいけずなのでは、と思う。

そういう子供じみたすねかたをする人なのだが、最新号のオレンジページを、背中をまるくして、ものすごく顔を近づけて注意深く確認しながら、買い出しのメモをとっている姿はなんとなく寂しげで、いじらしい。

何回もその「オバハン」を目にするうちに、わたしは彼女の前世が見えるようになってきた。

ギィギィと歩くたびに軋む木の床。
潮風に吹かれ続けた肌はなんとなくべたべたしていて、日に焼けている。
波の上を水をかいてすすむ音が聴こえたかと思えば、天板の上であぐらをかく女性の姿が見える。

海賊の女頭領だ。

ガラの悪い、薄汚い男たちに囲まれつつ、偉そうにヤジを飛ばし、笑い合う姿が次々に見えはじめる。

「オバハン」と呼ばれながら、この喫茶店で男衆3人組と楽しそうにしているのも、そのときの記憶と一致するなあ、と思う。

「オバハン」たちはほぼ毎日、この喫茶店に来る。

わたしはたまにしか行かないけれど、「オバハン」が古いオレンジページを持っていこうとしたときに「こっちが最新号ですよ」と最新号を渡したり、自分が水を注ぐついでにおしぼりをついでに届けるのを、半年ほど続けた。

それはオバハンが特別に好きだったからではなく、自分の好きな喫茶店の平穏を守りたかったからだ。

あるときオバハンが「あんた、週に3回くらい、ここへきとんのやな」と、私の肩を叩いた。

わたしが「はい、そうですね。木曜日が多いですかね」と話すと、目を見開いて嬉しそうにしたあと、片側だけ口角をあげた。

そのときの表情は、男衆3人と話しているときの表情だったから、わたしも仲間認定されてしまったな、と気づく。

わたしに海賊の前世は無いが、今世、晴れて、前世が海賊の女頭領から一味と認められたわけである。

オバハンが、お気に入りの店のママに「あんたいけずやな!」と大声で喧嘩を売っていたときは、なんと子どもじみた人なのかと呆れた。

でも、気の強い女頭領から仲間意識をもって笑いかけられると、やっぱりちょっと嬉しかった。

もちろん、彼女が子供じみたいけずな人、というだけではないことを知っていた。

男衆3人組の会計も、いつも彼女がすべて払っていた。

「あんたらのせいで、売り上げ貢献しすぎた!」と笑いからかう姿も、なんか楽しそうに見えた。

男衆3人組は「オバハンに払わせえや!」と笑いながら、よく食べる。
彼らも、前世、海賊だったのだろうか。

そのカフェはもう潰れてしまったから、わたしはもう「オバハン」にも「男衆3人」に会うことはなくなった。

会うことはないからこそ、こうして文章にできているわけである。

きっと、「オバハン」と「男衆3人組」は前世を倣うように、またどこかでタバコを蒸して「間抜け」だとか「くせえんだよ」とか「おめえが払えや!」とか言い合って笑いながら過ごしているんだろうなと思う。

みなさんは、この「オバハン」をどう思っただろうか。

なんだか憎めない、魅力的な人物として書けていることを願う。

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