人に読ませるためではない日記2024.5.17

今日から三連勤。

4日間もバイトがないのは珍しかった。
色んな雑感の整理をするために「耽る」という時間がわたしには必要なので、本当にありがたかった。でも、ありがたがっている場合ではない。これから創作を続けたいのであれば、週のうち4日間は「気負いなく自由に耽り、自由に動ける」という時間があることを基準にしたほうがよい。「作品を自由に生み出せるわたし」への漸近。

バイトで、お客様の希望時、オーダーの機械で「焼き」という指定を入れるんだけどそれを忘れてしまった。「すみません!ヤキいれるの、忘れてました!ヤキいれときます!」と絶対に使うことのないであろうワルな言葉を平然と使えた。チンピラの気分を味わえて嬉しい。「焼き」という指定を忘れたのは2度目なのだが、1度目は「焼きいれときます」と本来の言葉通りの意味で言った。2度目の今回、ついにその時がきたぞと言う感じ。
久しぶりに会うパートのAさんから「聞いたで。手裏剣投げれるようになりたいんやって?」とニヤッと尋ねられた。誰が話したんや。手裏剣は投げるのが意外とむつかしくて、下手が投げても刺さらないらしい。手裏剣、かっこよく投げたい。
看護師を辞めて、社会人はもうドロップアウト、無理、というのは決めたことなのだが、そうすると履歴書を書く機会が本当にない。なにかに応募するにしても作品が全てだ。履歴書をもし書くなら、特技のところに「手裏剣を投げるのがうまい」と書きたい、という話になった。Aさんに「何かほしい特技とかあります?」と尋ねたら「うーん」とひとしきり考えて、「わたしは手裏剣より、国家資格ほしいよ。看護師!」と羨ましがられた。わたしにとってこの資格は「自由に生きることを誰にも邪魔させないための手札、兼、証明書」だから、もう多分、今後、使うことはない。この手札を手にするために、何に挑戦してもよかった20代前半の素晴らしい時期を、思い出したくもない暗黒時代として歩んだ。我慢のゴールテープを「就職して3年」というところに置いて、今だけの我慢だと言い聞かせてきたことは心身を劇的に蝕んだ。何度も何度も「看護」という道に関しては、はやく引き返すように天からたくさんの挫折を与えられていたのにな、と思う。まあでも、看護学部に行ってなければ、私の楽曲『入道雲』は出来ていない。かなりの名曲だから、あの曲のために暗黒時代があったと思えば悪くはない。「この曲ができたからまあ別にいいのでは」と許せるなんて、やっぱり私はアーティストじゃないか、何をやっているんだか、と思う。

昨日、心をざらりとさせてくる出来事があった。でも、それにより「ざらり」とすることが私の創作活動への妨げになるならば、完全に無視することが望ましい。考えないようにしているのだが、ふと、「ざらっ」と思い出す。「私は本当は弱いのではないか」という潜在意識があるせいで、完全に忘れきる、という自己洗脳が起こせない。自己の中に、そういうざらつきのある弱さがあるという事実。「悔しい」と言う感情が抽出されて、私をざわざさせる。いつものカフェでピアノの先生にそのことを話すと「ワシは自分より弱いものに全く興味がない。強くなりなさい」と言われる。

「強くなるって何?」
「負けないこと」
「負けないって何?」
「色々あるね」
「先生は、わたしがどういう状況になったら負けだと思う?」

「雷夏ちゃんは、自由ではない、と感じたら負けだよ。自由であると思えていれば、ずっと勝ち」

その通りだ、と思った。

先生は、社会的にも、経歴的にも、音楽的にも、外見的にも、いろいろとすごい人だ。第一印象に強烈さを感じる人も多いだろう。
多くのひとが先生の「第一印象の強烈さ」について語っているのを聞いてきた。

私は友人を先生の店に、よく、連れて行く。
そうして連れて行く私の大好きな友人らが、皆、先生の第一印象の強烈さを語らないことに驚くのだ。

「あの人。余計なこと聞かないね」

あんなにも、第一印象の強烈さが語られる人物を、そう評する。

わたしは、その評を聞いて、溶けるように「好き」を自覚する。好きな友人たちの着眼点が同じであることに、溶ける。「好き」の輪郭が見えている自覚などあったことはない。けれど、こうして表出された時に、私の「好き」は、心の奥底に眠る、とても鋭いものだということを自覚する。

夜にまた、追記するかもしれないし、しないかもしれない。
今日は早め(16:16)に日記を済ませる。

友人の、葦田くんの文章が賞を獲った。
以前会った時に私にも読ませてくれたものだ。自分の作品も入れているA4クリアファイルをガサガサと漁るときに目に入る作品だった。とても嬉しい。
不思議な縁で、私と彼は、お互いに作品が賞をとるたび「おめでとう」と直接言い合えるタイミングがなぜか設けられている。
この世にひとつしかない肉体・限りある時間。
直接「おめでとう」と言えることは当たり前ではない。
彼が有名になれば尚更だろう。

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