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フットボール(サッカー)のある日常に求めてることーなんとなく

フットボールというのは、理由なんて考えなくていいくらい当たり前に土曜日か日曜日に試合があって、とりあえずそこに行けばそれがあるというものな気がする。

この試合に勝てば○○できる!とかそういうスポーツのゲーム性は度外視しても人が来る場所。

新興勢力であるJリーグがそういうフットボールの原風景的な存在をいきなり目指すべきとか、そうあるべきとか、まで言いたい訳ではないけど。

春が近づいてるなとか、もう夏も終わりだなとか、感じながらスタジアムに向かい、何か食べるものを調達し、いつものスタジアムに入って、適当に席を選んで。
アップに現れる選手達に気持ちが昂り、応援の声に気持ちが昂り。アウェイの選手・サポーターを眺めて。そういった席から見える景色のいつもと同じ部分、違う部分を感じる。

そういった時間の流れを噛み締めながら迎える試合は最高で、もちろん勝利があればさらに最高なんだけど、負けて悔しかったり納得いかない部分があったりしてもそういうネガティブな感情も含めて、その日1日いい時間を過ごしたなと思える。
そういう場所とコミュニティを確保するのがフットボールクラブなんじゃないかなと思う。

これを牧歌的と呼ぶのかわからないけど私は、フットボールの本質、もしくは本当の意味のようなものをここに感じる。

最近は、内容や結果が伴わないとすぐ破滅的な雰囲気が漂うし、
ファンとは、サポーターとは、どうあるべきか。写真ばっか撮るな。映えのために来るな。かわいい自分を演出するな、サッカー好きな自分が可愛いだけでしょ。 戦術的な狙いが〜とか。このままではこの試合に勝っても〜とか。
いちいちうるさい。

そういう場所があること自体が尊いはずなのに。
ツイッター見なければいいだけかもしれないけどツイッターみたいなSNSこそ多幸感に溢れててほしい。



(リバプールも)川崎フロンターレは勝ちまくるチームになったばっかりに、試合をするたびこういう良くない側面が噴出していて楽しくない。

僕は最近「等々力はスタジアムとしては好きじゃない」と思っているけど、こういったことをぼんやり考えてみるとそうじゃあなくて、そういった「楽しくなさ」が勝ってしまってる、本当の目的が見逃されている、だけな気がしてきた。

最初にJリーグがいきなりそういうコミュニティを目指すべきかの話は後回しにしたけど、少し前の勝ちまくる前の等々力にはそういう時間の流れを楽しめる環境が確実にあって、それが好きだったし、今もそれはあるはず、と信じたい。
それを恋しく思うほどの心地よい春の気候の日曜日なので思わずポエムをしたためました。

去年は一度も川崎を見に行かなかったけど、殺伐としていない時期になんとなくそういう時間を味わいに行きたい。


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