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フィリピン人女性との交際のススメ2

 前回の「フィリピン人女性との交際のススメ1」にお越し下さり、「スキ」を頂きました方々、有難うございました。
 「応援されるとやる気が大きくなる」とは本当ですね。次の書きこみにとてもすんなり進むことが出来ました。感謝します。

 さて、続きとなりますが、前回、「フィリピン人女性との交際のメリット」を7つほど挙げさせて頂きましたが、順を追ってその理由を書いて参りたいと思います。

1.混血が進んでいるので、大きな目のチャーミングな女性が多い


フィリピンの歴史からなる理由を、少し話していきます。
「16世紀ごろから、フィリピンにやってきたスペイン人によって、植民地になったフィリピン」
 
スペイン人の血が現地の民族と交わり、フィリピンの混血〔ハーフ)は進みました。「メスティーソ」(混血人種)と呼ばれる割合が多く住む国の一つで、植民地という悲しい歴史を持つ反面、ミスユニバースの優勝者を何度も輩出するほどの「美人大国」の一角となりました。

 経済成長をとげて、金持ち国家の仲間入りをした1980年代の日本には、かつて「じゃぱゆき(JAPANに行きたいと願うフィリピン女性たち)さん」と呼ばれる出稼ぎ労働者のフィリピン女性が多数来日していました。「タレント」と呼ばれる女性たちは「シンガー(歌手)」か「ダンサー」のビザの区分けがあり、それぞれの「職種」で日本に出稼ぎに来ていました。

写真はじゃぱゆきさんとは関係ございません

 働く場所は主に、「フィリピンパブ」と呼ばれるキャバレーやクラブです。当時は日本も裕福だったので、給料を多く払っていたようです。
 そのうち、お客としてお酒を飲みに訪れる日本人男性との間に恋が芽生え(日本人は瞬殺されていたようです)、国際結婚は一気に膨らんでいきました。

芸能界に広がるフィリピンハーフの波

やがて経済バブルがはじけて、ブームとなった「じゃぱゆきさん」も下火に。一気に来日するタレントさん達も減りました。大きな理由は飲みに行くお金が日本人にもなくなったからです。
 それでも、ブームが去ったあとでも、来日するフィリピン人女性はいました。1990年代に来日し、日本人男性との国際結婚し、そのカップルの間に産まれた子供たちには、その後の今、芸能界で立派に活躍されるスターがいますね。
池田エライザ 髙橋メアリージュン ゆきぽよ などですね。

 彼女たちだけ目立ちますが、一般人のハーフの子供たちも非常に美男・美女が見受けられます。私の友人は、日本にダンサーで来たフィリピン人女性と結婚していますが、一度、食事の場に20歳の娘さんをご飯を食べに連れてきたことがあります。
 派手さはありませんでしたが、とても美人さんでした。その娘のお姉ちゃんも写真を見せてもらいましたが、やはり美人でした。実際にそのお姉ちゃんにもあったことがある別の友達は、「お姉ちゃんの方が美人だよ」と、言っていました。
 
 かつて、1990年代に、フィリピンに遊びに行けるほどバブルで富裕となった日本人は、現地でもフィリピン嫁をゲットしていたようです。

 フィリピンの首都、マニラのあるルソン島は、確かに人口が多い分、国内から様々な人が集まって来てはいますが、「メスティーソ」と呼ばれるハーフは、フィリピンの南に位置する「ダバオ」の地域に多いそうで(残念ながら、私はダバオ島には足を運んだことが無いのです。)、かつてはフィリピン航空のCAとして働いていた女性が多くいたらしいです。

 もちろん、じゃぱゆきさんも「タレント」ではあるので、それなりの美貌をお持ちの方もいたのですが、当時を振り返る現地在住の日本人の御兄さんたち(今は60代くらいですか)の話によると、「そりゃー、フィリピンエアーのCAはびっくりするような美人ばっかだったよ!」と顔に笑みを浮かべながら話していました。
 そんな「ダバオの宝石」を現地で発掘し、日本に持ち帰って大事にしている日本人男性がかつては居たのだなぁとしみじみ思うのでした。

今日の話はここまでにしたいと思います。
次回は、フィリピン女性のストライクゾーンの広さについて考察して行きたいと思います。
長文にお付き合い頂き、有難うございました。 Masa


 

 

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