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休部(実質的な退部)そして休学へ

こんにちは。Shunsukeです。
今回は僕自身の覚悟と決意を書かせていただきます。
内容はタイトルの通りです。
この度21年間の人生の17年間を捧げてきたバスケットボールの現役生活を閉じることになりました。
今まだ応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

なぜ明大バスケットボール部をやめたのか。
それは

『プログラミングとビジネスに全てを賭ける決意をしたから』

です
バスケしかしてこなかった僕は
バスケでしか自分を見出すことができなくなっていたのかもしれません。
ある意味、バスケを失うことを恐れていました。

部活の仲間。応援してくださる人たち。今までの自分自身とのけじめ。
部活を辞めない理由を探す方が簡単でした。
でも今、この地球に生まれて史上最大とも言える衝動に駆られています

『誰に何を思われてもいいからこれがやりたい』
『今この大海に飛び込まなかったら一生後悔する』

そう思いました。
バスケ以外のことで
ここまで情熱を突き動かされたのは初めてかもしれません。

『死ぬその瞬間に後悔のないよう今を生きる』

これが僕の生きる指針です。

そもそも
僕自身大学でバスケを続けること自体が大きなチャレンジでした。
大学のバスケ部は部員は30人と少数精鋭で、そのほとんどが全国で活躍してきたスポーツ推薦の選手たち。スポーツ推薦ではない何人かの選手も全国大会でチームを背負って戦ってきた強者たちです。

その中で全国大会に出たことのない選手は自分だけでした。
僕自身は小学校、中学校、高校と全国大会はおろか、県大会や都大会にも出たことがありません。
それでも全国名門の明治大学体育会男子バスケットボール部の門を叩いた理由は

1、誰もやっていないことに挑戦したかった
2、最も尊敬する高校の恩師へ恩返しをするため

です。
僕の出身校は明治大学付属明治高等学校という高校です。
偏差値は73。
『家計的な初期値』はお世辞にも高いとは言えない感じなので、こう見えて高校受験の時は意外と頑張ったなと思います。両親も兄貴も驚いていました。
ただこの高校で過ごす中で、周りにはとても裕福なご家庭に育った生徒さんも多く、部活を引退してやることが無くなってからは特に、学校生活に物足りなさを感じていました。
大学にバスケ部に入部した理由の
1、誰もやっていないことに挑戦したかった
は、この高校時代の反骨精神から養われたものです。
これは僕の卒業文集です。ぜひ見てみてください。
「お前は尾崎豊か!」ってくらい尖ってます。笑
タイトルは「・・・」

今にも盗んだバイクで走り出しそうな内容でしたが、我ながら「いいこと言ってるな」とは思います。笑
実際この文集は職員室で物議を醸したそうです。


そして、二つ目の理由は
2、最も尊敬する高校の恩師へ恩返しをするため

僕は高校の恩師から「人生とは」「人とは」という本当に全てを教えていただきました。
恩師はまだ30代の方ですが、自分自身に対して一切の妥協を許さず、物事を本当に深くまで思考されている方です。
僕自身の哲学の多くは、その恩師から学んだものです。
しかし最後まで納得のできる勝利を恩師に届けることができませんでした。

恩師はよく言います。「社会人として活躍してほしい」と。
しかし、僕がもし逆の恩師の立場だったら、本当に嬉しいのは社会人として活躍することよりも「1人のバスケットボールプレイヤー」として活躍することではないかと思いました。
何故ならば恩師は、今まで僕が出会ってきた誰よりもバスケットボールが好きだったからです。

だからこそバスケットボールで恩返しがしたい。
『恩師に教わったバスケットボール』が正しかったことを証明したい。

それが最大の恩返しになると考えました。
僕が副キャプテンになったというのを聞いた時も、とても喜んでくださっていたそうです。
ただ僕自身の中で、その瞬間に最大の恩返しが終わってしまったようにも思えました。

大学バスケ部入部当初は全く通用せず、危ないからという理由で練習にすら入れてもらえませんでした。
本当に地道な毎日を積み重ねて、徐々に成果が出始め2年時には怪我人が増えて一瞬Aチームに入って試合に出させてもらったり、3年時にはBチームのスタメンと実質的なキャプテンを任されたりもしました。

しかし、度重なる怪我によって足首の手術をして以前のような動きができなくなってしまい、それと同時に選手としての限界も感じるようになってしまっていました。

そして、足首の手術で病院に入院し外のベンチで物思いにふけていた時に、
色々なことを考えていて「こんなのあったらいいなー」とか思っていたところ、あることに閃きました。
それは

あったらいいなは自分で作ればいいのか!」

です。
プログラミングを始めることにしました。

それから半年間は部活と両立しながら、プログラミングを学習してきました。転機になったのはマレーシアシェアハウスでの体験です。

そして、僕はプログラミングとビジネスに全てを注ぐことを決意しました。

『あと一年なのに勿体無い!』

わかります。僕も賛同します。
でも僕にとっては20代という「大人のゴールデンエイジ」を
駆け抜けられないことが一番勿体無いことなのです。
確かに部活は『今しかできないこと』です。
でも、21歳の今日プログラミングをしたり今までやったことないことに挑戦することもまた『今しかできないこと』です。


プログラミングを始めてから半年と1ヶ月。
プロサーに入る時イメージしてた
『半年でお金を稼ぐ』
『某大手ベンチャー企業へインターンに行く』。

最初のむらっしゅさんとの面談で、愚問にも

『それって可能ですか?』

と聞いてしまった。

聞いてしまったその瞬間

『聞いちゃダメだ。やるのは俺だ。やるんだ』

って自分に言い聞かせたのを鮮明に覚えています。



部活、バイト、大学、友達、全てを両立しながら取り組んだプログラミング
その中で
実務経験も積ませてもらい、某大手ベンチャー企業の短期インターンにも選考していただきました。

むらっしゅさん、運営の方々、プロサーの先輩方、プロサーの学生の仲間達
全ての方に支えられ、1ヶ月オーバーしましたが
だいたいイメージは形になりました。

もちろんこれからボコボコにされることばかりだと思います。
でもそれでも

全てを抱えながら皆さんに支えられながら半年ちょっとでここまで来れた

1年の休学を含めると今の僕にはあと2年の学生の時間が残っています。

あと2年の空白の時間を使ってどれだけ成長できるか。

どこまでいけるか。

もう正直めちゃくちゃ楽しみで仕方ありません。

さっきも言いましたが
今の自信は早々に打ち砕かれるはずです。
でも今の僕には
『今までの全てを捧げたバスケ』を犠牲にした覚悟があります。

後ろを振り返ることは部活の仲間のために絶対にできません。
誰よりも反対されると覚悟した部活の同期や後輩が
誰よりもこの決断を応援してくれました。
本当に最高の仲間に恵まれました。
さらに、全てを捨てる覚悟を決めて退部を申し出たものの
これまでの時間と
これからのつながりのために
『休部』という扱いを監督に提言していただきこのような形になりました。
どこまでも僕は幸せ者です。

もうやるしかないんです。


こんな超個人的なnoteを見ていただきありがとうございました。
これからもみなさまから少しでも多くのことを吸収して
成長させていきたいです。

これからもよろしくお願い致します!!







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