見出し画像

さすらいの診療放射線技師 2

こんばんは、春原いずみです。
2回目の投稿になります。
今回は「スタートライン」のお話。

私の卒業した学校はもうありません。
私が診療放射線技師を志した頃は、3年制の短大という不思議な養成学校が存在しており、私は某国立大学に併設されていた短期大学部を卒業しています。
今はその学校はなくなってしまい、某国立大学の医学部保健学科という名前に変わっています。これもまたちょっと問題がありまして、医学部なのに、4年で卒業できるというおかしなことになっています。まぁ、これに関しては、いろいろと発足時にも問題があったのですが、今回はそういうお話ではないので、割愛。

大学に入学した時、入学式を終えて、初めて診療放射線技術学科40名が一堂に会しました。
今は、男女同数くらいなのでしょうか? 私が一緒に働いている一回り下の同僚も同じ学校を卒業していますが、彼女の時は圧倒的に女性が多かったそうです。私の時は、男性31名、女性9名でした。
その全員に向かって言ったのは…誰だったか。こんなことを言うのは、たぶんもうすでに鬼籍に入った当時の助手の先生だったと思います。私たちの兄貴分のような先生でした。
『感謝されたかったら、この仕事はやめておけ』
一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。
先生は言葉を続けました。
『診療放射線技師は患者が一番つらい時に一番つらいことをして、場合によっては一番つらい結果を出すことになる。そのことを肝に銘じておけ。患者に感謝されたかったら、医師か看護婦(当時はまだ看護師ではなかった)になれ』
…驚きましたが、何となくその場にいた全員が頷いてしまった言葉でもありました。
診療放射線技師という仕事は、確かに医療者として、あまり一般的ではない職業です。実際、その場にいたおよそ半数が、診療放射線技師を志したわけではなく、理学部や工学部の滑り止めとして受験していた者でした。当時は浪人できない理系学生の滑り止めとして、診療放射線技術学科を受験する学生がいたのです。医療を志すなら、まず一番先に浮かぶ職業は医師であり、看護師であるでしょう。私も資格を取って働き始めて『看護婦さんっ!』と呼ばれ続け、今も呼ばれています(笑)。退院の時、患者さんが『ありがとうございました!』と深々と頭を下げるのも、医師と看護師。うーん…確かになぁ。
でも、その時の私たちは『別に感謝されようと思って、診療放射線技師になるわけじゃないし』と考えていたのでした。

卒業して、国家試験に合格し、職について…私は先生の言ったことが本当だったのだと思い知らされることになりました。
技師になったばかりの頃は、撮影テクニックも未熟ですし、いろいろと事情があって、私は上司に当たる技師から仕事をまったく教えてもらえませんでした(このあたりの話はまた後ほど)。そんなやつが骨折の撮影をしたら…患者さんにとってはとんでもない苦痛でしょう。『痛いっ!』と叫ばれ、顔をしかめられ、時には『触るな!』と払いのけられ…。
何度か言われたのは『あなたに恨みはないけど、何でがんなんか見つけたの』。病気の治療は苦痛を伴うものもあります。人は苦難に直面した時、どこかでそのストレスを発散しようとします。誰かにぶつけたい。この痛み、苦しみの責任を誰かにぶつけたい。家族思いの人であればあるほど、家族には言えない。治療してくれている医師や看護師にも言えない。巡り巡って、検査を担当していた診療放射線技師にそのストレスのはけ口を見いだす患者さんに、何人か会いました。
『何で、検査なんかするんだよ。もういいよ。造影剤の注射なんかしたくない』『こんなにしょっちゅう検査しなきゃならないの? 大丈夫なの?』『あんたにレントゲン撮られた後、すごく痛くなった』『子供に被爆させる気!?』
患者さんの心理的に、治療や面倒を見てもらわなければならない医師や看護師に言えない鬱憤を、あまり会わない…会ってもすぐに顔を忘れるような技師にぶつける…何となくわかる気がします。
自分を苛んでいる苦痛は、本当に治癒の過程での苦痛なのか…悪化しているだけではないのか。その不安を医療者にぶつけたい…でも、医師や看護師には言えない…。
若い女性技師であった私は、特にそういう場面に会うことが多かったような気がします。
実際、もうこの仕事から離れたいと思い、病院を退職して、別の仕事を探してみたこともあります。しかし…。

そんな私を引き戻したのも、患者さんたちの言葉であり、姿でありました。
私は病棟でのポータブル作業や手術室、検査室での仕事が大変に多く、入院患者さんとのお付き合いが多い技師でした。
幾度も病室にお伺いしている内に、患者さんが私を覚えてくれて、別の技師がお伺いした後に、隣のベッドの患者さんを撮影に行くと『やっぱりあんたじゃないとだめだよー。あんたが一番上手だ。あんたなら痛くない』。
同僚の技師が撮影できなかった認知症や障害を持った患者さんからご指名をいただくこともありました。
もちろん抵抗されて、けがをしたり、眼鏡を壊されたこともありますが(笑)、それでも真摯に向かっていれば、わかって下さる方もいます。
キャリアを積み、腕が上がってきてからは、大きな病気を見つけて、それが治癒に至った時、わざわざ私のところまで挨拶に来て下さる方もいらっしゃいました。
『検査が終わった後、いつもすごく不安なんだけど、あなたの笑顔で大丈夫なんだって思えた』と言っていただきました。
診療放射線技師は誰よりも先に患者さんの検査結果を知る立場にあります。その反応を患者さんは意外によく見ているのだと思いました。

この仕事を始めて、すでに四半世紀を大きく超えてしまいました。それでも、まだわからないこと、工夫できること、新しい発見があります。
そして、さまざまな患者さんに出会う度に、私は恩師の言葉を思い出し、自分の胸に言い聞かせるのです。
『私は感謝されるために、この仕事に就いたのではない』。
患者さんのストレスにさらされる時も、恩師の言葉とそれに対する自分の解答をもう一度繰り返すと、すっと心が楽になります。
ぺちんとおでこをひっぱたかれたような、ちょっと衝撃的な恩師の言葉でしたが、それは私にとってとても大切な『スタートライン』となりました。