「正解」と「解」の違い
こんにちは、アイスタイルの近藤です。
今日は「書評」でも「事業」でもない、ちょっと違った切り口のネタです。
唐突ですが、15年くらい「茶道」をしています。あのシャカシャカするお茶です。巷では「IT茶人」なんて呼ばれます。
「茶道」と「ビジネス」の関係
仕事関係の方から「茶道されているんですね!」
茶道関係の方から「IT系の仕事されているんですね!」と言われます。そして、共通して
「伝統と最先端と、真逆のことされてますよね。」
とコメントを頂きます。初めのころは、「そうだなあ~」と思っていました。でも、「伝統もITも実は同じだ!」と感じています。(理由を書いたら止まらなくなりそうなので、ここはまた今度。)
で、今日の本題です。
先日、師匠が話されていたことで
「この考え、素敵だなあ~」
というお話しです。(師匠はお茶を題材に話してくださいましたが、自分なりに「仕事」に変換しました。師匠の話しも、僕の頭の中で意訳されている可能性大ですが。。。笑)
自分が正しいのか?
茶道にはいくつか流派があります。「表千家」「裏千家」あたりが有名なところでしょうか?(僕は「裏千家」です。「裏千家」?「表千家」?の違いって何!?が気になった方はこちらのコラムをどうぞ。)
同じ流派でも、先生によって少しずつ考え方や教え方が違ったりするものです。仕事でも似たようなことありませんか?
同じ会社なのに、上司によって言っていることが違う。「営業部」と「マーケティング部」同士で「うちのほうが正しい!」とか「あいつらは、わかってない」なんて言い合っていたり。。。
小さな円(会社で言えば「部署」)の中で、自分たちが正しい!つまり、「正解」なのだ!と主張することです。でも、それは「正解」ではなく「解」なのだ!ということを自覚しなければいけない。と。
「正解」とは字のごとく「正しい解」。でも、そう捉えるのではなく、あくまでもひとつの「解」でしかない。
一番最適な解=「正解」を探そうという気持ちを持てば、現状がさらに良くなるという考えを持つことはできないか?
そんなことをおっしゃっていました。どうしても自分が正しい!と思ってしまいがちですが、少し広い視野で見渡してみたら、もっと良い解があるかもしれないと思えることの重要性。
自戒の念も込めて、ちょっとまとめてみました。
(こんなこと書くとやっぱりお茶って禅的ですねと言われそうですね。笑)
編集後記:流派か?茶道か?
書き終わった後に、元の話しがないとわかりづらいかもと感じたので少しだけ補足です。
コロナになって「茶の湯は今後どうなるのか?」という話題からスタートしました。茶会は「三密」の極みですから、これまで通りに茶会などを開催することは難しくなります。(実際、いまだにそうです)
当たり前のことですが、時代に合わせて変わらなければ生き残れません。どうしても「流派として」という枕詞が見え隠れします。(業界全体よりも足元の自分たちが大事というのはビジネスでも同じですね。)
でも、そうではなく茶道業界全体でどうあるべきか?ということで語れるようになると「正解」が見えてくるのではないか?という議論から派生してきたのが今回の話しの骨子です。
茶道業界だけではないですよね。そして、これこそビジネスの世界にも直結することなんだなあ~と感じたので、こんな文章を書いてみました。
おまけ:「茶道とゴルフ」の関係
数年ぶりに本格的に再開した「ゴルフ」
やればやるほど茶道の点前と共通点多いなあ~と感じる日々です。
「型」が大事。「力」を入れない。
分かっちゃいるけど、すんなりできないのも同じこと。爆笑
※なんでも「茶道」と関連付けて考えたくなってしまう病です。
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