書ける物、書けなくなった物

繁忙期+偏頭痛なのになにしてんという感じではあるけれども、齋宮陽はコンディションに関わらず文字を綴るような奴だ。別に名義分けせずとも文字は綴れるがここにいるのはあくまでも「齋宮陽」であって、故にここにいるという事は齋宮陽でダラダラと文章を紡ぐ事を選んだという事になる。とまあそういう訳で相変わらずな人間の文章にお付き合いいただけたらと思う次第。

L'Arc~en~Cielのspiralを聴いてふと過去に書いた作品の事を思い出した。過去の作品、それは現在創作界隈で名乗っている「ハル」でなかった頃の名義で綴ったものだ。故に私はここでその話に関して少し振り返ろうと思った。その過去の作品は互いを殺そうとする男女の話で、それが何故にspiralを聴いて思い出したかというと当時繋がりのあった人から「ラルクのspiralを連想する作品です」という言葉を貰ったからだ。

当時の自分はspiralを聴いた事がなかったので後にアルバムを借りて聴いたのだが「ああ、こういう感じなのか」と思った。元々はお題サイト様からお題を借りて書いた作品。お互いを殺すために何度も刃を交えた男女、最終的には男が死ぬのだが(好きな女に生きてほしいというそんな理由だった気がする。当時から恋愛物を書いていたから、そういうものを絡めたんだと思う)生き残った女は殺すのは簡単なのに殺されるのは難しいなという、そんな事を思いながら男の亡骸を抱きしめていた。

これだけ覚えているなら再び書いても良さそうだけど、多分過去の様な気持ちで書けないだろうなぁと思う。そもそも今の創作界隈の私は「ハル」であり過去名義の自分とは違うのだ。当時の自分の考えと今の自分の考えは違う。色々と積み重ねて経験して、それがあり今書けるものを綴れる時に綴っているのだ。名義が違えど書くは同じ人間、けれどもその人間は日々一歩進んだり下がったり思考したりなんだりしているのだから、そりゃあ昔のままでなんていられないし変わっていくしかないのだ。哀しいのか嬉しいのか、良い事なのか悪い事なのか不明なのだけど。

そんなこんな、現時点の「ハル」では当時の様な戦闘描写を書くとしたら戦闘描写のある作品を読んだりしないと難しいなと思う。なにせ最後に戦闘描写を回したの……あれいつ? 多分PBCで呪術師動かした時か? とまあ相変わらず色々としまらないなぁと思いつつ書ける物で出せる強みと書けなくなった物に対する微妙な気持ちを感じるのだった。

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