ラジオの身体について考えたこと

こんなことを綴る場所としてInstagramのポストが適しているのか、と
Instagramの使い方に疑問を持ってnoteに初めて綴ります、
備忘録の意味合いも込めて、
「ラジオの身体」「舞台の身体」
について。

ずばり簡潔に言うと、
現在、
ストリーミングが主流になって、いつでも、どこでも、なんでも観れる。
YouTubeでもプロフェッショナルの裏側、素の部分(ラジオの身体)が求められたりして
どんどん気合の入った作品(舞台の身体)って、息が詰まるというか…敬遠されがち?
つまりそこには受け取る側と発信する側の姿勢がいい意味でリラックスしていて、
ラジオの身体がライフスタイルに合ってきているのかな、と。

でもそこの身体性の変化にもやもやを感じてはいたけど自分では気付けなかった。
けど瀬戸さんのラジオの身体の動画でもの凄く頭の中が整理された、と言う話。

(平たく言うと)演劇とダンスで舞台を経験してる自分にとって、
舞台の身体が自分にもあると思っている。笑
だからコンテンツにも非現実性を求めたり、プロ意識を求めたりしていたんです。
でもYouTubeでは芸能人の普段のプロの一面とは違う一面が見れる動画が人気だったりして、
Instagramでも芸能人の素の部分が見れるストーリーや質問があったり…
コンテンツの在り方が変わってきたなぁという実感がある。

人に見られているんだから、演者として見られている意識でいなさい、
ではなく、常日頃演者なのだから、素の自分でいなさい
が求められているなぁ…と。
少し前から取り繕うイメージのインフルエンサーも、徐々にプライベートを出したりしてる。

少し話が逸れるけど
インスタやYouTubeの戦略が上手いなぁと最近思うのはバロック。笑
キラキラしたアパレル販売員を良い意味で近しい存在にするようなコンテンツを
今に合ったYouTubeで配信したり…
今一番SNSでマーケティングやブランディング進めてるのはバロック社な気がします。

話を戻しまして、
自分でも家事をしながらも何かを流したい、というときに
YouTubeコンテンツは作品としてちゃんと観ないといけないから適さないなぁ
ともやもやしていたのが普段

どちらが優れている、どちらが必要とされなくなる
という話ではなく、どちらの身体性も持ってコンテンツを享受するべきだし、
自分も両方の身体性を持って発信していきたいなぁって思ったというお話。

そんな中思ったのがInstagramの身体性について。
個人的
ポスト→舞台の身体
ストーリー→ラジオの身体

なんですよね。
ポストってなんかちゃんとしなきゃいけないというか、取り繕った姿を載せるイメージがあるから
俺は全然ポストできない笑
その分ストーリーは今聴いてる曲とか、その瞬間の出来事、瞬間の思考を
載せられるという敷居の低さがある。
あくまで個人的に、ですよ。
だからみんなストーリーを多用するんだと思うし、受け取る側もみんなのそういう気の抜けた、何気ない発信に興味があるんだと思う。
ストーリーの盛り上がりも24時間で消えてしまうという刹那的システムがうまくはたらいていて、
人間の心理にも効果的で考えた人すごいなぁって思います。

瀬戸弘司の動画から、世間の求めているコンテンツについて
考えを巡らせたという拙い文章でした。
瀬戸弘司の思考に触れたのが初めてだったので
とても刺激的だった…!
こういう思考をするのも時には大事ではないでしょうか…

また考えを整理したくなったらここに綴ります。
では。

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