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厄年の役を振り返る〜2020年までの思い出とこれから〜

今年は本当に大変な年でした。
コロナでスーパーは大忙しでお陰でだいぶタフになりました。

代々木上原に引っ越ししたのは色々な理由があるのですが、代々木を選んだのは実家のお墓からインスパイアーされました。

実家のお墓は『先祖代々之墓』とされており、
先祖をまつったお墓として公園墓地の中でも大きなお墓です。

渡邉家は八王子神社の隣にあり、地域のハブとなるような家柄でとても大きな家です。

神奈川県茅ヶ崎市と東京都八王子市を結ぶ相模線の分家として建てられている八坂神社を大元とする八王子神社は地域開拓の神様がまつられており、茅ヶ崎の中でも3本の指に入る大きな神社です。

自分が東京に引っ越してから神社の周りはすごく変わり、きれいな建物が沢山立ち始めました。

今できることをやろうと思ったとき大学卒業してすぐのときは本当に苦しかったです。ほんとに死にたいと思うくらい苦しい時期もありました。そんなときによくお墓参りを行って思いました。代々受け継いだものを継承するには一度ひとりになり、真実を求めようと。そうすることで何か見えてくるのではないかと思っていました。大切な人たちを大切にし、お互いを求め会える関係を作りたい。最近はお陰でだいぶ流れが変わってきて、前より動きやすくなってきています。

2020年明治神宮が鎮座100年と言うこともあり、ここ代々木の地は大きく変わろうとしています。そんな中で古き良きものを大切にして、変わらない。渋谷という土地にありながら、ブレない。代々木上原はそんな磁場だと思い、いま暮らしています。多様性を受け入れる地域を肌で学んでいます。物事を良く上の方に引っ張って行ってくれる。上岡、上山、自分の周りで上のつく字の人が自分を膝すら笑わない場所に連れて行ってくれました。上岡先生は三菱地所関連のマルシェの活動に。上山店長には三井関連の兵庫県下の活動に。元々母方も父方も祖父が三菱関連企業で働いていたこともあり、三菱財閥関連の仕事には強いのかも。膝すら笑わないところでもまだ笑いたい。punpeeさんの歌詞にもありましたね。山は登ったら下山しなきゃいけない。安全に。そんなことを思ってました。

父はバイク屋をやっていました。なので、鼻にバイクのオイルの匂いがこびりついてます。箱根にバイクで連れて行ってもらったときに後部座席で爆睡して死にかけたのも覚えています。多くの大人の人が周りにはいて楽しかった。自分にとっては誇り高い父親です。地域にあんなに素敵な大人が集まるところは当時ありませんでした。自分がサッカーで神奈川県選抜に入った時はバイク屋のみんなもお爺ちゃんも喜んでくれました。誰かを喜ばせたかっただけで今も努力をしているんだ。そんなところの店長をやって、人情味があって、愛があって、人のために行動できる。こち亀の両さんみたいな人でした。家庭では母親と喧嘩ばかりしていて正直よくないと思ってました。

この引っ越しは間違えだったのかもしれない。そんな感情を実際に生活していく中で正解にしていくしかない。だから能動的に動けている。今を良くして行くには頭で考えていた記憶をこのnoteに吐き出してリセットする。これが今はひとりにならないとできなかった。

なんだか散文的な文章になってしまってすいません。今の自分にはこんな文章しか書けなくて。でも、これでいい。noteは誰かに見られている意識があってよりシームレスに物事がかけると思って今これを書いています。恥さらしでもなんでもいい。今を残しておきたいと思ったので。

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同じタイミングでyou tubeで公開されていたのでここ載せておきます。両方とも映像作品としてすごいです。

あと、個人的に最近胸に刺さりまくっている三文小説。ほんとに時代の流れって不思議です。

通勤のとき聴いてたのはヨルシカさんの風を食むと店内でよく流れてたYOASOBIさんの群青。

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