世界観を問う44問 XNFP


初めまして。内省と自分の思想を咀嚼することは大好きなのでやりました。どちらかといえばINFPとして典型的な回答が多かったような気がします。


問1.<科学>

科学に何を期待しますか?あるいは、何も期待しませんか?科学によって人類が発展したり謎が解明されることを望みますか?もしくは、科学の進歩は人類に不幸をもたらすだろうと考えますか?

 科学に期待すること……分野ごとに色々ある。シンギュラリティとか火星移住とか食糧問題の解決とかよりお手ごろな安楽死とか。完成したら恐ろしいことやおぞましいこともたくさん起こるだろうけど、それを含めて文明は発展してきたし、そういう壮大な変革が起き続ける世界に生きてるという実感は悪くないと思う。
  ただ科学はいわゆる科学者だけによってなされるものではないし、「科学によって」人類が発展することにはロマンを感じるけれど、あまり現実的ではないよな、っていうのもある。人を不幸にしたり幸福にしたりもそう、個人単位ではあると思うけど。

問2.<年齢>

何かを始める時、何かをやめる時、人と人が友愛を築く時、同盟を結ぶ時、人が人に指示をする時、人が人を師と仰ぐ時、人が人を蔑む時に、年齢はどれほど関係すると考えますか?あるいは、関係しないと考えますか?

 大いに関係すると思う。少なくとも年齢によって身体や認知の機能が変わることを前提に、年齢によって異なる役割を個人に求める社会では。人が年齢に囚われない魂とか手に入れたり、人がそもそもアンドロイドに変わってくるようなことが起きれば話は変わるだろうけど。

問3.<故郷・出自>

生まれ故郷を捨て去ることにためらいはありますか?愛国心や地元愛といった感覚は持っているでしょうか。また、その人の出自(○○生まれ、××育ちなど)を何かの判断材料にすることはありますか?

 私は私一人居なくなったところで変わらないような街が故郷だし、故郷のそういう所に愛着を持ってるので原理的に「捨て去る」ことは無いだろうなと思う。出ていったり別の街に住むことはあっても。なんか出ていったところで20年後に帰ってきたらまだ元気にやってそうな街なんですよね、故郷。日本自体衰退してるという人も居るし50年後に寂れてしまった故郷を見たら「これが私の捨てた故郷か……」とは思うかもしれないけど、少なくとも"捨てる"時点では出ていく故郷より新しい生活とかもっと他のことに不安を示してそう。
 愛国心も地元愛もあるにはあるのだろうけど、それを自認する人にラディカルな人が多すぎて疲れるからあんまり表明したことがない気がする。自分の価値観の拠り所に愛着を持つこと自体は自然な反応として起こり得ると思う。逆にそういう風潮を忌避するのも。

問4.<定量的な評価>

統計やテストの点数、知能検査のスコアなど、数値による評価は信頼足り得るものだと思いますか?また、そういった数的感覚には長けている方ですか?

 数字は嘘をつかないが人は嘘をつく、という言葉が結構全てなのかなと思う。私自身はべつに日頃情報元が間違ってたり意図的に捏造したりしたデータにばかり触れてる訳でもないし、統計やデータに対して誤った解釈をするケースはままあれど、それ自体が信頼に値しないケースは割とレアだと思う。信頼しえるからこそ依存すべきではないし
 数的感覚にはまるで自信が無い。

問5.<マネーウォーズ>

今後食べるに困らないだけの大金を手に入れた場合、それを元手に何か挑戦しようと思いますか?それとも悠々自適に余生を過ごしますか?また、投資や株などのマネーゲームに関心はありますか?

 私は普段自分について"世界に影響を与える力なんて持てない"と思って生きてるから、もしそんな大金に巡り会うことがあればうっかり挑戦してしまうかもしれない。金にものを言わせることが出来るのであればやりたいこと沢山あるな。例えばめっちゃ金と時間捧げてVtuberのプロデュースするとか。超てんちゃんのピ的な……。
 マネーゲーム、というか投機に今のところあまり関心はないけど金を手にしたらfxやギャンブル含め金を使った"ゲーム"に一回どハマりしそうではあるから、正直自分でも心配してる。でもそれは道楽だからと抑える感じ。
 あと普通に資産をちゃんと形成することには興味を示しそう。でも本当にお金が湧き水のように出て一生困らないぞ〜となったら、そのお金はもっと自分が社会的に意義があると思ったとか、応援したいとかそういうものに分配したいし、となると投資関連も社会的投資的な視点でやることになりそう。
 今?そんな金無いのでつみたてNISAしてる。

問6.<目が醒めているとき>

目が醒めているとき、意識は常にハッキリしていますか?「気が付いたら○○していた」とか「何をしようとしたか忘れた」ということはありますか?或いは、白昼夢を見たりしますか?

 半分くらいはっきりしてない。意識も理性も自我も。
 白昼夢は小さい頃見ていたけど今は見れなくて、白昼夢という単語自体聞くと厨二病こじらせてた頃「白昼夢をよく見る」なんて嘘をついたのを思い出して古傷がいたむ。現実世界で特別な人になんてなれないって悟り開いたのもちょうど思春期はいる頃だったし、せめて精神の部分でなにかアイデンティティを求めてたんだろうなと思う。今もあんまりそこ変わってないけど。

問7.<四季>

季節の移り変わりに楽しみや美しさや情緒を感じたりしますか?

 見出すように意識してるし、実際割と見いだしてる。そういう日常の細やかな部分に目をやれる人はあまり悪く言われないし、私も悪く言われたくない……みたいな意識があるかもしれない。でも絶対それだけではない。

問8.<殺意>

到底自分が納得できるものではない理不尽な理由で、ある人物から侵襲的な行為を受けた時、その人物を殺したらいいと考えたりしますか?

 不安定な時や理由によっては今も考えはするし、実際復讐の名目でそういう相手に危害を加えようとした経験に覚えがある。でもやった日にはもうに日常の細やかな部分を楽しむことが出来なくなりそうで、今のところ踏みとどまってる。私が自分の情緒を揺さぶるものについてかなり自覚的でいようとするのは、この問で言われるみたいな極端な行動をしないためでもあると思う。逆にそういうことが出来なくなったら私はいつでも人に手をかける。

問9.<縁起や神事>

良い意味でも悪い意味で信じているジンクスはありますか?また、先行きが見えない展開になったとき、願掛けや神頼み、占いをしたりしますか?

 信じるというか興味は示してるけど、深入りしないようにしてる。この手合いのものはタガ外れたらのめり込みそうで怖い。絶対に信じられるもの、として私のすべてになってしまいそうで…。
というかそもそもmbti界隈も占いの文脈から来たし、ジンクスとしてmbtiを日常信じてしまってる節はある。まぁesfjの母親やxstpの弟とそこそこ問題なく関われてる時点でそれが全てだとは思わないけど。

問10.<趣味>

活力が湧くほどの趣味を持っていますか?持っていないとしたら、欲しいと思いますか?或いは、無趣味でも問題ないと思いますか?

 活力が湧くというか、活力が無くなった時に先述したような極端な行動から踏みとどまるために助けて貰ってる趣味はいくつかある。ゲームとか美術館巡りとかお化粧とか。無趣味でも問題ない人は世の中に沢山いると思うけど、無趣味であることを強いられることで壊れてしまう人もいっぱいいる。というか後者の方が周囲でよく見るので、趣味というか生きがいはちゃんと持っておいた方がいいよね、とは。

問11.<嘘>

自覚的に嘘をつくことはありますか?あるとしたらそれはどのような理由、どのような状況で嘘をつきますか?

 ある。目的は身バレ防いだりプライド守ったり演技を楽しんだりとか。なりきりチャットもアバターゲーもずっと好きだったし……。悪いなと思う嘘もそうじゃない嘘もあるし、自分と同じような理由で嘘をつく人を多分私は許すと思う。

問12.<謙虚であること>

あなたは謙虚ですか?謙虚であることは必要でしょうか?

 自分のことを明確な言葉に変換してしまうことには気が引けるけど、あまり謙虚ではないからこそ謙虚であろうとしてはいる。社会に適応するという目的であれば謙虚さは時々必要では?謙虚さそれ自体より謙虚さの使い所を学ぶ方が有意義だとは思う。

問13.<ファッション>

寒さをしのいだり、局部を隠したり、社会的な記号(制服)としての役割以上の意味がファッションにはあると思いますか?違う表現で言えば、装飾を施したファッションをしますか?平たく言えば、お洒落をしますか?するとすればそれは何故ですか?

 あるとは思う。でもそれは証明に手こずる問題だと思うし、それ以上の意味を見出さない人もいる。
 自分自身割と慢性的に金がなかったり人のためにオシャレをするぞ!という意識が嫌いでそこまでオシャレ人間として生きてきた自覚はないんだけど、お洒落なアクセサリーつけたりかわいい服を探すのはすき。
  自分がそうやってたまにお洒落したいと思うのは変身願望に引きずられてのことなのかもしれない。そう言えば小さい頃からお姫様になりたかった。今も正直なれるならなりたいし、来世はプリンセスがいい。

問14.<性愛>

恋愛対象としている性を崇めたりしますか?また、その性から何らかの施しを受けることによって、自分が抱えている問題が解決することを期待していたりしますか?

※性的志向をヘテロとして、男性だったら「女性は素晴らしい!」という考えを持ってるか、女性だったら「白馬の王子様が~」みたいな考えがあるか。 恋愛にロマンスを求めるか、その相手の性を特別なものとして見ているか、そう言い換えてもいいです(複数の方からわからないと言われたので補足)。

 崇めるというか夢は見てる気がする。二次元男女と同じような偶像を推すノリで三次元の男女を好きになりがち。悪い所も受け止めてこそのそういう関係だとは思うんだけども……口ではありのままでいいんだよ~なんて言いつつも実際生身の人を好きになるのは苦手なんだと思う。結構自覚的に他人を消費してるのかもしれない。
 同じような理由でロマンスを避けてる。創作物や第三者視点のロマンスは大好きではある。

問15.<意見形成>

例えば「宇宙人は存在するか?」というテーマのディベートにおいて、たとえあなたが強く宇宙人の存在を信じる立場であったとしても、存在しない立場に立って意見を形成することはできますか?

 ディベートが仕事だったり競技だったりすればできる。ただ自分の意思に反することを言う時は何を話すにしても相当入念に準備しないと感情がノイズになるので、ぶっつけ本番でそれをやるなら和やかな雰囲気でやらせて欲しい。恥ずかしながら人前で高圧的な詰め方とかされると人前だろうが突然泣くタイプなので…。

問16.<サバイバル>

公的機関の援助を受けたり貨幣でアウトソーシングするのではなしに、自力で生存を獲得する術を持っていますか?狩りをしたり野菜を育てたり、安寧の宿を確保することなど。野生の世界で生きていく自信はありますか?

 体力も気力も本当にないので今後ずっと狩猟採集民になってくれと言われたら詰んでしまうかもしれない。でも汚い場所や非日常には多分人並みに耐性あるし、殺した獲物の解体とかしながら食いつなごうと頑張ってみる気がする。

問17<夢(睡眠時)>

眠っているときに見る夢に何か特別なメッセージがあると思いますか?

 特別か分からないけど、夢に出てきた人はそのあと数日意識してしまう。あんまり考えていたつもりがないのにいつの間に記憶に残っている人ということのような気がして。

問18.<暴力・猟奇的な表現>

殴る蹴るなどの暴力や拷問、出産や流血、内臓が露わになるなどのシーンを観ることで気分が悪くなったりしますか?或いは逆に興味があったり、興奮を覚える方ですか?

 映像と漫画の表現で出てくると結構しんどい。特に漫画はそういう表現が無理で切った作品が何個かある。(でも積極的にそういう表現使う作品で面白く体験できたものもある。ミッドサマーとかチェンソーマンとか)ただそういう表現であれば小説か詩であれば文章はそこそこ行ける気がする……?ルポタージュとかで出てくると本当に無理かもしれない。
 ここまで書いていて自分の中で許容できる表現とできない表現の違いってなんだろうな?と思ったんだけど、多分どこまで露悪的にやってるかなんじゃないかな〜と

問19.<歴史改変>

現在、或いは未来のために、過去に起こった出来事をなかったことにしたり、修正を加えるのは許されることだと思いますか?

 現実における歴史改変は歴史と教育が密接に繋がってるからこそ起きることで、許される許されないを語るならばまず「〇〇の立場で、△△事件の歴史を███であるというふうに改変するのは、××にとって許されるべきことなのか」ぐらい具体的にしてからだと思う。それをやったらまぁ大体論争になるけど。
 歴史修正主義とは言うけど、どんな史観にも修正された歴史の混入は起こり得るし、実際起こってるのではないかな?ただそれが一国家や一個人によって望ましいかどうかということで、現実の政治について語る場面では度々騒ぎになる。まぁ歴史の修正が起こる場合だいたいは"望ましいか"が焦点になるわけだし、自分の立場も想定せず一貫して「歴史は修正されるべきではない」とは言いづらい。
 あ、タイムマシンで歴史を改変していいかって話?しらね〜〜でももし歴史を改変したい人がその力を手に入れてしまったら、バタフライエフェクトと全能感で変な目に遭わないと良いねとは思う。

問20.<個人と集団>

個人プレイとチームプレイ、自分がより輝くのはどちらの方ですか?また、全体論における「ある系全体はそれの部分の算術的総和以上のものである」という考えには首肯しますか?

 人に迷惑をかけるタイプの人間なので個人プレイの方がマシ!と思いきや人に支えられて生きてる部分が大きすぎるので結局チームで程々に介護されてたほ方がまだ個人単位では成果を出せる(≠輝ける)のではないかなと思う。
 後半は首肯はできない。個々はうるさくて自分を持ってるオタクたちが集団になるとなんにも喋れなくなるアレとか想像してみてほしい。個々の方が輝く人が一定数いる以上、ホーリズムは全てのケースに通用するとは言い難い。なにかとんでもなく革新的なマネジメントの手法でその辺の問題が解決できたとして、その後は……みたいなこと考えかけたけどキリない。

問21.<食事>

食事に生命活動の維持以上の意味を見出していますか?例えば、それを一つ飲むだけで空腹も栄養も満たせる完全栄養食のカプセルが発明された場合、今後の人生はそれを飲み続けるだけでいいと考えますか?

 私個人は見出してる。少なくともSNSで会話のダシにしてるし、食事をとる時間を不味いものも含め楽しんでる。

問22.<他人に期待すること>

他人に期待はした方がいいと思いますか?それともしない方がいいと思いますか?

 私個人は他人に期待することで何かを得ることがめちゃくちゃ多かったので、程々が1番とは思いつつ両極端とちらかなら期待するほうをおすすめする気がする。期待せずとも生きていける人には「しない方がいいよね~」ぐらい言うけど。そんなの人によるのでは?

問23.<教育1>

スパルタ方式は実を結ぶ教育だと思いますか?

 スパルタ教育によってしか何かをなせなかった人もいるからケースバイケースで一定の効果はある教育方針なのだろうけど、スパルタ教育を施したひとはだいたい恨まれるし、ダメな時はほかの教育より悲惨な結果を出すイメージ。ギャンブルだと思う。

問24.<教育2>

飛びぬけた学力や才能を持った生徒がいた場合、学校側はその生徒に特別な措置を取るべきでしょうか?それとも足並みを揃えるのが大事と一律的な教育を受けさせるべきでしょうか?

 とびぬけた学力や才能が適切に見いだされ、その才能を伸ばすための措置が取られるならぜひそうすべきではないだろうか。現実には”特別な措置”が出る杭を打つだけのものだったりするケースもあるので、特別な措置だからと首肯するのは違うと思う。

問25.<婚約>

人生におけるイベントとして、結婚はごく当たり前のことだと受け入れていますか?また、結婚における一夫一婦制は番いの形として理想的でしょうか?

 社会の一員としてそれを「当たり前のイベント」としてただ受け入れなければならない日が来るのかもしれないが、今のところ結婚というシステムに組み込まれたい願望があまりないためか、一般論としての結婚についても割と懐疑的なところがあるかもしれない。一夫一妻制についても大体同じ。

問26.<知識と認知>

知識によって世界の捉え方は変わると思いますか?例えば植物や魚の名前、歴史的経緯、その作品が生まれるまでのバックボーン、作者の経歴など。

 変わると思う。少なくとも私の場合、知識もそうだし、出自や健康状態やその日の天気によって世界観にぶれが生じてるのを日々感じる。

問27.<学習>

自分が正しいと信じていた手法が通用しないと悟ったとき、柔軟に考えを変えることができますか?それとも訂正せず愚直に進むことの方が多いですか?

 それまでの手法が通用しないうえでもし新たな通用する手法がわかっているなら、考えを考えること自体は簡単だと思う。(手法自体を柔軟に変えられるかはともかく)

問28.<革命>

世の中に革命を起こしたいと思いますか?或いは、誰かが革命を起こすことを期待していますか?それとも、今の世の中には満足していますか?

 退屈なまま消耗して死ぬのは嫌だから、力があれば世界を不可逆的に変えたいと思うことはある。あればの話だけど…。革命を起こしてとまでは行かなくても私の世界をこれからも変えてくれるだろう、って意味で期待してる人は何人かいる。
 世の中への満足はしてない。

問29.<快楽>

酒池肉林とも言うべき快楽の海に溺れたいと思うことはありますか?快楽とどう折り合いをつけていますか?
(本来、酒池肉林に肉欲の意味は含まれていないようですが、ここでは含めています)

 溺れても最後まで保護してくれる人が居たら正直今すぐにでも溺れたいが(というか現状自己完結と酒池肉林って両立不可だし)、それは多分上下関係ありきでしか成立しないので、バランス崩して溺れたいと思った時はそのことを思い出して追い払うようにしてる。
 やっぱり最終的にそうしたものに溺れたまま死ぬ夢はずっとあるのだけど。腹上死的な……死の瞬間に快楽物質が大量に出るという話を聞いてからは自分の死期をコントロールしたいと思う。あわよくば気持ちよく死にたい。

問30.<読書>

読書に何を求めていますか?本を読んで得られるものとはなんでしょうか?また、本を読むことと実際に体験することとではどちらにリソースを割きますか?

 生(なま)の現実から離れるためのツールの一環であることは求めている。情報収集のためにもスキルアップのためにも本は読むが、私の場合”本を読みたい”というときの本は大体活字のフィクションを意味している。
 読書というか”実際の体験ではないもの”と実体験であれば、そのリソースの割き方は半々になるようにしている。でも”実際の体験でないもの”にはゲームとか映画とか読書以外のものも多分に含まれるし、

問31.<誰も知らないわたし>

寂しさであっても承認欲や自己顕示欲であっても、もっと私を見てほしい、という気持ちはありますか?

 「誰も知らない私」を見てくれとは思わない。寂しさというか他者と関わらないと社会性という意味で人の形を保てなくなるタイプではあるので、人間性を維持するために私を監視して欲しいなと思うことはよくある。自律的に生きていればこうならなくて済むよなあ、という思いもある。

問32.<機械>

機械や兵器、ロボットにロマンを感じますか?機械の扱いは得意でしょうか?また、自分のことを機械の様な人間だと思ったりしますか?例えば、人間の応答より機械の電磁的なシグナルの方が信頼できると考えたりしますか?

 ロマンは感じる。人類社会を生きている限り、そこで見る機械というものは誰かの叡智の結晶、誰かが何かを望んでできた結果だと思っているため。機械の扱いは人並みかな…。
 自分のことを機械のような人間だとあまり思えたことはない。むしろもっと機械的に生きてみたいと考えることすらある。まあ結局のところ自分の複雑さやめんどくささをかなり愛してしまっているので、そういう考えが湧くのはまれなことだけど。

問33.<意味・解釈>

一意に定められ、解釈の余地が生まれない表現は好きですか?もしくは、「どう受け取るかは鑑賞者の自由」と受け手側の想像力に委ねたり、起承転結がないような、意味を空中に放棄したような荒唐無稽な表現の方が好きですか?

 自分がもともとは(意図せずに)後者のような表現をしてしまいがち人間なので、前者のような表現に対して強いリスペクトを感じるし、かくありたいなと思う。芸術分野の話ならともかく。

問34.<グローバリズム>

地球というスケールで物事を考えたりすることはありますか?

 あるようなないような。世界について考えるときは地球を一つの限界としてみてるかもしれない。でも宇宙開発とかの話を含めると人類や生物の活動領域だけでも今後”地球”だけがすべてであり続けることはないだろうし、「宇宙船地球号」的なスケールの感覚は逆にピンとこない。いやあれが出た当時はそれが適切だったのかもしれないけど。。。少しかじった話ではあるからもう少し議論できそう

問35.<命の平等さ>

イヌの死骸とヘビの死骸とサカナの死骸とゴキブリの死骸とニワトリの死骸とヒトの死骸にあなたは区別をつけますか?

 つける。私がどうこう、というよりも私の生きる社会はそれらの死骸を区別しているので、私もその社会規範に従っている。

問36.<相性>

MBTIの様な人間を類型するツールが、例えばマッチングアプリにおいて相性のいい相手を効率よく探すために使われることに対しては肯定的ですか?否定的ですか?また、MBTIのタイプとは無関係に、人間と人間の関係性に相性というものは存在すると思いますか?

 マッチングアプリの嫌なところは選択軸が少なすぎる割に選択肢が多すぎる(ゆえに安直にハイスペだなんだと二極化した議論をやりやすい土壌がある)点だと感じているので、ひとつ新しい軸としてそういうものが取り入れられるのは悪くないんじゃないかなとは。
 私自身マッチングアプリには手を出したけど、苦手な属性とされるXSTJに意外と面白い人がいた。なのでMBTIだけを人間関係の相性をはかるツールとして使うと見識が狭まっていくと思う。

問37.<人間で非ざるもの・ヒューマニズム>

あなたは人間のフリをしていることがありますか?

 人間の条件次第であったりなかったり。相手にとって真っ当に"人間"をしていると認めてもらうことによる利益を得るために、多少欺いた覚えがある。スラングとして「人間のふりをする」とは何度か言ってきたはず。

問38.<勝負>

勝負の際は貪欲に勝利を欲する方ですか?そうではなく、自ら望んで敗北を選んだりしますか?また、勝つか負けるか分からない勝負に挑むことはできますか?また、戦う相手は自分と自分以外のどちらの方が多いですか?

 進んで敗北を選ぶこともある。負けそうな時にこれ以上は無理だって早めに降伏したり。曖昧な表現をしがちなのも将来起こりうる論戦において明確な敗北を避けるためかもしれない。

問39.<政治>

投票には行っていますか?行っていませんか?それぞれの理由は何でしょうか。また、行くべきだと思いますか?行かなくてもよいと思いますか?

 行ってる。レスバせずに意思表示できるから。蹴落としたい人や応援したい人が一人でもいるなら、あるいは社会に少しでも不満やこのままであってほしいことがあるなら行くべき。意外と難しいことでもないので…。

問40.<死>

死ぬこと以上に恐れているものはありますか?また、観念的な死に囚われたりしますか?

 私は死に方を選べないかもしれない、ということを考えて時々死ぬことそれ自体以上におびえてしまう。観念的な死というか、(今の自分は死人と何も変わらないな…)みたいな感覚は病んでると湧き出ることがある。

問41.<倫理>

人にやってはいけないことなどないと思いますか?

 できないことやできるけどやると不利益を被ることはたくさんある。厳密な意味で”やってはいけないこと”はないけど、人がやってはいけないと言ったことはやらないとか、何か行動した後の結果を予想することで回避できるリスクについて想像するとか、平たく言えば思慮深くしていた方がいいケースは時々見る。半分以上自戒。

問42.<繁殖・遺伝子の継承>

仮にあなたの代であなたの家系が途絶えることになったとき、そのことに後ろめたさはありますか?

 私の、であれば今はあんまりない。昔から子ども作りたくなかったし……。

問43.<運命・越えられない壁>

運命に対して前向きですか?後ろ向きですか?それとも、運命などないと考えますか?越えられない壁などありませんか?

 XNFPだからどうこうというより、私個人が今まさに長年自分の宿命だとさえ思ってきた学習性無力感を克服しているところなので、私としては越えられない壁なんてないと思っておきたい。

問44.<正解>

普遍的なただ一つだけの正解を求めていますか?それとも、そうではありませんか?

 あったらどれほどよかったでしょうとは思う。でも現実は複雑だし、少なくともその複雑さを自分の頭で受け入れられるうちは普遍的なただ一つの…とは言えない。



終わりです。適宜加筆修正するかと。

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