現代の超剋 - 線の構造と生命性      ③環境心理学による生態学的民主主義の検討

拝啓 スプツニ子様  -貴君は何に問いを立てますか?
線の構造と生命性     3 環境心理学による生態学的民主主義の検討


モノとの出会いは、それを破壊した瞬間にのみ真に存在する。

人間は、その内部と外部のエネルギーが交錯する場という自我を持つ。

ウフィツィのゴームリーは、エネルギーの場としてトランス若しくはポゼッションなのか。



Antony Gomely Essere capacitor

アフリカには戦争をゲーム化し、部族間婚姻における取引等のルールに取り込んだ部族がある。

戦闘民族の男は、農耕・果実採集等の生産活動や家族の世話などをせず戦闘行為のみを担う。

しかし、用いられる武器の形状や質からも決して殺戮を目的としてはおらず、精神のメタボリズムを発揮し、人間の獣性を投影する行為であることがわかる。


※権利関係上、戦闘時の映像をオープンに引用出来ない。詳しくはロバート・ガードナーの作品群を参照されたい。
他の所謂部族特有の舞などのリンク;
https://www.youtube.com/watch?v=Dx490CDErG4


「デモクラシーはどこから来て、どこへ行くのか」
美しい民主主義のデザインを目指すNPO法人Mielkaが2019年7月開票の参議院選挙での政治データを可視化するJapan choiceの提供を開始した。
代表の徐東輝氏が大学在学中からの活動で、投票率を上げる事にフォーカスするばかりでは無くなってきたと述べ、哲学や政治学の様々な議論を引用した。それを踏まえ、ここでは民主主義のアナロジーとして都市-建築への考察を行う。意志空間の集積として都市計画と民主主義は相似でありうるという考えに則り、その成功例として渋谷区猿楽町、特にヒルサイドテラスのデザインを論ずる。


同施設の設計を担う建築家の槇文彦氏は、ソリッドな都市-建築の人間性を見出し、メタモルフォーゼし得る建築としての記憶装置をデザインする。
著書の「漂うモダニズム」、「残像のモダニズム」の中で

 どの様に意志ある個の集団を、具体的にそれぞれが望む物理的環境の実現に向けて翻訳していけるのか。その戦略を探し出すことが、二十一世紀の都市形式における重要な課題である。 (槇、2015)

 さらに、今日の大都市では資本、情報、欲望という、旧い都市に比較してはるかに巨大となった3つの外力が、変化を促進しつつある。都市の変貌、またそれを維持してゆくためのダイナミクスがますます複雑になればなるほど、空間形式の中で特に重要な要素は、都市のパブリック領域のかたちと、そのネットワーク化であろう。多義的なパブリック領域の拡大と保全が都市そのものの質を決定していく。(槇、2018)


合わせてここでエコロジカルデモクラシーの概念を導入すると、米国のランドルフ・へスターが提唱するアバーニズムのあり方で、その要素は5つに分類される。
①中心性 ②つながり ③公正さ ④賢明な地位の研究 ⑤聖性


エコロジカルデモクラシーの文脈で、槇氏の建築論を再解釈し、渋谷区猿楽町の空間がいかに民主的で個―全体の関係をデザインするか整理する。


野村,2007から改変

①中心性
日本の中心は一義的に捉えづらい。皇居周辺のエクステリアは歴史的な経緯から、あたかもその中心を掘と樹林で隠すかのように断絶されている。
また、人口が集中する渋谷や新宿の発展は、不動産価格と鉄道会社(主に山手線、中央線)の変化に応対する。

そして今も東京は多焦点化し、さらにその多焦点のそれぞれが、よりミクロなスケールの小焦点の集合としてメタモルフォーゼを絶えず起こしている。
その中で個もまた、単に浮遊する個でなく、意志ある、しかし場所に限定されない個の集団として活動しつつある。
その焦点の一つとしてヒルサイドテラスがあり、駅周辺のエリアを含め建築物が地域の中心となっている、東京では数少ない例である。人々の住居空間から文化や芸術、商業施設が集まり、1つのターミナルとして有機的な集合体を形成する。


②つながり
都市形態学的に見て、東京は世界のメトロポリスの中でも最も特異なものである。東京は葡萄状都市であり、その葡萄の粒は極めて小さく同時に変化に富んでいる。そして葡萄の房を繋ぐ枝は多くの場合房の中に隠れてしまって見えない。

また、日本古来の社会においては、奥宮が山の中に一つある。それから山の麓に里宮があり、田圃の中に田宮がある。つまり、集落の前を水平に走る街道筋を「世俗軸」と考えれば、それに直行する形で奥宮-里宮-田宮という「宗教軸」が成立していた。(神田、1973)
この宗教軸は、さらに都会に持ち込まれ神社は前を走る街道筋に対して垂直方向にある。このような奥性や「見えない中心あるいは到達点」は日本特有で、フランスのパリなどとは対照的で、そのつながりは中心/遠心性と区別できる。


都市間のアクセシビリティの衛星リモートセンシングデータ (GEEより引用)
       日本               ヨーロッパ

③公正さ
都市やエコロジカルデモクラシーの観点で中心や各種施設・公園へのアクセスが何人たりとも排除されないことが重要である。公園などのオープンスペースは、高所得者向け住宅街の周りに作られやすく、所得や人種によってそのアクセスが不均衡になる場合が多い。
また、公園の空間デザインは利用者の視線をA統合するものとB離散するものに大別される。そしてBは多様な人が公園を使いうるという点でオープンスペースとして有益な意味を持つ。

実際、同地区の西郷山公園は円環状に並んだベンチの前には小山がありそれぞれの視線を遮る作りとなっている。視線分散機能が他者への圧力を軽減し空間の包摂性や寛容性を拡大させる点で西郷山公園には多様な人が集い(ホームレス含む)、高い公平性を持っていると言える。

 
公園見取り図(目黒区公園データ) 実際の風景


④賢明な地位の追求
日本の都市は旧来の村意識が強く残る風習があり、全体としての都市計画は諸外国(先述のフランスなど)と比較し弱いと言えるだろう。だからこそ、総体への思慮のあり方が問われる。
猿楽町のヒルサイドテラスには他の地区と比べ厳しい建築上の制限があり、当初高さは10m、人口容積率200%に抑えられた。
加えて、商業施設が時代とともに移り変わる中で、利益優先で激しく出入りするものではなく、長期的な信頼を築けるテナントとの関係を重視した。

実際、ヒルサイドテラスは視線の抜けによる奥性が大きな特徴に挙げられる。
カプランらの研究によると、人間の注意資産には限界があり、注意回復のために回復環境が役立つことが報告されている。
注意回復環境の要素には逃避、魅了、広がり、適合が挙げられるが、旧山手通りの22mという道路幅に対して低く設定された建造物の容積率が、空間にゆとりと視線の抜けをもたらす。

⑤聖性
聖性という精神的結節点は、歴史的由緒(神話や宗教)に結びつき、人に進むべき方向と世界観を与える。そして、矛盾や対立を和解に導き、私たちを再び原始的な力と結びつける。※
その基礎にはA象徴化とB共感がある。

※日本人が、聖性とは敬意であることを教えてくれた
聖性とは宗教のことだけを言うのではなく日々の暮らしでの出会い、生きとし生けるもの、全き自然、素朴な美しさ、未知の世界、あらゆる場所に宿る心魂に向けた敬意の表現である。(R・へスター エコロジカルデモクラシー P488より抜粋)

A象徴化
聖なる場所は、私たちの至高の信念、価値、徳を具体化し、形にし、象徴するだけではなく、私たちの努力を目に見えるものとし、神秘を理解し、信念を公にできるようにする。
日本には多くの宗教的な歴史的建造物が見られ、猿楽町の猿楽塚もその一例である。六世紀の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種であり、渋谷区のように開発が早くから激しく行われた地域に残った貴重な継承建築である。

B共感
Aで述べた猿楽塚も単一に区画された空間には存在し得ない。特に高層化が進んだ密集空間では塚周囲の自然環境が接続せず、断絶した異空間(異端)となり得る。
その対立を解消する手段としてゲシュタルトのデザインがある。
ゲシュタルトとは、いくつもの要素が織りなすひとつのパターンである。
それはただ単に多くの要素を集めたものではない。パターンは全体としてまとまったものなので、その特性を部分の総和から導き出すことはできない。

その点で同地区は間隔を持って配置され、変形する樹木が視線の抜けに貢献する他に、空間物質の集積としての建築要素が多様に盛り込まれ、③で述べたオープン(パブリック)スペースや円柱やループなど異質な構造が混ぜられている。
そして、異質性を持ちつつ同一性を保つ景観が形成され(門内、1998)、各々の異なるライフサイクルで部分と全体が変形し得る群像形を維持する。


この5点から「大きく単一に、なるべく多く」より「小ぎれいに雑多で、慎ましい」街空間を形作ることで都市として、人々がどんなにささやかでも夢をはぐくみ続ける空間に近づいていくと言えるだろう。
そして都市-建築のアナロジーとして全体-個の民主主義を議論すると、現代日本における間接制民主主義の問題の表出として、特に若年層を中心とした投票率の低さが挙げられる。
日本の政治空間に③公正さをもたらすオープンスペースと⑤聖性(急進的な発展と他文化との折衷による精神的な中心の捉えづらさに起因する)が不足していると考える。
この解決策のヒントに、政治学として、日本の江戸時代の権力体制の研究として知られる「公共圏に挑戦する宗教」(ユルゲン・ハーバマス、2014)と、建築学として、空間を繋ぐインターフェイスの創作を行う安東陽子氏の作品の考察を次の発展課題としたい。


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