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セクハラ問題

セクハラについて三浦瑠璃さんは「日本の特徴は第一に、具体的な被害者を生む暴行/セクハラでは、被害者からの告発が乏しく、実名での告発は非常に少ないこと」と言っている。

確かにことが個々の事象がはっきりしない場合はヒューリスティックに決めるしかない。

だからスピーディにポリティカル・コレクトネスへと進む。スピーディということは吟味しないでも決めれる、それは事象が少ないためといった具合だろう。

野球で例えると、ストライクもあればボールもあるし球種だってカーブもフォークもある(さまざまな事象や事情)のに本人が話さない(話せない風潮)とストライクやはボールの判断が出来なくてすべてのボールがストライク(スピーディなポリティカル・コレクトネス)と端的に決定される(ヒューリスティク)。

この話ってやはり男社会もっと言えば男側の意識変化の方が重要課題。

男性側が女性をピューリタニズム的な枠に収めようとする思いを持っていたりする傾向がある。

男性は力強く男らしさをもとめるといったように、女性には従順でお淑やか、厳格で潔癖であってほしいといった幻想と女性の社会進出とのある意味矛盾が生じている。

つまり建前では女性進出をというが、本音では幻想的な女性を求める。

案外、女性の方は男性はそうであってほしいと思うが実はそうではないという現実的思考だが、

男性はそうであってほしいという思いから実際もそうである(そうじゃないといけない)といった理想的思考に駆られているのかもしれない。

三浦は「女性まず嫌なことは嫌、NOと言う気概を持ち、経済的に自立し、男性と対等な条件を得ることを通じてしか可能ではないと思う。」
と言われていたが、果たして学歴も収入も男性並みまたはそれ以上の女性をどう見るのか?

これは男性の意識改革なくしてありえないだろう。

三浦瑠璃「山猫日記」⬇︎

http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2019/01/16/111206

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