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みんユルクロニクル #18 『ある雨の日に』

※前回までのお話はこちら。みんユルクロニクル#17『THE DAY』

2019年12月7日 土曜日 午前9時

 それは、寒い寒い雨の日だった。

 ぼくは手に入れたばかりの車に乗って、第三京浜を走っていた。フロントガラスに雨粒が叩きつけ、この先が思いやられたけど、不思議と気分は悪くなかった。状況はかなり不利。それでも、その事自体が開き直れる理由になっていた。案外、奇跡みたいなものが起きるとしたらこんなロクでもないシケた日なのかも知れない、と。

 久しぶりに妻が、自分も行く、と言った。

 妻と出会ったのは2010年、FC東京がJ2に落ちた年のことだ。最初のデートは代々木公園。その1週間後、2回目のデートはホームのヴィッセル神戸戦だった。出会ってから最初の方はFC東京の試合に付き合ってくれた妻だったが、だんだんとその頻度は減って行った。今では北海道旅行の間に数時間付き合うことを譲歩してくれる程度で、基本的には毎週末一喜一憂する夫を生暖かく見守ってくれるのみだ。

 それなのに、この時に限って妻が付き合ってくれた理由はよくわからない。シーズン最終戦というだけではない。ぼくが1年をかけ、今年は違う、マジで優勝すると言い続けたシーズンが終わりに近づくにつれ、だんだんと暗く切羽詰まった表情になっていくことを逐一見ていたからかもしれない。最後になって妙に悲壮感漂わせながら、奇跡の大逆転優勝を目撃しないか?とかなんとか誘ったぼくに、妻は自分も行く、と言ってくれた。まあ、可哀想になったのだと思う。

 妻は後から電車で来ることになっていた。雨の中、妻を待機列に並ばせるのはさすがに気が引ける。ぼくは先乗りして妻を待つべく、昨日の夜に貼ったシートの場所を目指し、ひとり家を出た。第三京浜を降り、毎年そうしているように、新横浜駅近くのコインパーキングにクルマを停めた。その駐車場にはトリコロールを纏った家族連れが何組かいて、楽しそうにスタジアムへ行く準備をしていた。ぼくは、優勝を確信した彼らが、もし何かが起こった時にどんな顔をするだろう、とか考えていた。少年、気持ちはわかるけど、人生はそれほど単純じゃないかもよ?なんて。

 荷物をまとめると、雨の中をスタジアムに向かって歩き出す。キックオフまではまだ数時間。まずはシートの場所に辿り着き、しばらくは寒さと闘わなくてはならない。なんと言うか、全ての悪条件が奇跡への前振りみたいに思えていた。おめでたいと思われようと、この時は本当にそう思っていたのだ。

 意気揚々と歩き始めてすぐに、異変が訪れた。なにかおかしい。背中に刺すような痛みを感じる。これは…肺だろうか?寒さのせいで?いや、もしかすると心臓?元々運動する方ではなかったのだが、この痛みはおかしい。数十メートル歩いたところで、痛みで歩けなくなった。冷たい雨の中、呼吸を整える。しばらく休んでいると痛みは引いていく。なんなんだ?今のは。

 再びスタジアムを目指して歩き出した。また数十メートル進んだところで同じように心臓の鼓動に合わせて痛みがぶり返してくる。とにかくスタジアムまで。そう思いながらゆっくりと進んで行こうとするのだが、背中の痛みは増すばかりだ。道端の電話ボックスに寄りかったまま、ついにまったく歩けなくなった。ぼくは雨に打たれながら呼吸を整え、痛みが引くのを待っていた。トリコロールや青赤を纏った人々が、次々と追い抜いて行った。ぼくは、痛みを我慢しながらもスマホを取り出すと、なんともないんだ、ちょっとスマホをチェックしようとしているだけなのだ、という風を装っていた。馬鹿みたいなのだけど、これから始まる大事な試合に水を差しちゃいけない、なんてことを本気で考えていた。これは何かの間違いだ。このあとスタジアムで妻と一緒に奇跡を目撃するのだ。ぼくは車道を走るクルマが水を跳ねる音をただ聞きながら、痛みに耐えていた。


それからのこと

2020年6月5日

 みんユルが公開されて、様々なリアクションがあったのだが、個人的に一番嬉しかったのは、このツイートかも知れない。選手がリアクションしてくれるとは、正直想像していなかった。色々SNS運用関する制約はあるだろうに。

 このちょうど1ヶ月後、再開した柏レイソル戦で渡辺剛がゴールを決めた時は、本当に頭おかしいぐらいに狂喜乱舞した。ゴールは剛の実力であって、みんユルの後押しになったのかも、なんて驕り高ぶった事を言うつもりは全然ないのだけど、そういうことを信じたくなるようなロマンチストなのだ。ぼくは。

 かくして、みんユルは公開された。批判もあったようだったが、概ねみんな喜んでくれているように思えた。公開してすぐに、ゲキサカの竹内さんから記事にしたい、との連絡をいただいた。

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 方針していたちーかまさんももちんOKしてくれ、竹内さんの電光石火のライティングにより、我らがリーダーによる渾身のインタビューはその日のうちに世に出ることになったのである。ありがとうございました!


 公開から数日間、スタッフ間では引き続きやりとりが続いていた。せっかく参加していただいたのだから、やっぱりお礼のグラフィックみたいなの作った方がいいよね?という話は公開前からあり、oomiさんが主体となって制作が始まっていた。

 これまでにも書いたのだが、ぼくはこのプロジェクト中にいくつか大きなミスを犯している。1つ目は、ティザームービーの日付間違い。2つ目は映像/音声の収録方法について。ここで、ぼくの3つ目のミスが判明することになる。一番大きなミスが。

 それはお礼のグラフィック、oomiさん命名によるとことろの、サンクスポスターのために静止画を書き出す算段をしていた時に判明した。

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!!!

衝撃が走った。公開版だけを見ても気づかないのだが、実は、映像にはずっとユルネバの歌詞を字幕として入れていたのだ。これは初期の段階でみたけさんと申し合わせていたことだった。耳の不自由な方にも配慮してのことである。

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 文字組みもoomiさんがやってくれており、きちんとレイアウトもされている。編集作業中、字幕はずっとそこにあり、あるのが当たり前になっていた。Premereの構造上、そのレイヤーはボタンひとつで透明化することが出来る。作業上邪魔なレイヤーは一旦見えなくして、作業が終わったらもう一度可視化する、ということを繰り返していた。

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 これをオフにしたことを忘れたまま書き出して公開してしまっていたのだ。あるのが当たり前になっていた字幕がない、とは思いもしなかった。心当たりはあった。公開直前に、スタッフロールの「R」を「L」に直して書き出し直したタイミングだ。我ながら信じられないミスである。しかも公開前にも、公開してからも、何度も見直していたのにこの時oomiさんに指摘されるまで気付きさえしなかった。

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 いやほんと、なんで気づかなかったのか。未だに理解できずにいる。結局、この字幕付きのタイプは最後の最後、参加者の方だけに配布したファイナルバージョンにだけ載せることになった。返す返すも、申し訳ない気持ちでいっぱいである。


それからのこと2


 公開が始まった後に起こった、もっとも大きな出来事は、FC東京カラーズに出演させていただいたことじゃないだろうか。ちらっと紹介されるだけかと思いきや、結果的に30分も丸々特集して頂き、本当にありがたかった。少々やりすぎでは、という気もしたのだが、まあ、シーズン中断で取材もままならならず、ネタの少ない中、1週分つなげた、と思えば少しはお役に立てただろうか?

 ただし、出演に当たっては、番組からオファーを頂いた時点で少し葛藤があった。この作品の著作権は果たしてどこにあるのだろう?という懸念があったからだ。TVで放送されることについて、ほとんどの参加者は喜んでくれるだろうと思いつつも、基本的にはみんユルプロジェクトのために映像を送ってくださったのであり、応援番組と言えども勝手に二次使用にまわすことは憚られるように思えた。スタッフ間で話し合った結果、一応、全員に連絡を入れよう、という結論に達した。

 そこからリストを元に全員で手分けして連絡を行ったのだが、ここでも連絡先不明の方が数人おり、作業は困難を極めた。みたけさん以下、全員が探偵のようにSNSを探し、推理推測を重ね、ついに全員が特定できた。全作業工程を通じて、スタッフ陣が一番盛り上がった瞬間は、完成した瞬間でも公開の時でもなく、参加者全員の連絡先を突き詰めた瞬間だっと言っても過言ではない。

 とりあえず最低限の仁義は切り、やがて収録の日。この収録で、zoom上ではあるものの、スタッフ同士が初めて顔を合わせて会話する事が出来た。指定された時間にログインすると、既にみなさんか揃っている。本編中に登場している獣さん、ちーかまさん、oomiさんは顔の想像がついていたが、みたけリーダーだけは本当に初めてご尊顔を拝見させていただき、喜びに打ち震えた。制作中、濃い毎日を過ごしたみんなと直接会話を交わすのはなんだか不思議だった。が、本来はひとことも会話を交わさずに作品を作り上げた事の方が不思議だったのかも知れない。

 みたけさん、獣さんなどは堂々としたものだったが、自分的には緊張のあまり同じ話を延々と二回するなど、まったく良いところなく終わった印象である。いやはや、出役は本当に柄ではない。

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 この収録時にオンエアの日取りが決定した。その告知に当たり、ぼくは当然のようにoomiさんに無茶振りを行い、oomiさんは当然のようにそれに返してきてくれる。

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 もう、なんかこのあたりは本当に予定調和のコントみたいになって来ているのだが、oomiさんはあっという間にオンエア告知グラフィックを作ってしまう。これに対するちーかまさんのリアクションは忘れられない。

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 それ、ちょっとあんまりだと思います!

 オンエア日も決まり、まだ計画していることはいくつか残っていたものの、そろそろプロジェクトをどうクローズさせるかを考えなくては、と思い始めていた。

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 これでプロジェクトのクローズは、FC東京カラーズの再放送の日、と決まった。そのタイミングでoomiさん制作する最後のサンクスポスターを公開し、公式アカウントのツイートを停止させる。発足から、約1ヶ月でのクローズは長いのか短いのかわからなかったが、濃かったことだけは確かだ。

 そして、FC東京カラーズ放送の日。テレビ前でオンエア待機しているうち、手持ち無沙汰にDMグループを除いてみると、みんなも集まっていた。考えていることはだいたい同じだったらしい。なんとなく終わりも見えて、ちょっと感傷的になっていたのかもしれない。みんなでプロジェクトを振り返る会話をだらだらと続けていた。まあ、これから放送されてしまう、という現実から目を逸らそうとしていただけかもしれない。

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 かくしてFC東京カラーズの放送が始まった。が、その時の話や、TL上でのリアクションは恥ずかしいので割愛します。おれが二回同じこと言ってるの、そのままオンエアされてた。しかしこの放送を通じて、公開の時と同じように皆さんが盛り上がってくれたので、それだけはよかったと思っている。

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 カラーズの放送が終わり、この時点で計画にあったのは、次の日のクローズ時に公開するサンクスポスターとラジオ出演、それに参加者の方々だけに配布するカードと、ファイナルバージョンの編集だった。ファイナルバージョンは、一般向けには非公開。参加者だけにダウンロードアドレスを通知する形で配布させて頂いた、言わば「参加してくれてありがとうバージョン」だ。このプロジェクトに参加してくれた方々の勇気と心意気には、感謝してもしきれないと思っていた。なんとかそこに感謝を捧げたかったのだ。

 ここでも何度も書いてきたように、ぼくがここに至るまで執拗なほどにサポーターファーストに拘っていたのには、実はスタッフのみんなにも言っていない、個人的な理由があった。そもそもぼくがこのプロジェクトに参加した動機は、FC東京サポーター各位での「感謝」だからだ。

 あ、ここからだいぶ長々と自分語りが始まります。かなり自己陶酔的で気持ち悪い可能性があります。恐縮なので、ここから先は読み飛ばしてくれても大丈夫です。


そもそものこと

 あの、2019年最終戦の日。日産スタジアムへの道のり心臓の痛みに襲われたぼくは、その後、何度も休みながら牛歩を続け、なんとかスタジアムにたどり着いた。呑気なものだ、と今にしてみれば思う。だが、その時は本当に一時的なものだと思っていたのだ。不思議なことに、スタジアムに着いて以降は痛みもなく、心臓のことなど完全に忘れていた。そのまま待機列で凍えている時間も、入場して雨に打たれている時も、遅れてやって来た妻にも、あの試合を闘っているときも。

 あの試合。4点取って勝つことが必要だったあの試合をどう捉えるかは、人それぞれだと思う。ぼくは、本気で逆転優勝できると思っていた。いや、試合開始までは常識的に考えてさすがに無理があるだろうと思っていたのだけど。それでも試合が始まると、徐々に考えが変わった。なにかが違って見えたからだ。相手がおかしい。マリノスってこんなにミスするチームだっただろうか?これ、明らかにこちらの勢いに押されているんじゃないのか?

 あかん。優勝してまう。

 なんて劇的なんだろう。ぼくの愛したFC東京の初優勝は、なんて劇的なんだろう。ドラマティックすぎる。20年近くスタジアムに通い続けた、その集大成の優勝として、こんなええストーリーあるかと。それでもはっきり言って、神様のシナリオはちょっとやりすぎだ。非現実的すぎる。もうちょっと地に足のついたストーリーじゃなきゃ共感を得られない。4点差をひっくり返しての優勝なんて!でも、なんてふざけてて東京らしいんだろう!ぼくは大声でチャントを歌い続けていた。

 結局のところ、ぼくにはそれしか出来ないのだ。ずっとそれをやって来たし、優勝するならやっぱりそれをやっていたかった。今年、それすら出来なくなるなんてことは想像もしていなかった。

 ティーラトンのシュートが東に当たってゴールに吸い込まれた。

 ぼくはあの試合で、植田朝日の凄みを見たと思っている。あそこで、あの試合、あの状況で「あと6点」コールが出来るウルトラが世界のどこにあると言うんだろう?だから東京はやめられない。あの試合の後で歌ったユルネバが、今のところ、ぼくがスタジアムで歌った最後のユルネバになった。

 それから一ヶ月後。ぼくは撮影で盛岡を訪れた。撮影後、真夜中にホテルの部屋で最終戦の前と同じ痛みに襲われた。あの時と違うのは、スタジアムに歩いて向かう最中でもなく、決戦の前だった訳でもなく、安静にしていた時だったということだ。あの時のように、休めば痛みが引く、ということはない。ぼくは自力で病院に行った。急性心筋梗塞だった。

 処置を受けている間に心室細動を起こし、ぼくは一旦死んだ。ここだけの話だけど、お花畑的なやつはある。心臓が機能していない間は、今までに味わったことのないくらい、最高に幸せな気分だった。ぼくは味スタにいて、みんなで眠らない街を歌っていた。アマとルーカスとディエゴが肩を組んでいる。浄と茂庭と長友と室屋がニヤニヤしてる。平山とナオと永井が笑ってて…

です。

 それはさすがに嘘。そんな体験してたら美しかったのだけど、それは嘘だ。実際は味スタじゃなかった。残念ながら、今際の際でFC東京のことはまったく思い出さなかった。走馬灯にはFC東京は含まれなかった。その時、ぼくは夕暮れの多摩美の実習室にいて、天井を見上げてた。周囲には大学時代の友達の気配がある。幸せでのんびりとした気分で、遠くではしゃぐ昔の友達の懐かしい声を聞いてた。数年前に死んだ友達の声を。

 いや、そんな話もどうでもいい。30秒ほどの臨死体験の後、ぼくはAEDと心臓マッサージで生き返った。その時の当直医はその後「一回で帰って来てくれてよがったな」とばりばりの岩手弁で言った。本当に、岩手の先生方の迅速な対応と、幸運に幸運が重なり、ぼくは一命を取り止めるどころか、ほぼ心臓にノーダメージで生還することができた。FC東京の次にグルージャ盛岡を応援することをここに誓います。

 それから2週間、盛岡の病院に入院することになった。 FC東京の事を考えたのは、その時だった。横浜で感じたあの痛みは、要は狭心症だった。ぼくの心臓の血管は3本中2.9本詰まっていたのだ。心筋梗塞を起こした1本は緊急カテーテルで開通させたものの、退院するにはもう1本血管を開通させないといけないらしかった。

 妙な言い方になるが、ぼくは元気だった。最初の心筋梗塞をノーダメージで切り抜け、もともと詰まっている血管の治療を待っている状態なのだ。倒れる前よりも明らかに血の巡りは良く、ぼくはを持て余していた。ベッドのうえで考えるのは、FC東京の新しいシーズンのことばかりだった。

 2回目のカテーテル治療の日は、1月28日、ACLのセレス・ネグロス戦の日に決定した。それを知ったぼくは、なんとなくこんなツイートをした。なんとなくだ。本当に。ただ試合を見れなそう、ということを少し劇的に書いたぐらいのつもりだった。

 だが、このツイートにリプライされた、東京サポーターの方々の暖かいコメントの数々!ぼくは、完全に面食らっていた。

 FC東京を応援して20年。ツイッターを始めてからは10年。ほとんど東京絡みの方々しかフォローしていなかったが、積極的にコミュニケーションをとる方でもなかった。スタジアムでの知り合いもほとんどいない。

 ぼくはFC東京の個人主義を愛していたつもりだったのだ。干渉せず、深入りせず。スタジアムにバラバラに集まり、ユルネバが始まるまではそれぞれ勝手に過ごし、ゴールの瞬間ハイタッチし、試合が終われば会釈だけして黙ってスタジアムを後にする。ともするとドライとも思える距離感こそが、都会的なのだと思っていた。だけど、それが崩れた気がした。これは断っておくが、ぼくの考えていたFC東京サポーター像が間違っていただけの話だ。FC東京サポーターは、最初から暖かくて優しいかったはずだ。

 このコメントの数々には、本当に力を頂いた。スタジアムですれ違った、名前も知らない人たちに、これほどの力を頂けるとは。考えてみれば当然なのかも知れない。この方々は、誰かを応援する、力づけることのスペシャリストたちなのだ。この思いに報えることがあるだろうか?残念ながら、この時のぼくには、スタジアムで歌うぐらいしか思いつかなかった。とにかく、最高に嬉しかったです。ありがとうございました。

 セレス・ネグロスには勝ち、ぼくのカテーテル治療も終わった。ぼくは岩手弁に満ちた、どこかのんびりとした岩手の病院を退院し、地元・鎌倉で、心臓カテーテルの第一人者のような先生から3回目のカテーテル治療を受けた。これで3本の血管すべてにステントが入り、開通した。その先生は最初の2回の治療動画を見て、「岩手に足を向けて寝るな」と言った。とにかく、2月いっぱいは仕事はせず、自宅療養ということになった。

 FC東京は4年ぶりにACLの予選を戦っていた。元気だったら参戦していたであろうアウェイの蔚山戦は自宅で見たが、その次のパースグローリー戦は、どうしても我慢できず、妻には内緒でスタジアムに行った。さすがに安静にしなくてはと思い、ゴール裏には行かずにバックで座って見た。ユルネバやチャントを歌うことは我慢した。どれくらい待ったら、体力が戻って前と同じようにゴール裏で思いっきり歌うことができるのだろう?開幕は無理でも、ゴールデンウィークぐらいになれば大丈夫だろうか?幸いにして、回復は順調だった。

 だが、その前にコロナがやってきて、すべてを変えてしまった。

 すべてが止まった。ぼくとしては、元々止まっていたものが、そのまま延長されたような気分だった。でも、今度は世界も一緒に止まってしまったのだ。地球上のすべての人たちと同じように、ぼくは途方に暮れていた。毎日飛び込んでくるニュースに愕然とし、恐怖を感じながら。病み上がりで元々少なかった仕事は完全に止まった。リーグはストップし、TL上も殺伐としているように感じた。FC東京は年間チケットの払い戻しを決めた。

 サッカーどころではない、と思いつつ、サッカーが行われない、ということが事態の異常性を際立たせているように感じた。亡くなる方や医療従事者の方々、飲食業の方々の苦労からすると、不謹慎と言われてしまうかもしれない。それでもぼくは、最後に声を上げて歌った時のことばかり考えていた。あの、雨の日のことを。

 あの日、スタジアムまで辿り着けず、命を落としていた可能性だってあったのだ。そしたら、何かが変わっていただろうか?結果は違っていた?ゴール裏から聞こえる声が一人分少なくなったことだけは確かだ。

 いったい、サポーターの人生ってなんだろう?誰に頼まれたのでもなく、勝手にチームを愛し、一方的に応援してきた。間違いなく人生の中の大きな部分であることは確かだ。それなのに、実際に心臓が止まったあの30秒の間、ついぞFC東京のことは頭に浮かばなかった。ぼくの人生にとって、東京はそれほど軽い存在なのか? 

 答えなんかないのはわかっている。止まってしまった時間の中で、とにかく、なにか自分に出来ることはないだろうか?そればかり毎日考えていた。ぼくは映像作りしか脳のない人間なので、Jリーグのサポーターに向けた動画を匿名で作ったりもした。(現在削除済み。もしも興味がある方がおりましたら、こっそり個別に対応致します)

 そんな答えの出ない問いを頭の中でぐるぐると考えている最中、みたけさんのツイートを見つけたのだ。すべてのはじまりのツイートを。

 今にして思えば、答えはここにあるのだ、と、直感で理解したんだと思う。

 ユルネバ。マリサポ。あの雨の日に感じたこと。考えたこと。止まった時間。頑張っている人たち。応援すること。病室でもらったリプライ。家から出られない日々。不安。孤独。動画編集のスキル。ぼくに出来る事。すべてが一瞬にしてつながった。

 スタジアムではチャントを歌うこと以外に出来ない。それが自分の唯一出来ることだから、それだけを一生懸命にやってきた。でも、今、生死した時の中で、ぼくに出来る別のことが降って湧いたように目の前に提示された。

 あの日、降りしきる雨の中、電話ボックスに寄りかかって、動けなくなっていた自分。すぐ横を勢いよくクルマが走り抜けていって…。その先にあったのは、もっと最悪の未来かもしれなかった。そう考えたら、なんてありがたい事なんだろう、と思えた。自分に出来ることが目の間にある、なんて。

  いまこそFC東京サポーターに感謝を示すときじゃないか、と思った。あの病床で貰った力を、返すべき時じゃないか。


物語の終わりに

2020年6月13日

 このプロジェクトを通じて、いったい何人の方に感謝を告げられたかわからない。とんでもない。感謝したいのはこっちなのだ、ということを理解して頂けただろうか?

 そして、20時がやってくる。言いたいこと、伝えたい思いは最後のサンクスポスターにすべての言葉を集約させた。まだ予定している作業は残っていたものの、出来ることはやりきった、と言う達成感があった。

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 5月14日に始まったプロジェクトは、6月13日にフィナーレを迎えた。ちょうど1ヶ月。ぼくは2020年の、この熱に浮かされたような奇妙な1ヶ月のことを、一生忘れないと思う。いや、それは言い過ぎだ。そんなことを言っても、人はなんでも忘れてしまうものだ。だからここに、「みんユルクロニクル」として記録させてもらうことにした。

 この1ヶ月に考えたり感じたりしたことは、サポーターとして、クリエイターとして、一人の人間としての、考え方や価値観を一変させてしまうほどのインパクトがあった。今まで信じてきたことや考えていたことが、いとも簡単に変わってしまえることに驚きつつ、それが楽しくて仕方なかった。そう。本当に楽しかったのだ。だからこそ、心から思う。あの雨の日に死ななくて本当によかった、と。

 あの心臓が止まった30秒の中でFC東京のことを考えなかったのは、絶対的な喜びをまだ味わっていないからだ、という解釈をすることにした。その方が楽しいからだ。だから、サポーターとしての自分はこう言う。「優勝を見ずに死ねるか」と。クリエイターとしての自分はこう言う。「まだ作りたいもんあるだろ?」と。では、一人の人間としての自分はなんと言うか?それはまだよくわからない。そんなもの、簡単にわかるはずもないではないか。
ただし、少なくとも、それを今わからないということが、どれだけ幸せなことなのかだけはわかる。だから、とりあえず。それがわかる日までは歩き続けてみるしかない。一応、いまところ心臓は問題なく動いている。

  #みんなでユルネバ が教えてくれたこと。それは、その道のりを、少なくとも一人きりで歩く必要はないのだ、ということかもしれない。……いやいや、そんなことは最初から知ってたのかも。だって、タイトルそのまんまじゃないか。

You'll Never Walk Alone.

ほらね。



だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。

フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』より 村上春樹訳





【みんユルクロニクル おわり】




 いやはや。ずいぶん長くなってしまいました。さすがにクリスマスまで引っ張ることになるとは思いもよらず。これだけ長くなってしまうと、きちんと伏線回収できているか、言及しかけて忘れたくだりはないか、不安で仕方ありません。文章を書くって、本当に難しいですね。打ちのめされ、思い知りました。第一話の最初に、「しつこく、劇的に、さりとて嘘なく、余すところなく」をテーマに掲げましたが、そんなこと忘れるほどに、しつこく書きすぎました。

 ぼくは普段、どちらと言うと、マスに向けてモノを作ることが多い人間です。出来るだけたくさんの人に見てもらい、可能なかぎりたくさんの人に理解してもらえる映像を。そのせいか、常にできるだけ最大公約数に向けた表現を考えるクセが付いています。
 それはそれで、とてもやりがいのあることなのですが、たまにその反動でわかる人にだけわかる、わからない人をすっかり置き去りにするようなものを作ってみたくなります。みんユル本編は出来るだけ間口を広くする表現を目指しましたが、このみんユルクロニクルは、いろんなものを置き去りにして、徹底的に深掘りすることを狙っています。そしてやりすぎました。やりすぎてしまいました。

 ひとえに、ぼくの文章構成力と計画性の無さによるものです。みんユル本編だけ作って、さっと消えるのが一番クールなのは百も承知です。壮大すぎる蛇足。

ただ、ひとつだけ、最後まで書き終えることが出来たことだけはよかったな、と思っています。とにかくこの無計画で無秩序で冗長すぎる文章をここまで読んでくれた方には、本当に感謝してもしきれません。ありがとうございました。

 そして、プライベートなやりとりにも関わらず、快く公開を許してくれた、みたけさん、ちーかまさん、獣さん、oomiさんに、心からの感謝を。ぼくのせいでこのプロジェクトがいつまでも過去のものにならず、足踏みしてるような感覚になっていたことと思います。申し訳ありません。いつの日か打ち上げを、必ず!
 そしてそして、みんユルに参加してくれたみなさん、見てくださったみなさん、東京サポーターのみなさん、選手、チーム関係者のみなさんに最も大きな感謝を。こういう言い方を嫌いな方もいらっしゃると思いますが、最高の仲間です。
 まだまだ予断を許さない状況は続きますが、不安も心配も尽きることはありませんが、とにかく毎日は続いていきます。色々と理不尽や不公平を感じることもありますが、ユルネバ口ずさみながら歩いていきましょう。

そしていつかまた、スタジアムで、 #みんなでユルネバ

isomix

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